7日目『撤退』
泥の味。
生ぬるい、腐葉土の悪臭。
何度、繰り返せば、気が済むんだ。このイカれた、クソゲーは。
オレは、薄暗い森の中で、仰向けに、倒れていた。
空を見上げ、ただ、自分の置かれた状況を、噛み締める。
――この世界で、オレは、一種の無敵モードだ。
敵からの攻撃は、一切、受けない。
傷も、つかない。痛みも、ない。
ましてや、死ぬことすら、ない。
システムで言えば。
オレは、この世界に存在しちゃいけない、『エラー』みたいな存在だ。
だが。
その代償が、デカすぎる。
オレは、誰にも、認知されない。
触れることすら、できない。
担当の、勇者を除いては。
オレへの攻撃は、全て、無効。
だが、担当勇者の痛みは、オレに、ダイレクトに伝わる。
そして、担当が死ねば――オレも、死ぬ。
挙げ句、せっかく関係を築いて、受け入れられても。
担当が死ぬたびに、また、初期状態に、リセットされる。
何度でも。何度でも。
正直に言えば。
オレは、自分が死ぬことには、全く、動じない。
それは、シンプルな話だ。
死ぬってのは、自分が、弱いからだ。
対戦相手より、弱い、自分が悪い。
逆に言えば。
弱く、なけりゃ、死なねぇ。
どんな時でも、相手より、少しでも有利に。
少しでも、強く。
そのためにする努力に、無駄なんて、一切ない。
泥水をすすり、仲間の死骸を乗り越え、何度も心が折れかけながら。
それでも、剣を振り続けて、強くなって。
オレは、たった一人で、魔王を、ぶっ殺した。
『強くなれば、生き残れる』。
それが、オレの、生き方だった。
オレを、オレたらしめてきた、唯一の、芯だった。
――だが。
今回は、どうだ。
オレが、いくら強くても。
一切、何も、できない。
オレ自身が、どれだけ努力して、強くなったところで。
なんの、解決にも、ならない。
全ては、担当勇者に、預けるしかない。
自分の、命すら。
「……ふざけやがって」
オレは、ぎりっと、奥歯を噛み締めた。
このスキルの、クソさに。
腹の底から、怒りが、煮えたぎる。
そして、何より。
何も、できずに。
二度も、あのガキを――アヤを、救えなかった、自分が。
心底、嫌になる。
「……何が、教育係だ」
吐き捨てた言葉が、虚しく、森の中に、溶けていった。
†================†
しばらく、オレは、その場で、考えていた。
どれくらい、そうしていただろう。
やがて、オレは、ヨロヨロと、立ち上がる。
【マップ】に記された、勇者の信号へ向かって、重い足を、引きずる。
……今回の合流は、悲惨なものだった。
一回目、二回目より、明らかに、足が、遅い。
気力が、湧かねぇ。
気づけば、三十分以上、経っちまっていた。
それでも。
オレは、感情を、無理やり抑えつけ。
ただの、ナビゲーションシステムに成り下がって、機械的に、アヤたちを、誘導した。
全てが、同じ流れだ。
ギルドでの謝罪。森での、ゴブリンキング討伐。
――今回も、アヤが、死ななかった。
討伐後、街へ戻る。
(……食事が、怪しい)
オレは、初めから、そこに、目星をつけていた。
二回目の死は、夜だった。だとすれば、毒殺の線が、濃い。
(整理するぞ。考えられる死因を、一つずつ、潰す)
毒殺。暗殺。病死。
それとも――もっと、別の、何か。
わからねぇなら、消去法だ。
今回の周回の、テーマは――『検証』だ。
「打ち上げの飲み会には、参加するな。誰とも、飯を食うな」
オレは、強い口調で、アヤに、命じた。
「飯は、オレの見てる前で、火の通ったもんだけ食え。
水は、井戸から、自分で汲め。誰かに注がれた杯には、絶対に、口をつけるな」
「え、えっと……は、はい」
