【第二話】ハプニング
「それじゃ、私たちはもう帰るから」
「おう。それじゃ。文香はまた明日、かな?」
「そうね。お互いに寝坊しなければ、だけど。代返はしないからね」
そう言ってドアが閉まって廊下を歩いてゆく音がした。
「はぁー……。なんか……疲れた……」
気を張っていたつもりはなかったのだが、無意識では緊張していたようだ。二人が帰って玄関の壁にもたれ掛かったと思ったら、その場にしゃがみ込んでしまった。
ピンポーン
「ん?誰だろ。何か忘れ物でもあったのかな」
とリビングに戻ってインターホンの画面を見てみる。
「あれ?」
そして再び玄関に戻ってドアを開ける。
「真冬、どうした?忘れ物か?」
「あの……さ。その……」
「なんだ?」
「喧嘩、してきたのよね……」
「文香とか?仲良くなったり喧嘩したり大変だな」
「そうじゃなくて……」
「ん?違うのか?じゃあ、誰と喧嘩したんだ?」
「パパとママ……」
「なんだ。家出か。って、家出⁉︎じゃあないよな?」
「その……。そう……なんだけど……」
「あー、もう、僕からも謝るなり何なりするから家に行こうか」
「家、何だけど……」
「ここから遠いとか?もう帰れないとか言うんじゃ……」
真冬は小さく頷いてから、どうしよう、と言う顔を僕に向けてきた。
「じゃあ、仕方がないのかな。今日だけだからな。あ、でも親には連絡入れろよ」
「無理」
「なんで」
「だって……。ロス……」
「なに?何か無くしたの?まさかスマホを無くしたとか?」
「ロサンゼルス……」
「ん?から帰って来たんだよな?」
「うん……」
「電話くらいできるだろ?」
小さく首を横に振る。と、ここまで来て嫌な予感がした。
「真冬、お前まさか……」
「私だけ帰ってきた……」
かぁー。やっぱりそういうことか……。家出のレベルが違うだろ……。
「分かったよ。今日はもう遅いし。仕方ないから一晩は居ても良いけど、明日には……」
とここまで言ったら真冬が僕に抱き付いて来た。
「私には健斗しかいないの!」
「いや、それは……。ま、まぁ、とりあえずはご両親に僕の家にいるから安心?してくれって言うから。電話番号教えてもらえる?」
と、真冬は僕から離れてポケットからスマホを取り出した。そして電話帳を僕に見せて来た。
「すごい着信入ってるじゃん……。本当に黙って日本に帰ってきたの?」
小さく頷く。これは気が重いな……。でも連絡を入れないわけにはいかない。僕は意を決して真冬の母親に連絡を入れた
「あの……お久しぶりです。はい。三宅です。はい。その……。真冬が……。ええ、そうです」
そこまで話してからスマホを真冬に手渡す。
「えっと……。お母さん?うん。うん。そう。健斗の家。そう。何も持ってない。うん。分かった」
簡素な会話の後にスマホが僕に戻ってきた。
「えっと……。どうなりましたか?え、あ、はい。今日のところはそのつもりですが……。え?え?どういう……、あ!ちょっ‼︎」
切れてしまった。電話。
「なんだよ。マジかよ……」
丸投げ。僕に丸投げ。返さなくても良いから、そのまま貰ってくれ、とか。返品は受け付けません、とか。
「真冬……。お前、向こうで何をして来たんだよ……。でもこの家に住むにしてもだな……。あー、もう。考えるのが疲れた」
そう言ってドアを押さえて開いたら、その横を真冬が通って靴を脱いで中に入って行った。こんなの文香に知られたら何て言われるか……。
「ねえ、健斗」
「なんだ?」
半ば諦め気味に返事をする。すると真冬は少しだけ申し訳なさそうにこう言って来た。
「結婚、してくれない?」
結婚。確かにそう言ったよな。まだ大学二年生だよな。そもそもなんで結婚なんだ?などと冷静に考えてしまった。
「ダメ?」
「いやいやいや。ダメとかそういうのじゃなくてだな。両親の……」
とここまで言って真冬の母親からは僕に貰ってほしいなんて言われたばかりだし。と。まさか。
「あのさ。この場所って僕の親に聞いたって言ってたよね?その時は帰って来ました、とかだけ言ったの?」
首を横に振る。
「あー……」
多分だけど、一緒に暮らすことになったとかそういう風に言ったのだろう。母さんも真冬ならって以前言ってたし。八方塞がり。どうしたものかな。
「まぁ、とりあえずこのまま放り出す訳にはいかないか……」
僕は半ば諦め気味で狭い部屋に置かれた座椅子に座った。
「ねぇ、健斗」
「何だ?」
「お風呂、入ってもいい?」
まぁ、そうなるわな。長旅で……。って、焦っても仕方ないか。着替えとかどうするんだ。いやに冷静になってしまった。
「着替え。シャツと履くものはどうにかなるけど、下着、どうするんだ」
「……」
考えてなかったのかよ。と思ったら洗面所のドアが閉められてしまった。追いかけようと思ったけど、流石にそれは……、と思いとどまってバスルームのドアが閉まる音を確認してからシャツとハーフパンツを持って洗面所にノックをしてから入った。
「真冬、着替え、置いておくぞ」
