匂い
テントの中は、見た目以上の広さがあった。
魔法の気配がしていたのでなんらかの処置がされているのだろうとは考えていたが、その正体はどうやら、空間魔法による容積の拡張だったらしい。
「なるほど、この魔法ってこんな使い方があったのか……」
主に魔法鞄──いわゆる四◯元ポケット的な定番アイテム──を作ったりする時くらいにしか使わなかったが……いつかの参考にしよう。
「おや、その口振りだと、まるでこの空間魔法が使えるみたいですわね?」
テントに入って暫く、俺たちの目の前に紫色の髪を裂いたネギみたいに油で固めた、顔の白いピエロがやってきた。
ちなみに、身長は俺より頭が二つくらい高い。
巨大ピエロだ。
「うわっ!?」
あまりに気配もなく唐突すぎたからか、フィネが驚いて俺の後ろに隠れた。
「あら、驚かしてしまってすみませんねぇ、お嬢ちゃん。
ワタクシの名前はフィガロ。
当サーカス団のメンバーで……あー……チケットの確認をさせてもらっているわ」
口調に似合わない野太い声で、芝居がかった身振りをしながら片手を差し出した。
「……」
俺はポケットからチケットを取り出すと、四枚あるうちの三枚を取り出して──最後の一枚はチケットではなくメモ用紙だったことに気がついた。
『ᛊᚨᛒᛖ ᚨ ᛈᚨᚾᚲᚨᚲᛖ』
パンケーキを助けて……?
何かの暗号だろうが、一体どういう事だろうか。
「あら、どうかしたかしら?」
一層、低い声で尋ねるフィガロ。
その声にはやや怒気のような物が混ざっている。
一体、何がどうしたというのだろうか。
俺はメモをポケットに戻すと、チケットだけを彼(彼女?)に渡す。
「ご協力感謝するわ。
テント内では魔法の使用は禁止だから、くれぐれも注意してね?」
チケットにパンフレットをつけてそう念を押し、奥のカーテンへと誘導した。
このメモの意味とフィガロの反応、何か関係がありそうだが……一体、どういうわけなのだろうか。
そして、あの角煮饅頭屋の店主……。
……わからん。
今のままでは流石に思案に余る。
ショーを見ながら、何かヒントがないか探してみることにしよう。
ショーの会場は時計塔広場の三分の一くらいの広さがあった。
扇型に配置された観客席は階段上に並び、一番下の階層に備えられた舞台を広く見渡すことができた。
「わぁ、ししょー、いっぱい人が見にきてるね!」
「そうだな。
それだけこのショーが人気なんだろう」
それにしても、魔法の気配が強い。
どうやら空間魔法以外にもあらあら仕掛けられているようだが、いくら同時思考演算ができるといっても数が多すぎて把握が難しい。
少し調べてみたが、それらの大半はどうやら何かを隠すためのダミーの魔法のようだが……。
きな臭くなってきたな。
「マトーさん、どうしたんです?
急に難しい顔して」
そんなふうに考え込んでいると、傍からひょっこりと、薄い琥珀色寄りのさらさらの銀髪を携えた少女が、下から覗き込んできた。
「……いえ、なんでもありませんよ。
少々、魔法の気配に当てられただけです」
あまりにそれが唐突で、思わず、かわいい、だなんて口走りそうになるのを必死に堪えながら、平然を装って答える。
危ない、危うくいつものキャラが崩れるところだった。
「へぇ、ししょーも魔法で酔うことあるんだね!」
「私も魔法使いの端くれですからね」
事実、魔法に長けた人物は魔法の気配に敏感だ。
というよりは、魔力の流れを感知する機能、と言うべきか。
だから、あまりにも乱雑な魔法の気配が充満した空間にいれば、いわゆる乗り物酔いに似た感覚を受けることがある。
フィネも俺ほどではないにしろ魔法の気配には敏感なはずだが……まぁ、才能の差、と言うことだろうな。
できる弟子を持つと師匠は辛い。
あ、俺は別に、本当に魔法に酔ったわけじゃないからな?
魔法に強い人は、こういう酔いに対しても耐性を持つことができるというのもまた事実だ。
嘘じゃない。
決して強がりでは──
と、言い訳じみたことを頭の中に浮かべながら、苦笑いしてチケットに書かれた席番を頼りに移動する。
場所は、だいたい中心ほどの席。
真ん中の列の、中腹あたり。
端から端まで、演奏している劇団がいる舞台がよく見渡せる。
多少遠く感じるが、この世界の人々は総じて目がいい。
これくらいの距離なら余裕で見える。
……俺か?
俺もちゃんと見えてるぜ。
二人の間に挟まるようにして、席に座る。
「ちょっとごめんよ、前を失礼する……って、あれ、喫茶店のマスターじゃねぇか!
やっ、昨日ぶり!」
すると、聞き覚えのある声が鼓膜に届いた。
声の主を見上げてみると、そこには先日喫茶店に来た半獣人のムルックが、驚きの顔を浮かべながらこちらを見下ろしていた。
「あなたは、たしかムルックさん?」
「お、覚えてくれてるとは嬉しいねぇ。
隣の二人は?