オレのただならぬ迫力に、アヤは、戸惑いながらも、しぶしぶ、了承する。
その夜。
酒場の方から、打ち上げの、陽気なバカ騒ぎが、聞こえてくる。
ロンたちの、笑い声。ジョッキの、ぶつかる音。
アヤは、ちらりと、そっちに目をやって。
それから、何も言わずに、宿屋の軋む階段を、上がった。
部屋に入る、直前。
くぅぅ、と。
小さな腹の虫が、鳴いた。
「……ふふ。……すみません」
アヤが、耳まで赤くして、笑う。
「でも、平気です。……あなたが、そう言うなら」
(……っ)
胸の奥が、軋んだ。
腹を空かせたガキに、飯も、ろくに食わせず。
それでも、こいつは、文句一つ言わずに、オレを信じてやがる。
(……だったら、なおさらだ。今回こそ、守り切る)
この、不器用な信頼が。
今回の周回で、オレが手にした、唯一の、希望だった。
部屋に入ると、オレは、アヤに指示を出した。
ドアの鍵を、かけさせる。
窓の閂を、締めさせる。
ご丁寧に、椅子とテーブルで、バリケードまで、組ませた。
オレ自身は、何一つ、触れねぇからな。
全部、アヤの手で、やらせるしかねぇ。
「あ、あの……何か、来るんですか……?」
「用心だ。いいから、寝ろ」
やがて、アヤが、毛布に包まり、静かな寝息を立て始める。
オレは、ベッドで眠るアヤを見ながら、部屋中を、警戒していた。
ドアの前に、陣取る。
虚空に、【マップ】を開く。
緑の網目の上で、点滅する、赤い光点。
アヤの、現在地。生きて、ここにいる、って証だ。
(……絶対に、消させねぇ)
ランプの油が、じりじりと、減っていく。
酔っ払いどもの声が、遠ざかり、消えた。
雨の音だけが、残る。
規則正しく、上下する、毛布。
毒は、盛らせなかった。
誰も、部屋には、来ていない。
(……敵が来るなら、まだいい。来ない、のが、一番、気味が悪ぃ)
何度も、自分の頬を叩いて、眠気を、追い払う。
やがて、窓の外が、うっすらと、白み始めた。
(……朝、か)
アヤの寝息。赤い光点。閉ざされた、ドアと窓。
何事もなく、朝が来る――はずだった。
だが。
「……な」
気づけば、オレは、また。
あの、初期の森の中に、立っていた。
「なんで、だよ……!」
オレは、頭を掻きむしった。
昨夜、オレは、一睡も、していない。
ずっと、警戒していた。
覚えてる。
窓の外が、白み始めるところまでは、確かに、覚えてる。
ランプの炎。アヤの寝息。点滅を続ける、赤い光点。
――そこから先の、記憶が、ない。
意識が途切れた感覚すら、ない。
瞬きの、その一瞬の間に。
世界が、丸ごと、すり替えられていた。
なのに、気づけば、この場所にいる。
なぜだ。
アヤは、死んだのか?
打ち上げにも参加させてない。毒を盛られた様子も、なかった。
なのに、なぜ。
(……毒じゃ、ねぇのか?)
脳裏に、昨夜の、アヤの顔が、よぎる。
腹の虫を鳴らして、耳まで赤くして、笑ってた。
『でも、平気です。……あなたが、そう言うなら』
オレを信じて、腹を空かせたまま、眠って。
――そのまま、消えたのかよ。
検証だなんだと、御大層な講釈を垂れて。
結局オレは、あいつの最後の夜から、あったけぇ飯の一つ、取り上げただけだった。
(……クソが)
考えても、考えても、わからない。
オレの推理は、ことごとく、空を切る。
怒りが、沸点を、超えて。
逆に、冷たく、冷えていく。
見えない敵。掴めない、死因。
同じ盤面で、いくら待ち構えても――相手が、盤の上に、いねぇんだ。
(……原因が分からねぇなら。イベントの根本を、へし折るしかねぇ)
オレは、次の周回で、賭けに出た。
ゴブリンキングを、倒さずに。
街へ、撤退する。




