14日目『半歩だ』
オレは、これでも、勘のいいほうだ。
――そう言ったのは、たしか、何日か前のオレだ。
訂正しとく。
オレの勘は、当たる時はよく当たる。
だが、外れる時は、笑えねぇほど、盛大に外れる。
馬を飛ばして、丸一日。
赤い点は、南の街道から、少し外れた場所で、ちかちかと明滅し続けていた。
進んじゃいねぇ。ずっと、同じところにいる。
「……動かねぇな」
「怪我でも、してるんでしょうか」
カイトが、手綱を引きながら言った。
「あのバカに限って――」
言いかけて、口を閉じた。
(……いや、あり得るな)
ゴブリンキングの時も、こいつは、一人で突っ込んで、腹に穴を開けられた。
肋の何本かへし折って、道端でうずくまってる図なんざ、簡単に想像がつく。
(頼れっつっただろうが、この、大バカが)
腹の底が、じくじくと痛んだ。
南へ下るにつれて、空気が、変わっていった。
風が、ぬるい。
雪が消えて、地面が黒く湿っている。木の葉が、青い。
北の国の、あの骨まで凍る風が、嘘みてぇだ。
「……あったけぇな」
「南の国、アニマの領内に入ったみたいです」
「詳しいな」
「本で読みました」
「テメェは全部それだな」
道の脇に、菜の花みてぇな黄色い花が、群れて咲いていた。
蜂が飛んでる。鳥が、やたらとよく鳴く。
――で。
そのくせ、街道には、人っ子一人いなかった。
荷馬車も通らねぇ。畑にも、誰も出てねぇ。
「……妙だな。人が、いねぇ」
「はい」
†================†
理由は、丘を一つ越えたところで、分かった。
匂いだ。
風が変わった瞬間、鼻の奥に、鉄の匂いが刺さった。
「――カイト。馬を下りろ」
崩れた石壁の陰から、下を覗く。
沢のほとりに、荷馬車が、横倒しになっていた。
車輪が外れ、積み荷が散らばっている。
その周りに、獣の死骸が、四つ。それと、赤黒く濡れた地面。
そして、その真ん中に。
――赤い点が、あった。
「いやがった!」
オレは、石壁を蹴って、駆け下りた。
「スヨン! おい、生きてんのか!」
「梶さん、待ってください、まだ何かいるかも――」
構うか。
荷馬車の陰を回り込む。
そこに。
「――ひっ」
小さい悲鳴が、上がった。
赤茶けた髪の大男は、そこにいなかった。
車輪の陰で、膝を抱えて座り込んでいたのは。
若い、女だった。
二十歳そこそこ。緑がかった、長い髪。旅装の上に、薄い外套。
背中に、弦楽器を、背負っている。
顔は、真っ白だった。
血の気が、一滴も残ってねぇ。目だけを、ぎょろぎょろと動かしている。
そして、その目が。
――こっちを、見た。
オレを、見た。
「…………は?」
見えて、やがる。
「……あ、あの」
そいつは、震える声で言った。
「え、と……その……」
「――鑑定」
反射で、口が動いていた。
『名前:コハル
年齢:二十一歳
職業:吟遊詩人
称号:勇者
状態:異常なし
――担当勇者と一致』
風が、吹き抜けた。
黄色い花が、揺れる。
「…………」
オレは、その画面を、しばらく、無言で見ていた。
「梶さん?」
「……なあ、カイト」
「はい」
「オレは今、頭がおかしくなったのかもしれねぇ」
「え?」
「もう一回、確認する。……鑑定」
『――担当勇者と一致』
同じだった。
一文字も、変わらねぇ。
「あ、あの」
女が、恐る恐る、立ち上がった。
震えながら、ぺこりと頭を下げる。
「南の国、アニマの……勇者、コハルです」
「――勇者ォ!?」
オレは、叫んだ。
「まだ、いるのかよォ!!」
「ひぃっ」
コハルが、また、しゃがみ込んだ。
