21日目『口止め』
石畳。生ゴミと、安酒の匂い。
腕がある。足がある。髪も、焦げちゃいねぇ。
一日目だ。
「…………」
オレは、しばらく、立ち上がらなかった。
林の手前。草地に、ローブの背中。
ゴブリンが三匹。火。風。雷。
五回目だ。
「よぉ」
肩が、跳ねた。
「――っ!」
杖の先が、鼻先まで来て、止まる。
「……え、と。あの。ここ、危ないですよ」
「送らなくていい」
「あ、はい」
「勇者育成課の梶だ。今日からテメェの教育係。姿と声はお前にしか届かねぇ。手出しはできねぇ」
「……はぁ」
「質問は『女の子がオレって言うんだな』だろ。中身は三十のオッサンだ」
「まだ何も言ってません!」
「言うんだよ」
「なんでわかるんですか!」
「占い師だからだよ」
こいつは、まばたきを、二回した。
――二回。
(……あ)
指先が、冷えた。
昨日の夜。
同じ顔が、同じ距離で、こっちを見ていた。
まばたきが、来なかった。
杖が、上がった。
炎の中で、口の端が、きっちり同じ角度で持ち上がっていた。
「……あ?」
「あの、大丈夫ですか。顔色が」
「うるせぇ。オレの顔色が分かる目ェしてんのか、テメェは」
「……いえ、その」
(――言えるかよ)
言えば、こいつは、また焼ける。
昨日と同じ顔で、笑いながら。
(……なら、黙って進むか)
進んで、どうする。
ここから船に乗って、六日かけて北へ行って、酒場で椅子を投げてる暴れ牛に、また名乗るのか。
「ガキと女の話は聞かねぇ」と言われて。
三回怒鳴って、三回失敗して。
寝込みに潜り込んで、あの坂道を、もう一度歩くのか。
冷てぇ手を、また、握るのか。
(……無理だ)
膝の裏が、抜けた。
オレは、そこにしゃがみ込んだ。
あの熱量を、もう一度。
一から。同じ言葉で。同じ夜を、また。
(……無理だっつってんだよ、オレには)
「あの……梶さんでした?」
杖を置いて、カイトが、しゃがんだ。
オレより、目線を下げて。
「どこか、痛みますか」
「痛くねぇ」
「……そうですか」
そいつは、それ以上、聞かなかった。
ただ、そこにしゃがんだまま、動かなかった。
「……やめだ」
ぽつり、と、口から落ちた。
「え?」
「やめだ、やめ」
オレは、立ち上がった。
こいつの袖を掴もうとして――手が、するりと抜けた。
「……ちっ」
「あの」
「来い」
「え、どこに」
「飲みに行くぞ」
「――え!?」
「やってられっかァ!!」
街の酒場は、昼間から出来上がった親父どもで埋まっていた。
汗と、こぼれた酒と、焼けた肉の匂い。
隅の卓に、カイトが、居心地悪そうに座っている。
「あの……飲めるんですか?」
「飲めるわけねぇだろ。この体だぞ」
「じゃあ、なんで酒場に」
「テメェが飲むんだよ」
「――えぇ!?」
「安いのでいい。とりあえず二杯持ってこさせろ」
「二杯!?」
「一杯じゃ足りねぇだろ、こういう時は」
「僕が飲むんですよね!?」
「当たり前だ」
カイトは、恨めしそうな顔でオレを見てから、店員に手を挙げた。
素材を売った金は、こいつの財布に、まだ多少は残ってる。
今回は、言い値で売るなと先に言っておいた。おかげで、前の四回より、少し多い。
(……役に立つな、五回目の知識ってのは)
役に立って、どうする。
木のジョッキが、二つ、卓に置かれた。
「……いただきます」
こいつは、律儀に手を合わせてから、一口飲んだ。
三口で、耳の先まで、真っ赤になった。
「……テメェ、弱ぇな」
「初めてなので」
「初めてかよ!」
「はい」
(……あー)
十八だ。そういや、そうだった。
赤い顔のまま、こいつの喋り方は、一つも崩れなかった。
背筋も、伸びたままだ。
(……律儀な野郎だ)
†================†
しばらく、どうでもいい話をした。
ドラゴンボールの話。図書館の話。オレが十代の頃に折った鼻の話。
隣の卓の親父が、誰もいない席に向かって喋ってる十八のガキを、遠巻きに見ていた。
そのうち、そいつも飽きて、自分の酒に戻った。
「梶さん」
二杯目に手をつけたあたりで、カイトが、言った。
「何か、ありましたか」
「……あ?」
「今日、会った時から。ずっと、遠いです」
「遠いって、なんだよ」
「うまく言えないですけど」
そいつは、ジョッキの縁を、指で撫でた。
「話してるのに、僕を、見ていない感じがして」
「…………」
(……見てるさ)
見てるよ。
五回、見てる。
「……昔な」
オレは、卓に、頬杖をついた。
「行き場のねぇガキ共の、面倒を見る仕事をしてた」
「聞きました」
「その中に、一人な。とんでもねぇ石頭がいた」
「はい」
「口が悪ぃ。人の話は聞かねぇ。止めりゃ止めるほど走る。……そいつを落とすのに、死ぬ思いをした」
「……はい」
「そいつをな」
オレは、天井を見上げた。
「もう一回、最初からやれって言われたら――正直、きつい」
言ってから、自分の言葉が、耳に残った。
しばらく、カイトは、何も言わなかった。
急かしもしねぇ。慰めもしねぇ。
ただ、待っていた。
「……その人のこと」
やがて、そいつは聞いた。
「嫌いですか」
「あ?」
「もう一回はきつい、って。……嫌いな相手なら、そう言うのかなと思って」
オレは、口を開いて。
閉じた。
(――嫌いなわけ、ねぇだろ)
あの、めんどくせぇが口癖の、バカが。
鉄の床の上で、ぼたぼた涙をこぼして、先生、と言いやがった、あれが。
嫌いなわけがねぇ。
「……嫌いじゃねぇよ」
「そうですか」
「むしろ」
喉が、詰まった。
「……むしろ、な」
「はい」
「もう一回落とすのが、きついんじゃねぇ」
指が、卓の木目を、なぞった。
「もう一回、失くすのが、きついんだ」
――言葉にして、初めて分かった。
オレが逃げてたのは、面倒からじゃねぇ。
またあいつらと肩を並べて、また目の前で消えるのが、怖かっただけだ。
自分でも気づいてなかったもんを、こいつは、二つ三つの質問で、引きずり出しやがった。
(……天性だな、こりゃ)
前の職場にも、たまにいた。
誰も傷つけずに、人の腹の底を開けちまう奴が。
「梶さん」
「なんだよ」
「その人、幸せ者ですね」
「……は?」
「そこまで思ってもらえるのは」
こいつは、赤い顔で、少しだけ笑った。
「羨ましいです」
オレは、そっぽを向いた。
(……ちくしょうめ)
三十のオッサンが、十八のガキに慰められてやがる。
情けねぇにも、ほどがある。
だが。
膝の裏の、抜けてたやつが。
いつの間にか、戻っていた。
「……おい、カイト」
「はい」
「明日から、忙しくなる」
「え」
「船に乗る。北だ。荷物、まとめとけ」
「北」
「文句あんのか」
「いえ」
そいつは、ジョッキを置いて、まっすぐこっちを見た。
「梶さんが行くなら、行きます」
五周目の、一日目の記録だ。
最後に、あいつが言ったことを、そのまま書いておく。
「梶さん。次に潰れそうになったら、また誘ってください」
……覚えてねぇくせに、よく言いやがる。




