Episode82/1.真の敵(前)
(165.)
私は雷雨が轟くなか、駆け足で駅前広場へと向かっていた。
夜空が光り、落雷の轟音が辺りに響き渡る。
通話してきた男に言われた内容を想起しながら、がむしゃらに走るーー。
(164.)
「あ、あなたは誰ですか? そのスマホ、私の姉の物ですが」
なにが起きているのか、理解できていない父さんはあわてふためき、どうすればいいのか考えているように見えた。
時折、「豊花、誰と話してるんだ?」や「六花ちゃん、きみはいったい?」などや「警察に通報しなければいけないだろう!?」等と、半ば叫ぶような声量で言いつづけている。
六花が父さんに近づくのを見ながら、私は耳に意識を集中する。
『おまえの姉貴は拐わせてもらった。よ~く話を聞けよ?』
私は唾液を飲み込み喉を鳴らす。
緊張のせいで、口渇が酷くなるのを感じる。
『おまえ一人で今から指定する場所に来い。誰にも言わずにおまえだけで来い。例えおまえの意思じゃなかろうと、仲間や警察が“此処”に来たら姉貴を殺す。誰かにチクッたと俺が判断した場合も殺して死体は放置する』
「な……なんだよそれ? めちゃくちゃじゃないか!」
男が有言実行タイプの人間なら、例え私が指示された通り誰にも告げずに単独で向かったとしても、男の勘違いひとつで裕希姉を殺すーーそう言っているのだ。
生臭い錆びた鉄の匂いが鼻腔を擽る。けど、そんなもの今の状況では何ら気にならない。
『惨たらしく殺してやるよ。だから、今から教える住所の倉庫まで早く来い』
スマホを握る手が震える。
不安と怒りで手の振るえが止められない。
「落ち着いて。すぐに死体の処理に応援が来る」
「処理? 死体の処理だって? いったい誰がなにしに家に来ると言ってるんだ六花ちゃん!?」
通話の最中にも、六花は父さんを宥めようとしていた。
父さんは事態をまるで把握していない。だが、自宅が心理的瑕疵物件へと変貌していく惨状を目の当たりにしたのに、トイレに入ったままの母さんと比較すると、なぜだかまだ、父さんは完全に冷静さを失っていないように思えた。
『ほら、少しだけ聴かせてやるよ』
男がそう言い数秒経つと、裕希姉の声が通話口から聴こえてきた。
『ゆ……ゆった、豊花なの? わ、私、友達と遊びにでかけーー』
裕希姉が言い終えるまえに相手が男に戻る。
『これで、俺の傍におまえの姉貴が居るってわかっただろ?』
「たぶん、数分もすれば舞香が来てくれる」
「舞香……舞香って誰なんだ? 異能力者保護団体の職員か!?」
「ううん。違う」
六花がいろいろと説明して、六花なりに父さんが落ち着くよう努める話声が端から耳に入る。
しかし、私は裕希姉を安全に救出する手段を講じることしか脳みそに入らない。
『宮前区のとある古い倉庫だ。一度で覚えろよ? 住所はーー』
男が述べる指定場所の住所を、記憶力の弱い頭でどうにか記憶する。
脳内で数回、言われた住所を反芻する。何度も何度も繰り返す。
『じゃあな。一時間以内に来なくても惨殺するから、姉貴の死体を拝みたくなけりゃさっさと来い』
それだけ言い切ると、通話を切られてしまった。
脂汗が顔に滲み出す。
「あ、おい。どこに行くんだ豊花!?」
「ごめん! あとで全部説明するから、六花の言うことききながらお家で待ってて!」
私は怒鳴る勢いで父さんに言い残し、玄関を開き外へと飛び出したのであった。
(165.)
普段ならタクシーが数台待機している駅前まで行けば、来るかわからないタクシーを待つ必要はない。
電話で来てもらう方法もあるみたいだけど、私は一度も利用したことがない。緊急時にすぐに使えるかさえ知らないんだ。
私の所持品は、スカートの内側に巻いているナイフホルダーに潜ませたナイフ。
それと、先日貰ったばかりのお小遣いを入れたままの財布。
あとは、いつまた男の気まぐれで連絡してくるかわからないスマートフォン。
その三つ以外、なにも持ってきていない。
時間がなかったのもあるし、わざわざ薬や小物を入れたままのポーチや鞄を持ってくる必要性も感じられなかったからだ。
きょう履いているスカート丈が、偶然だけど私服の中では短いほうで助かった。ワンピースのように長ければ、咄嗟に武器を取り出すことはできない。
相手の男の要求が、まだなにかわかっていない。
でも、私を直接狙わずに姉である裕希姉をわざわざ誘拐して、私に来いと脅す遠回りな真似をしてきた理由は、必ずある筈だ。
激しい雷雨が降りしきるなか、一台のみ待機しているタクシーが視界に入り、全速力で駆け寄る。
雨だからか、普段より乗客を待っているタクシーの数が少ない。
タクシーに近寄りドアを開けてもらい、即座に座席へ乗り込んだ。
少し不快そうな顔をする運転手に対して、忘れないうちに素早く指定された住所を伝えた。
全身ずぶ濡れのまま、飛び込むような勢いで乗ってくるような客だ。しかも、端から見れば中学生ーー酷いと低学年に見えてしまう身なりで……嫌な顔のひとつや二つするのも致し方ないだろう。
住所を口頭で伝えると、運転手はカーナビらしき画面へ直ぐ入力してくれた。
そのままタクシーは走行を開始する。
「お嬢さん、なにかあったのかい?」
タクシーの運ちゃんは、私の表情や迫真な雰囲気を感じ取ったのか、不快そうな表情からうって代わり、心配するような言葉をかけてくる。
「はい……急がなければならなくて……でも、なにがあったのかは教えられません。すみません……」
申し訳なさそうな声色で、運転手にそう答えた。
と、スマホが振動したのを察し、すぐに取り出し画面を確かめた。
「未来……さん?」
このタイミングで、どうして未来さんから連絡が来るんだろうか?