「うん」
と、脱いだ服の上に下着が置いてあって思わず目に入ってしまった。なんか見てはいけないものを見ているような気がして、早々に洗面所を出て行った。
「しかし、これからどうしたものかなぁ。この狭い部屋に……。ああ、とりあえずどこで寝るのかを考えないとか……」
ガチャ……。
真冬がお風呂から上がったらしい。僕はスマホをいじりながら、寝る場所をどうするか考えていた。そして、真冬がこちらに歩いてくる音がした。
「髪乾かしたのか?」
「ん。まだ」
「早く乾かせよ。風邪引くぞ」
まだ夏だからそんなこともないかと思ったけど、社交辞令的な。と思ったら、僕の正面で正座をして来た。
「なん……あ……。ちょっと待て」
「これからよろしくお願いします」
「おま……」
正座をしてお辞儀をするものだから襟首から胸元が顔を出す。と、それだけならまだしも……。
「いいから!それはいいから‼」
「でも。こういうのはしっかりしておかないと」
「下着!」
「え?あ!」
あ!、じゃないよ。本当に。見えてしまったじゃないか。胸が。
「見た?」
「あー……。その……。不可抗力だな」
真冬は両手で胸を覆って身体を横に振っていた。真冬。下着を着ていない!真冬はそんなに胸がある方じゃ無いから完全に見えてしまった。目に焼き付いてしまったじゃないか。普通はラッキーくらいに思えるのかもしれないが、流石にこのシチュエーションだと焦る。そして真冬は立ち上がって洗面所に消えていった。多分だけど、下着を着けに行ったのだろう。
そして、ドライヤーの音が止んだと思ったら洗面所から手招きをする手だけヒラヒラとしているのが見えた。
「真冬、なんだ?」
「こっちに来て」
なんだ?僕はアレコレ考えながら立ち上がって洗面所に向かう。
「あの……。パンツ、貸して」
「はぁ。って、パンツ⁉」
「履いてない」
「あのさ、明日買いに行くにしても、今晩はそのさ……。着てきたやつあるだろ?」
流石にと思ったけど、洗濯機が動いている音がする。まさかとは思ったけど、そのまさかであった。
「洗っちゃった」
「はぁ……。トランクスしかないぞ」
もうこうなったら諦めるしかない。なにも履いていないよりはマシだ。僕はクローゼットの中の引き出しから買ってあった新品のトランクスを取り出して、あえて袋のまま手渡した。
「新品だから気にしないで」
「あ、ありがと」
とそこまで言って手が通る程の隙間しか開いてなかった扉が閉められた。僕は再び座椅子に戻ってから、出てきた真冬をどうするか考えていた。
「そうだな。そうしよう」
出てきたら早々にベッドに放り込んでタオルケットを巻いて貰う。それで、そのまま寝て貰う。と、そこに真冬が戻ってきた。
「何かスースーする」
「スカート履いてるときと同じようなものだろ」
「そうじゃなくて……」
恥ずかしそうにもじもじしている。そんな風になるなら下着を洗わなければ良かったのに。
「何でもいいから、早くベッドに入って」
「え?」
「え?」
「その……。結婚してとは言ったけど、心の準備が……」
「あ!そうじゃなくて!そこのタオルケットを巻いて!」
「え?あ、うん」
無言。座椅子の後ろで布が擦れる音がする。そして音が消えたと思ったら突然、僕の首に腕が回ってきた。
「なんだ?」
もうここまで来たらなにがあってもおかしくない、とか思ってしまって諦めの声を出した。
「健斗」
「ん?」
「私、どうしたら良いと思う?」
「どうしたら?これからのこと?まぁ、とりあえず寝ろ」
「そうじゃなくて……。迷惑、だよね?」
迷惑。とは少し違うのだけれど、なんというか……。精神的によろしくない。すぐ後ろには下着を着けていない女の子。いくら幼馴染とはいえ、こんな状態になったら否が応でも反応してしまう自分が居る。
「真冬はさ。本当にこれでいいのか?」
「うん。これがいい。でも健斗が文香ちゃんを選ぶのなら諦める」
「そんな軽いものなのか?」
「そうじゃなくて、私は健斗の邪魔をしたくないの。だから、こうしてこんなことをしてるのは迷惑……、じゃなくて邪魔なんじゃ無いかなって」
確かに困ってはいるけども邪魔であるとは感じない。かと言ってこのまま同居するのは正直なところ自分の意思が保たない。
「邪魔とは思ってないかな。でもさ……。一応僕も男だからさ……」
「私なんかでもそう思ってくれるの?」
思わない方がおかしい気がしたけど、それは昔から真冬のことを女の子として見ていたという証拠なのかもしれない。
「そうだな。僕も標準的な二十歳だからな」
「そ、そうよね。やっぱりこれから……」
「それは大丈夫だから。それじゃ、僕はこのまま床に寝るから真冬は僕のベッドを使って」
これ以上の会話はまずい方向に向かうと判断して、僕は逃げるように床に転がって真冬に背中を向ける。そして、小さく息を吐く音がした後にタオルケットが擦れる音がした。無事にベッドに横になってくれたようだ。
「電気、消すぞ」
「うん」




