20日目『同じ顔』
尻から、落ちた。
石畳が、硬てぇ。生ゴミと、安酒の匂い。
「……いってぇな、クソが」
言ってから、動かなかった。
右手を、上げてみる。
――ある。
指が、五本。爪も、ちゃんと生えてやがる。
左手で、右の肘の下を握った。ある。
右の膝を叩いた。太もも。すね。足の裏。
全部、ある。
痛くねぇ。血も出てねぇ。
何も起きちゃいなかったみてぇに、綺麗なもんだ。
――太鼓の音が、耳の奥で鳴った。
一発だけ、どん、と。
「――ぁ」
喉から、変な音が出た。
オレは、両手で顔を覆って、そのまま、動けなくなった。
(……四人)
一人ずつ、目の前で消えた。
オレはそこにいた。腕も足も持ってかれて、床に転がって、指図一つできずに。
石畳の冷たさが、尻から、じわじわ上がってくる。
荷車の音がした。パンの匂いがした。誰かが笑いながら通り過ぎていった。
この街は、何も知らねぇ。
「…………」
オレは、膝に手をついて、立ち上がった。
膝が、笑ってやがる。
(――上等だ)
震えてんなら、震えたまま歩け。止まるよりは、マシだ。
林の手前。石垣の上に、あぐらをかいた。
下の草地に、ローブの背中が現れる。そのあとで、ゴブリンが三匹。
「――【火矢】」
「【風縛】」
「【雷槍】」
四回目だ。一秒の狂いもねぇ。
だが、今日は、胸のざらつきが違った。
こいつは、生きてる。
昨日、黒い床の上で杖を下ろしたまま消えたこいつが、今、そこで煤を袖で拭ってやがる。
「よぉ」
肩が、跳ねた。
「――っ!」
杖の先が、鼻先まで来る。
「送らなくていい。危なくもねぇ。オレは迷子じゃねぇし、親もいねぇ」
「え」
「勇者育成課の梶だ。今日からテメェの教育係。姿と声はお前にしか届かねぇ。手出しは一切できねぇ。以上」
「……あの」
「『女の子がオレって言うんだな』だろ。中身は三十のオッサンだ」
「まだ何も言ってません!」
「言うんだよ、テメェは」
「なんでわかるんですか!」
「占い師だからだよ」
カイトが、杖を抱えたまま固まった。
「あと、雑貨屋に言い値で素材を売るな。三分の一に買い叩かれてんだよ、テメェは」
「――なんでそれも知ってるんですか!?」
「占い師だっつってんだろうが」
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その夜。
宿の屋根に登った。瓦が、まだぬるい。星が、やたら多い。
(――結論から言う)
このままなら、また死ぬ。必ず、死ぬ。
黒い部屋のあの少年は、こっちの手を一つも受け付けなかった。
剣が通らねぇ。魔法も通らねぇ。太鼓も、読みも、指示も。
積み上げ方の問題じゃねぇ。積み上げるもんが、そもそも違う。
(……なら、何が要る)
答えは、無ぇ。
だが、道具ならある。オレは、指を折った。
一つ。四人がどこにどんな面で立ってるかを、全部知ってる。前は見つけるだけで十五日かかった。今日は一日目だ。
二つ。誰にどう言えば動くかを、知ってる。
三つ。敵の手の内を、知ってる。ゴブリンが湧く。キングが出る。ザガンが来る。血で円を描く。魔王の光は、曲がる。
四つ。――失敗しても、また来られる。
(……四つ、か)
言葉にすると、ずいぶん貧相だ。
貧相でも、手札は手札だ。だが、四枚じゃ、足りねぇ。
足りねぇもんを、どこから持ってくる。
「…………」
オレは、瓦の上で、長く息を吐いた。
前の周回で、オレは、あの暴れ牛に偉そうなことを言った。
一人で届く範囲は決まってる。頼れねぇ奴は、腕の長さより先を全部捨ててる。
頼るのは、逃げでも甘えでもねぇ。もっと強ぇ戦い方だ。
(……言った本人が、ずっと一人で抱えてんだよな)
四人全員に言う気は、ねぇ。