私の自宅が襲われたこと。もしくは、裕希姉が拐われたことを、誰かが知り未来さんに伝えたのかもしれない。
出るか迷い逡巡するが、男はめちゃくちゃな脅迫をしてくる奴だ。
もしも今、未来さんに対して、私が立たされている状況を少しでも話したら、最悪男は裕希姉を殺してしまう。
たとえ未来さんが状況を把握していても、無用に会話するのはリスクでしかない。
私は電話に出るのを控え、そのまま通話を切る。
だが、次に沙鳥からの電話が鳴りはじめる。
「……」
ーー待て。たしかに相手の素性は不明だ。現段階では、まだわからない事の方が多い。しかし、少し考えれば敵が誰なのか、なにが家族にあったのかくらい、推測できるだろう。電話に出るのは賭けだが、嵐山沙鳥の協力を得られるのは大きい。ーー
でも、もし相手に異能力者が居て、なにかしらの能力でこちらの行動が筒抜けなら、下手したらバレて裕希姉が殺される可能性だって否めないじゃないか!
そもそも少し考えれば、って……。
「……思考」
私は沙鳥からの電話には出ず、異能力を使うため小さく唱える。
まず、同じ日にたまたま強盗や誘拐が重なるのはおかしい。襲撃してきた相手は異能力者には見えなかった。
さらに、身代金目的であれば、私じゃなく親に電話する筈だ。わざわざ妹の私に掛けてくる必要はないし、指定した場所まで来いなんておかしい要求はしてこないだろう。
そして、いま一番危険なのは私の家族だ、というありすの言や、沙鳥が六花を預けてくれたことから、真の敵は、あの目出し帽集団のような寄せ集めの素人なんかじゃない。
異能力協会が関わっているのは、おそらく間違いないだろう。
私の直感もそれに頷く。
さらに、私の家族は異能力協会を誘き出す囮というありすの発言。渋澤班ーー渋澤さん、八月一日さん、橘さんの三人のことだろうーーが、私の家族を監視しているとも言っていたのは憶えている。
要するに、真の敵は、ありす曰く大丈夫と言っていた休日を敢えて狙い、私の家族を二手に分かれてーー自らでは動かずーーおそらく部下ですらない使い捨ての人員として、半グレのような連中に依頼してまで、“拐うため”の襲撃を仕掛けてきたのだと推測できた。
スマホの振動がピタリと止まる。
再び短く振動するが、もはや見る気にもなれない。
奴らの背後には、異能力協会の何者かが間違いなく存在する。
私を誘き寄せる目的まではわからないけど、何らかの都合があって、こんな遠回りするかのような真似をしたんだろう。
そして、十中八九、渋澤班は私の家族を監視していた筈。
なのになにもできなかったのか?
一応、護衛としての役割もあるんじゃなかったのか?
……未来さんから電話が来たのは、渋澤班の誰かが裕希姉の事情を把握して、誰かを経由して伝わって事態を把握したからかもしれない。
ふと、父さんの動揺が想定より小さかったことを思い出す。
それに私の身の不安を感じていたかのように、私に話しかけようとしていた。
誰かが父さんに、私のことを教えたのか?
それとも、私の身に危険が迫っていると勘違いするような“なにか”が、私の知らないところであったのか?
それに関しては、直接父さんから聞き出すほか知る手段はない。
だけど、渋澤班が監視していたとなれば、あの三人組の誰かが迂闊にも裕希姉の居場所へ先んじて向かってしまうかもしれない。
なんせ、ありすが囮とか言いかけていたくらいだ。私の家族の命なんて、どうなろうが知ったことじゃないだろう。
ーー考えろとは言ったが、考え過ぎる必要もない。だが、わかっただろう。少なくとも誘拐の実行役には、おそらく異能力者はいない。いるとすれば上から操っている異能力協会の構成員か、もしくはその部下だ。ーー
だから、バレる可能性は低いから、あえてリスクを覚悟して事情を打ち明けろって言いたいの?
どんなに低い確率でも、裕希姉が殺されないと断言はできないのに?
ーー違う! 豊花が考えたとおり、言われるがまま誰にも事態を話さなくても、渋澤班の誰かしらが現場を突き止めていたら、倉庫とやらに突入する可能性だってあるだろう。なら、いっそ多数を巻き込み救出に臨むのが最善の手だろう!?ーー
……それでもリスク覚悟に、自ら賭けに出る必要性は感じられないよ。
それに、なぜだか私ひとりでも、救出できる気が不思議とするんだ。たぶん直感が働いているのがわかる。
瑠美さんの危機には前以た段階で素早く働いてくれたのに、今回の事態に関しては、ギリギリになるまで機能してくれないでいた……この不活溌な直感の異能力モドキの力がーー。
逸る気持ちを深呼吸で抑え、暫くタクシーに揺られながら到着するまで冷静さを取り戻すのに努めた。