†================†
事情を聞き出すのに、しばらくかかった。
こいつは、ちょっとでも声を荒らげると、亀みてぇに縮こまる。
カイトが横から、やたら丁寧に間を取り持って、ようやく形になった。
「……あの、行商のおじさんたちに、乗せてもらってて」
コハルは、地面を見ながら、ぼそぼそと話した。
「そうしたら、途中で、あれが出て」
倒れた荷馬車と、獣の死骸を、ちらりと見る。
すぐに、目を逸らした。
「……村の人たちが、あとから来て、倒してくれました。おじさんたちも、無事です」
「お前は、何してた」
「……座って、ました」
「座って?」
「……足が、動かなくて」
そいつは、外套の裾を、ぎゅっと握った。
「血、が」
それきり、黙り込んだ。
(……なるほどな)
見りゃ分かる。
こいつは、怪我一つしてねぇ。
だが、地面のあの赤黒いのを、頑として、見ようとしねぇ。
視界に入れねぇように、体ごと、そっぽを向けてやがる。
「――なあ」
オレは、地面に座り込んだままのそいつの前に、しゃがんだ。
「テメェ、武器は」
「……ありません」
「魔法は」
「……使えません」
「じゃあ、何ができるんだ」
「……歌、です」
背中の楽器を、少し、揺すった。
「吟遊詩人なので。歌で、みんなの力を、上げられるって……女神様に」
「上等じゃねぇか」
オレは、あごをしゃくった。
「歌ってみろ」
「――え」
そいつの、肩が、跳ねた。
「あ、あの」
「一節でいい」
「…………」
コハルは、楽器に、手をかけた。
指が、弦に触れる。
――触れて、止まった。
指先が、震えている。
喉が、上下した。
一度、二度。
息を、吸って。
「…………」
音は、出なかった。
一音も。
「……ごめん、なさい」
そいつは、うつむいた。
「今は、ちょっと……喉の、調子が」
「……そうかよ」
オレは、それ以上、突っつかなかった。
喉じゃねぇことくらい、見りゃ分かる。
だが、道端で会ったばかりの奴の胸ぐらを掴んで、吐き出させるようなもんでもねぇ。
そういうもんは、順番が要る。
「あの、梶……さん?」
「梶だ」
「梶さん……じゃなくて、その」
コハルは、上目遣いに、オレを見た。
「小さいので……梶ちゃん、でもいいですか?」
「よかねぇよ!」
†================†
日が、傾いた。
沢のほとりに、火を焚いた。
カイトが、手際よく干し肉を炙っている。コハルは、その火の反対側で、膝を抱えていた。
オレは、少し離れた岩に腰かけて、南の空を睨んでいた。
「……ふざけんな」
三人目だ。
一人目は、東の国の魔法使い。
二人目は、北の国の戦士。
三人目が、南の国の、歌えねぇ吟遊詩人。
(――担当は、一人じゃねぇのか、クソ女神)
火が、ぱちりと鳴った。
黄色い花が、闇の中で、灰色に沈んでいく。
一人が二人になった時は、まだ、驚けた。
二人が三人になった今は、驚くより先に、腹の底が冷えた。
(……三で、止まる保証が、どこにある)
指先を、一本ずつ、折ってみる。
東。北。南。
三本、折れた。
親指と、小指が、余った。
「…………」
オレは、その二本を、しばらく見ていた。
「あの、梶ちゃん?」
火の向こうから、コハルが、おずおずと声をかけてくる。
「どうか、しましたか?」
「……いや」
オレは、手を、握り込んだ。
「なんでもねぇ」
十四日目の記録は、ここまでだ。
言っとくが、この時点で、オレはまだ、スヨンを見つけちゃいねぇ。
三人目を拾って、二人目を落っことしてやがる。
……これのどこが、教育係だ。