死ぬと分かって走れる奴は、そういねぇ。足が止まる。鈍った分だけ、死ぬのが早くなる。
だが、一人なら。
一番、頭が回って、聞いても足が止まらねぇのが、一人。
オレは、屋根から、下の窓を見た。
ろうそくの明かりが、まだ漏れていた。
「話がある」
カイトは、机の本を閉じて、こっちを向いた。
「はい」
「座って聞け。……長ぇぞ」
オレは、全部、話した。
この一日が、四回目だってこと。
テメェらは、もう死んでること。四人ともだ。
誰か一人でも死ねば、オレも死んで、時間が一日目に巻き戻ること。
覚えてんのは、オレだけだってこと。
黒い部屋に、少年の姿をした魔王がいて、何をやっても通らねぇこと。
話してる間、こいつは、一度も口を挟まなかった。
ろうそくの芯が、ぱち、と鳴った。
「……なるほど」
長い沈黙のあとで、そいつは言った。
「なるほど、って、テメェ」
「信じます」
「早ぇんだよ」
「梶さんは、僕が言い値で売ってることを知ってました」
カイトは、静かに続けた。
「あれ、誰にも言ってないんです」
「…………」
「何回ですか」
「……四回だ」
「僕は」
そいつの指が、机の縁を、そっと撫でた。
「どんなふうに、死にましたか」
オレは、答えられなかった。
白い線が、林みてぇに並んで、一斉に落ちて、途中で全部曲がった。
あれを、こいつに言えるか。
「……悪ぃ。それは、勘弁してくれ」
「わかりました」
カイトは、うなずいた。
それから、少しだけ、笑った。
「……梶さんは、それを、ずっと一人で見てたんですね」
「――」
喉が、詰まった。
こいつは、いつもそうだ。
自分が四回死んだと聞かされて、最初に、こっち側から物を見やがる。
「うるせぇ。同情はいらねぇ」
「同情じゃないです」
「なんだよ」
「……次は、僕も、覚えていられたらいいのに」
そう言って、こいつは、まばたきをした。
――それが、最後だった。
次の、まばたきが、来なかった。
「……カイト?」
返事が、無い。
そいつは、まだ、こっちを見ていた。
見ているのに、目が、動かねぇ。
ろうそくの火が揺れても、瞼が、一度も落ちねぇ。
首の後ろが、ざわりと逆立った。
「――おい」
カイトの手が、杖を取った。
ゆっくりと。迷いも、ためらいも無ぇ動きで。
杖の先を、自分の胸に、当てた。
「――やめろッ!!」
オレは、飛びついた。
飛びついて、すり抜けた。
「【火矢】」
こいつの声じゃなかった。
抑揚が、一つも無かった。
橙が、内側から膨れた。
胸から、肩へ。首へ。髪へ。
「カイトォ!!」
炎が、壁を舐めて、机を舐めて、部屋ごと膨れ上がる。
――熱い。
「――は?」
熱かった。
竜の炎は、素通りした。オレがそこにいねぇみてぇに、通り過ぎていっただけだ。
なのに、これは、焼ける。
腕が、髪が、頬が。
(――普通の火じゃ、ねぇ)
炎の中で、こいつは、立っていた。
倒れもしねぇ。悶えもしねぇ。
顔だけが、こっちを向いていた。
カイトの顔だった。
輪郭も、鼻も、目の形も、何一つ変わっちゃいねぇ。
なのに。
そいつは、笑っていた。
口の端を、きっちり同じ角度で持ち上げた、作り物みてぇな笑みで。
炎の中で、瞬き一つ、しなかった。
オレは、その笑い方を、知っている。
白い部屋で、床が抜けるたびに、最後まで崩れなかった、あの顔だ。
「――テメェ」
声が、掠れた。
「テメェ、なにしやがった」
答えは、無かった。
笑顔が、崩れなかった。
視界が、白く、灼け落ちた。
尻から、落ちた。
石畳。生ゴミと、安酒の匂い。
腕がある。足がある。髪も、焦げちゃいねぇ。
一日目だ。
オレは、しばらく、立ち上がらなかった。
記録に、一行、足しておく。
――ループのことは、誰にも言うな。
理由は、書かねぇ。
書いたら、また、あの顔を思い出す。