もしかして彼女?」
ニッ、と笑顔に切り替えて、右隣のフィネの隣に腰を下ろすムルック。
「いえ、二人はうちの弟子と従業員です。
ちょうど休みだったので、時計塔広場に遊びに来たのですが、偶然チケットが手に入りましてね」
「へぇ、偶然……」
一瞬だけ、スッと目を細めるムルック。
……これは、何かあるな?
短い期間だったとはいえ、冒険者として過ごしてきた俺の勘がそう告げている。
だが繋がりの確証がない。
まだ、何も。
……迂闊に言葉にするのは愚策だな。
「それって、つまり誰かに貰ったって事かい?
例えば、黒尽くめの女性からとか」
「……黒尽くめの女性、ですか?
いえ、俺が受け取ったのは、角煮饅頭の屋台をしている店主からですが」
まーた、なんかきな臭いワードが出てきたな。
そういえば、何かを運んでる行商人を護衛してこの街に来たって言ってたが……。
“パンケーキ”と何か関係があるのだろうか。
「角煮饅頭……なんか美味しそうだな。
マスターの店でも売ってるのかい、それ?」
「検討中です」
「なら、今のうちに屋台を調べなきゃだな。
きっと美味いに違いない!」
「うん!
とっても美味しかったよ!
肉汁が噛むとぶわぁって溢れてきて、それを饅頭が吸ってさらに美味しくしてくれるの!」
ムルックの評価に、目を輝かせて角煮饅頭のレポートをする。
「肉汁かぁ。いいなぁ。ちなみに味付けはどんな感じ?」
「甘くって、ふわとろ〜!
もう思い出しただけで口の中唾液で溢れちゃう……」
「あはは、かわいいねぇそれ!
いつか使わせてもらうよ」
そんな他愛もない会話を繰り広げる間にも、演奏は終盤へと向かっていく。
それに連れて、ガヤガヤと騒がしかったテント内も静かになっていき、やがてテントの中は照明が落とされた。
続いて、カッ、と舞台の中心がサーチライトに照らされ、一人の薄い金色の髪の男の姿があらわになる。
男はライトの中で帽子を取りながら恭しく貴族式の例を見せながら、こちらに顔を向けていた。
燕尾服にふんわりとした赤いネクタイ、それから頭にはシルクハット。
顔には恐怖を与えるような笑顔の形に三日月を切り抜かれた白い仮面を被っており、白い手袋をした手にはステッキが握られている。
革の靴は黒。
そして仮面からは何か魔法の気配がしている。
この魔法は……精神干渉系か。
あの画面が不気味に見えるのは、おそらくその魔法のせいだろう。
「みなッさん♪」
高く、ハキハキとした声。
そして、どこか芝居がかった、妙な抑揚のある声だった。
「今日は世界一珍し〜いパンケーキたちの巣窟、エドモンと愉快な仲間たちによるフリークショーに御参上頂き、誠にありがとう⤴︎ございます⤵︎♪」
パンケーキ……ッ!?
彼の紹介に、思わず目を見開く。
俺の頭にはその時、『パンケーキを助けて』という例のメモの言葉が過ぎっていた。
それがまさか、いや、だが、偶然か?
考え過ぎ……いや、しかし……。
頭の中がぐるぐると言葉が回る。
ダメだ、落ち着け、いつもの俺ならこんなことで動揺するわけがないだろう。
落ち着いて深呼吸する。
すると、すぐに動悸は収まり、平常心が戻った。
戻ったときに、その症状が魔法に酔って引き起こされたものだということに気がつく。
そしてさらに、この魔法の出所があの仮面であることにも気がついた。
やられた……ッ!
……やられた?
一体何に?
俺は別に、パンケーキとやらを救おうなんて微塵も考えていない。
パンケーキが何か、だとか、このチケットを渡してきたらしい存在について興味はあるが……別に、そんなヒーローまがいな事をする気はさらさらない。
それに、依頼主のわからない依頼というものもリスクがある。
いくら正義感の多少強い俺でも、ここにいる二人を巻き込んでまで助けようだなんて考えはない。
ない。
ない。
ない。
……おかしい。
何か刷り込まれてる気分だ。
なんだ、この感覚は。
魔法か?
魔法による干渉か?
「ししょー?」
「マトーさん?」
「ッ!」
俺の異常に気がついたのか、フィネとアンバーが俺の手を握って声をかけてくる。
その瞬間、何かに閉じ込められていたような感覚から抜け出せたような、そんな感覚を覚えた。
この感覚は、覚えがある。
精神干渉系攻撃魔法、夢幻回廊。
思考回路に干渉して、同じことをぐるぐるといつまでも思考させ続け、精神を崩壊させていく魔法で、広く自白を強要させるための魔法として用いられる。
俺の魔法抵抗力と夢幻回廊の影響力が拮抗した結果、さっきのように正気に戻ったり変な思考へ逆戻りしたりを繰り返していたんだ。
これは、危ない。
明らかに俺に対して敵意がある。
理由は……まぁ、これしかないだろうな。
手元のチケットを見下ろして、小さくため息をつく。
「……二人とも、ここを出ましょう。
少し、危険な匂いがします」
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