18日目『持ち場』
冷や汗ってのは、思ったより、あったけぇ。
背中を、つっと一本、伝っていった。
(……久しぶりだな、これ)
オレが自分で戦ってた頃は、こんなもんはかかなかった。
理由は単純だ。責任が、全部、自分にあったからだ。
読み違えりゃ、オレが死ぬ。判断を誤りゃ、オレが痛ぇ思いをする。
それだけの話なら、腹はくくれる。
だが、今日は違う。
オレが読み違えたら、死ぬのは、そこに立ってるガキ共だ。
前の現場は、一人だった。
一人を守ってりゃ、よかった。
今度は、四人。
それも、まだパーティーとも呼べねぇ、寄せ集めだ。
冷や汗が、顎まで落ちた。
オレは、それを手の甲で拭って――少しだけ、笑った。
「……上等だ」
「散れ!」
オレは、吠えた。
「固まるな! 一箇所に集まったら、まとめて刈られるぞ!」
「あ? 囲むんじゃねぇのか!」
「まとまりがねぇんだ! 今日は、まとまろうとするな!」
四人が、ばらばらに、走った。
それでいい。
連携ってのは、練習した奴だけがやれる贅沢品だ。持ってねぇ物を、実戦で出そうとするな。
「スヨン! テメェが軸だ! 正面から離れるな!」
「おうよ!」
「カイト! スヨンの後ろ! あいつが崩れたら、そこを埋めろ!」
「はい!」
――で。
視界の隅で、影が、す、と薄くなりかけた。
「マークゥ」
オレは、そっちを、見た。
「……あ、はい」
影が、戻る。
「消えんのは構わねぇ。消えて、どこに出るかを、オレが決める」
「えー」
「不意打ちだ。合図はしねぇ。テメェが、一番いいと思った時でいい」
マークの、フードの奥が、動いた。
「……へぇ」
そいつは、初めて、こっちに目を据えた。
「梶さん、そういうの言うんだ」
「一番上手ぇ奴に、一番難しい仕事をやらせるだけだ」
「はいはい」
軽ぇ返事と一緒に、輪郭が、すっと溶けた。
消えた、んじゃねぇ。そこに、いる。
気配だけが、綺麗に、抜き取られてやがる。
(……盗賊のスキルか。厄介なもん持ってんな)
さて。
問題は、こっちだ。
「コハル」
柵の陰で、そいつは、耳を塞いでいた。
戦場を、見ようとしねぇ。目を、閉じてやがる。
「見なくていい」
「……え」
「見るな。ずっと目ェつぶってろ」
コハルの肩が、ぴくりと動いた。
「その代わり、耳だけ開けとけ。オレが『今だ』って言ったら、太鼓を叩け」
「……それ、だけ?」
「それだけだ。一発でいい」
「……はい」
震えた指が、腰の太鼓に、かかった。
――もう、油断はしねぇ。
――判断も、間違えねぇ。
オレは、ザガンを、睨んだ。
そいつは、まだ、動いていなかった。
焼け落ちた柵を背に、手を後ろで組んで、こっちを眺めている。
――変わった。
輪郭が、揺れた。
肩の線が、盛り上がる。ローブの下で、腕が、ずるりと長くなった。
指が、増えたわけじゃねぇ。伸びたんだ。
関節の数が、人間のそれじゃなくなっていく。
「……来る」
根拠は、ねぇ。
ただ、首の後ろが、逆立った。
「スヨン! 下がれ!」
「あァ!? 今から行くとこ――」
「十歩だ!」
オレは、叫んだ。
「八歩でも、十二歩でもねぇ! 十歩、下がれ!」
「――ちっ!」
スヨンが、地面を蹴って、跳び退がった。
一、二、三。
石畳を、踏む音。
(そうだ、そこだ)
理屈はある。
あの腕は、伸びきる寸前が、一番速ぇ。近すぎりゃ、伸びる前に届く。
十歩あれば、伸びるのが見える。見えりゃ、避けられる。
(――そんで、もし光線なら)
前の世界のザガンは、手から真っ直ぐな光を撃った。
あれは、速ぇ。だが、直線だ。
十歩下がってりゃ、肩の動きが見える。見えりゃ、横に飛べる。
どっちが来ても、間に合う。
それが、オレの出せる、最善だった。
「――失礼」
ザガンの腕が、鞭みてぇに、しなった。
来た。
黒い線が、空気を裂いて、十歩を、一息で埋める。
「――っ!」
スヨンの上体が、右に流れた。
鼻先を、腕が、通り過ぎる。
石畳を、削る音。火花。
(かわした――!)
