第五話 三日目 十二時
「国外退去命令が、正式な文書で?」
国王が動きを止めた。
「はい!」
王都へ戻った騎士は、息を切らしながら答えた。
「王太子殿下の署名、王家の印章があるとのことです。本日の日没までに国外へ退去せよと!」
国王はしばらく何も言わなかった。
「……レオナール」
低い声だった。
「そこまでやっていたのか……」
国外退去を命じたとは聞いていた。
だが、正式な命令書まで発行していたとは聞いていない。
口頭の命令であれば、国王の帰還要請を伝えれば済む。
しかし、王家の印章が押された正式な命令書なら話は別だった。
「撤回書を作れ!」
国王が叫んだ。
「今すぐだ!」
文官たちが一斉に動いた。
「アニエスに対する国外退去命令を、本日この時をもって撤回する! 帰還については命令ではなく要請とせよ!」
「要請、ですか?」
「当然だ!」
国王は机を叩いた。
「こちらが勝手に追い出しておいて、今度は帰ってこいと命令できるものか!」
「承知しました!」
文面が作られる。
確認。
国王の署名。
王家の印章。
普段なら何人もの確認を経る正式文書が、恐ろしい速度で完成していく。
「できました!」
「持って走れ!」
時刻は十二時十五分。
騎士が文書を受け取った。
「第三宿場まで通常なら六時間です!」
「五時間で行け!」
「はっ!」
「宿場ごとに馬を替えろ! 騎手も替えて構わん! 絶対に止めるな!」
「はっ!」
王宮を一騎の馬が飛び出した。
目指すは第三宿場。
日没まで、あと五時間四十五分。
◇
side アニエス
十五時。
「そろそろ出発します」
私は席を立った。
朝から待っていたが、正式な撤回書はまだ届いていない。
追跡隊長が時計を見た。
「……もう少しだけ、お待ちいただくことはできませんか?」
「申し訳ありません」
私は国外退去命令を見せた。
「ここから国境までは、荷馬車で三時間ほどですよね?」
「はい」
「日没は十八時です」
これ以上待てば、今度はこちらの命令に従えなくなる。
「正式な撤回書が届けば帰ります。でも、届いていない以上、今はこちらに従うしかありません」
「……おっしゃる通りです」
隊長は小さく息を吐き、部下を振り返った。
「私と三名はアニエス様に同行する。残りはここに残れ。撤回書が届き次第、全速力で追え!」
「はっ!」
「同行してくださるのですか?」
「もちろんです。王都へお連れできない以上、せめて国境までの安全は我々が確保します」
「ありがとうございます」
商隊が第三宿場を出た。
荷馬車の前後には騎士たち。
昨日までは普通の旅だったはずなのに、ずいぶん豪華な護衛がついてしまった。
◇
「商隊長」
しばらく進んだところで、追跡隊長が声をかけた。
「はい?」
「この先は道が少し荒れていると聞いています。速度を落としていただけますか?」
「このくらいなら平気だぞ?」
「積み荷もあります。万一、車輪を傷めれば国境まで辿り着けなくなる可能性があります」
「まあ、そりゃそうだが」
「日没までに到着できる速度で、安全を優先していただきたい」
「騎士様がそう言うなら」
商隊の速度が少し落ちた。
しばらく進む。
今度は隊長が、荷馬車を引く馬を見た。
「商隊長。馬を一度休ませた方がよいのでは?」
「まだ大丈夫だぞ」
「ここから国境まで走り続けるのでしょう?」
「ああ」
「途中で疲れさせるより、余裕のあるうちに休ませた方が安全です」
「まあ……それもそうか」
商隊が止まった。
馬に水を飲ませる。
騎士隊長は馬から降りると、後ろの街道を見た。
じっと見ている。
何かを待っているように。
「隊長さん」
商隊長が声をかけた。
「はい」
「もしかして、時間を稼いでるのか?」
「はい」
即答だった。
商隊長が目を瞬いた。
「……認めるのか?」
「もちろんです」
隊長は胸を張った。
「現在、アニエス様がお持ちの国外退去命令は有効です。我々には、その命令に従って国境へ向かわれるアニエス様を止める権限はありません」
「うん」
「ですが、日没までに確実に国境へ到着できる範囲で、安全を優先することに何の問題がありましょう」
「いや、まあ……ないな」
「そのうえで、撤回書が追いつくための時間も確保できるのであれば、なお結構です」
ものすごく真面目な顔だった。
私も聞いてみる。
「つまり、安全のためというのは本当だけれど、時間稼ぎでもあるんですね?」
「その通りです」
また即答した。
「隠さないんですね」
「隠す理由がありません」
隊長は胸を張ったまま答えた。
「王国騎士として、この時間稼ぎに何ら恥じるところはありません」
「……そうですか」
「はい」
立派な顔で言い切られてしまった。
私は少し考える。
「日没までには、間違いなく国境へ着くんですよね?」
「それは必ずお約束します」
「でしたら、私は構いません」
今度は隊長が少し驚いた。
「よろしいのですか?」
「私は命令どおり、日没までに国外へ出られればいいので」
「ありがとうございます」
隊長が深く頭を下げた。
「それでは、安全第一で参りましょう」
「時間稼ぎだろ?」
商隊長が笑った。
「安全第一です」
「時間稼ぎでもあるんだろ?」
「もちろんです」
「やっぱりそうじゃねえか」
商隊長が声を上げて笑った。
私も少しだけ笑った。
それから商隊は、安全第一で、ゆっくりと国境へ向かった。
◇
side 王国
十七時十五分。
「第三宿場だ!」
王都から走ってきた騎士が、最後の馬から飛び降りた。
手には、王家の印章が押された正式な撤回書。
「アニエス様は!」
宿場に残っていた騎士たちが駆け寄ってくる。
「十五時に出発されました!」
「どこへ!」
「国境です!」
「二時間十五分前か……!」
騎士は荒い息を吐いた。
ここから国境まで、荷馬車なら三時間。
「騎馬なら一時間だ!」
新しい馬が引き出される。
「行けるか?」
「行きます!」
「馬は!」
「用意してあります!」
騎士は渡された手綱を握った。
今まで乗ってきた馬は、もう走れない。
だが、この馬は休ませてある。
「撤回書を!」
胸元へ入れる。
そして、馬上から街道の先を見た。
アニエスは、この先にいる。
日没まで、四十五分。
「行くぞ!」
「はっ!」
第三宿場へ残っていた騎士たちが、一斉に馬を走らせた。
国境までは、全力でも一時間。
残された時間は、四十五分。
それでも。
誰一人、諦めなかった。