ザガンが、笑った。
歯を、見せて。
(……あ)
背筋が、凍った。
一本目は、囮だ。
そいつの、反対の肩が、もう、動いていた。
「スヨン、まだ来る!」
「――間に合わ、ねぇ!」
避けた直後だ。
足が、まだ、地面を掴んじゃいねぇ。
二本目が、その脇腹めがけて、伸びる。
一瞬で、九日目の谷が、頭に浮かんだ。
赤い花が、背中から咲く、あの光景が。
「――コハル、今だァ!!」
どん。
太鼓が、鳴った。
たった、一発。
空気が、腹の底で、震える。
ザガンの、伸びきりかけた腕が。
ほんの、わずか。
遅れた。
それは、指一本ぶんの遅れだった。
だが、指一本ぶんあれば、人間は、体をねじれる。
「――うぉおおッ!」
スヨンの体が、無理やり、横に転がった。
黒い腕が、さっきまでそこにあった空気を、貫く。
石畳に、ずぶり、と突き刺さった。
「……ほう」
ザガンが、初めて、眉を動かした。
「今のは、どなたが」
「――カイトォ!!」
オレは、叫んだ。
「もう終わってます」
低い声が、後ろから、答えた。
振り返る。
カイトは、両手で杖を掲げていた。
穂先に、白いもんが、渦を巻いて、渦を巻いて、渦を巻いている。
魔力が、練り上げられた塊が、そこにあった。
「……テメェ、いつから」
「最初からです」
そいつは、まっすぐ前を見たまま、言った。
「一番でかいのを、一発だけ。……そういう場面が来ると思ったので」
息を、吸う。
「――【雷槍】ッ!!」
音が、消えた。
白が、視界を、真っ二つに割った。
――防がれた。
ザガンの左腕が、伸びて、広がって、平たい板に変わっていた。
盾だ。肉で作った、盾。
白い光が、そいつを叩いて、四方に散る。
焦げた匂いと、肉の焼ける音。
だが。
「……上等」
オレは、拳を握った。
板になった腕の、真ん中。
そこが、ごっそり、抜けていた。
「――は、はははは!」
ザガンが、笑った。
穴の開いた腕を、掲げて。
「素晴らしい。実に、素晴らしい」
穴の縁が、ぐずぐずと動いて、埋まっていく。
数を数える間もねぇ。腕は、元の形に戻った。
「もう一度」
そいつは、両手を広げた。
「もう一度、見せてくださ――」
言葉が、途中で、切れた。
「……あ?」
ザガンの、胸元。
そこから、ぷつり、と、赤いもんが噴いた。
「――よっ」
背中から、輪郭が、にじみ出た。
マークだ。
片手を、ザガンの胸に、肘まで突っ込んでいる。
そのまま、ずるり、と引き抜いた。
どす黒い塊が、そいつの手の中で、どく、どく、と脈打っていた。
「うわ。魔族の心臓って、こんなんなんだ」
マークは、それを、目の高さまで持ち上げた。
「気持ちわる。触りたくないんだけど、これ」
「――マーク! 投げろ!」
「はいはい。スヨーン」
軽い放物線を描いて、赤黒い塊が、飛んだ。
「――おうよ!」
剣の腹が、真上から、それを叩いた。
ぐしゃ、と。
潰れた音が、焼け跡に響いた。
ザガンの膝が、折れた。
石畳に、片手をつく。
黒い血が、指の間から、だらだらと流れ落ちていく。
「……ふふ」
そいつは、うつむいたまま、笑っていた。
負け惜しみじゃねぇ。
心の底から、嬉しそうな、笑い方だった。
「さぁ……」
顔が、上がる。
「パーティーの、はじまりです」
輪郭が、崩れた。
砂みてぇに、風に、持っていかれる。
数秒で、そこには、何も残らなかった。
†================†
「……はっ、はっ……」
スヨンが、膝に手をついた。
「勝った、のか?」
「……勝ったんじゃねぇのか」
オレは、答えながら、口の中が乾いていくのを感じていた。
(――なんで、笑ってやがった)
心臓を潰されて。塵になって。
それでも、あいつは、最後まで、機嫌がよかった。
「梶さん」
カイトが、杖を下ろして、こっちを見た。
「あの人、地面に――」
「あ?」
オレは、足元を、見た。
黒い筋が、あった。
ザガンの腕が、二度、石畳を削っていった、あの跡だ。
一本目は、スヨンが避けた時。
二本目は、太鼓で遅れて、突き刺さった時。
その二本が。
繋がっていた。
「…………」
オレは、顔を上げた。
焼け跡の、通り一本ぶん。
黒い血の線が、円を描いていた。
その内側に、こまけぇ文字と、線と、印が、びっしり並んでいる。
一本や二本の腕で、描けるもんじゃねぇ。
最初の一撃から。あいつが柵の前に立った、その時から。
「……嘘だろ」
オレが、十歩下がらせた。
オレが、あの角度で避けさせた。
腕が地面を這ったのは、外したからじゃねぇ。
(――描かせたのか、オレが)
円が、光った。
血が、内側から、じわりと赤く灯っていく。
「――罠だ! 離れろ!!」
オレは、叫んだ。
「あの野郎、自分ごと、捨て駒にしやがった!」
十七日目の記録は、ここで一度、切る。
ザガンは、確かに死んだ。
オレが、この目で見た。塵になるまで、見届けた。
なのに、この日の記録は、まだ、終わらねぇ。




