13日目『頼れよ』
――変わり、やがった。
いや。
変わっちゃいねぇのかもしれねぇ。
さっきまで、そこにいたのは、俺の腰までしかねぇ、銀髪のガキだった。
なのに、今。
袖をまくって、拳を握って、こっちを見上げてるそいつは。
……三十くらいの、いかつい男に、見えた。
肩の位置は、変わってねぇ。背丈も、そのままだ。
だが、目だ。
目の高さが、俺と、同じところにあった。
「そうかい」
俺は、笑った。
久しぶりに、腹の底から。
「……これが、あんたの、本当の姿かい」
「さぁな」
そいつは、あごをしゃくった。
「見えるように、見えてんだろ」
「上等だ」
指を、鳴らす。
これなら、遠慮はいらねぇ。
ガキ相手に手加減する必要も、女相手に躊躇う理由も、どこにもねぇ。
俺は、地を蹴った。
†================†
――当たらねぇ。
一発目の右は、顔があった場所を、空振りした。
二発目の左は、肩をかすめる前に、上体を反らされた。
三発目は、踏み込んだ足の内側に、するりと入り込まれた。
鉄の床が、俺の足音だけを、うるさく響かせる。
「そらそら、どうした」
そいつは、避けながら、へらへら喋りやがる。
「威勢がいいのは、口だけか」
「うるせぇ!!」
拳を、叩き込む。
檻の格子に、俺の拳がめり込んだ。
鉄が、ひしゃげる。
その、真横。
紙一重の場所に、そいつは、涼しい顔で立っていた。
「……なんだ? もう終わりか?」
「クソが!!」
回し蹴りが、髪の先を掠める。
掠める、だけだ。
肘。膝。頭突き。掴みにいく。
全部、当たらねぇ。
体格差は、俺のほうが、圧倒的に上のはずだ。
腕の長さも、力も、比べもんにならねぇ。
なのに、届かねぇ。
拳が、いつも、そいつのいた場所を、通り過ぎるだけだ。
「はっ、はっ……」
膝が、抜けた。
肺が、焼ける。
俺は、鉄の床に、大の字に、寝転がった。
天井の、真っ黒な空が、揺れて見える。
「……なんでだ」
息が、切れる。
「なんで、当たらねぇ」
「そりゃ、お前が」
そいつは、俺の顔を、上から覗き込んだ。
「普段、スキルに頼りきってるからだよ」
「あ?」
「ここは、精神世界だ。スキルなんぞ、一つも使えねぇ」
言われて、初めて気づいた。
体が、妙に軽ぇ。
いつも勝手に体を押し上げてくれる、あの力の底上げが、無ぇ。
「……条件は、同じじゃねぇか」
俺は、吐き捨てた。
「あんただって、使えてねぇんだろ」
「おう」
「なら――」
「オレが勇者だった時はな」
そいつは、こともなげに、言った。
「スキルなんて、ありゃしなかったぜ?」
「――ッ!?」
俺は、跳ね起きた。
「なんだと?」
「後付けだよ、あんなもん」
そいつは、鼻で笑った。
「お前ら新人が、死にまくるからだろうな。あのクソ女神が、途中から付けやがったんだ。……補助輪だよ、補助輪」
「……嘘、だろ」
「嘘ついて、なんの得がある」
――スキル無しで。
こいつは、魔王を、殺したっつーのか。
「……じゃあ、どうやって、勝つんだよ」
俺の声は、我ながら、間抜けだった。
「スキルが無くて、どうやって」
「読むんだよ」
そいつは、指で、自分のこめかみを、とんとん叩いた。
「相手の動きを、読む。んで、先回りする」
「読む……」
「腕の振り方、足の向き、目線、息の吸い方。全部、次の一手を教えてくれてる。読んで、そこに置いときゃ、当たらねぇ」
「…………」
「時には、誘導もするな。わざと空けた場所に、打たせる」
「――俺も、読まれたのか」
「いや」
そいつは、首を振った。
「お前は、読むまでもねぇ」
「なんだと」
「単純だからだよ。踏み込みが、毎回まっすぐだ。振りかぶりも、でけぇ。次に何が来るか、テメェの体が、全部、先に喋ってる」
「――舐めんじゃねぇ!!」
俺は、また、立ち上がった。
†================†
「――ほらよ、右が来る」
言われた通りに、俺の右が、空を切った。
「うっせぇ!!」
「左。……ほら、肩が下がった」
見えてるみてぇに、避ける。
いや、見えてるんだ。俺の、次の手が。
「頭に血が上ると、お前は、上から来る。分かりやすすぎんだよ」
「黙れェ!!」
「一発、外すたびに、息が、深くなってる。あと、三発だな」
「はっ、はぁ、はっ……」
三発、外した。
そこで、腕が、上がらなくなった。
膝に、手をつく。
汗が、鉄の床に、ぼたぼた落ちた。
「――終わりか?」
そいつが、言った。
「……あ」
俺は、喉から、絞り出した。
「当てられたら……あんたなんか……」
「一発で倒せるのに、か?」
「――ッ!」
そいつは、構えを、解いた。
腕を、だらりと下ろす。
そのまま、仁王立ちになった。
「当ててみろよ」
(――余裕、ぶりやがって)
はらわたが、煮えた。
殺してやる。
「舐めんじゃねぇェェッ!!」
残ってた全部を、右に、乗せた。
腰から、背中から、足の裏から。
体重の全部を。
その顔面に、叩き込んだ。
――ゴッ、と。
鈍ぇ音が、した。
拳の骨が、軋む。手首まで、痺れが走る。
確かに、入った。
なのに。
「――な」
動かねぇ。
頭一つ、揺れてねぇ。
顔面に、俺の全力を食らって、そいつは、その場に、立ったままだった。
なんだ。
なんだよ、こいつ。
「……全力か?」
血の混じった唾を、床に吐いて。
そいつは、言った。
「――だったら、次はオレの番だな」
俺は、全部を、ぶつけた。
拳を、二発、三発。肘を。膝を。頭突きを。
全部、当たった。当てさせてくれた。
一発ごとに、俺の腕が、重くなっていく。
そいつは、立ったまま。
一歩も、下がらねぇ。
「……はっ、はっ、はっ……」
腕が、上がらねぇ。
俺の全部を、こいつは、立って受けきった。
「終わったか」
そいつが、拳を、引いた。
たった一発。
腹に、入った。
――世界が、消えた。
音も、光も、上も下も。
気づいた時には、俺の体は、鉄の床の上を、滑っていた。
格子に、背中から、叩きつけられる。
呼吸ってやつの、やり方を、忘れた。
胃の中身が、逆流する。
指の一本も、動かねぇ。
腕っぷしとか、体重とか、そういう話じゃなかった。
こいつの一発は、俺の中身を、まるごと、ひっくり返しやがった。
「――これが」
そいつが、拳を握ったまま、俺を見下ろした。
「殴るってことだ」
(――勝て、ねぇ)
生まれて初めて、俺は。
心の底から、そう、思った。
†================†
格子にもたれたまま、スヨンは、動かなくなった。
伸びちゃいねぇ。目は、開いてる。
ただ、立ち上がろうとしなくなった。
オレは、その前に、あぐらをかいて座った。
「……なあ、スヨン」
「…………」
「オレは、お前が、強ぇことを疑ったことは、一度もねぇ」
真っ黒な天井を見上げて、オレは言った。
「実際、強ぇよ。キングを力でねじ伏せるなんざ、そこらの勇者にゃできねぇ」
「……なんだよ、慰めか」
「聞け」
オレは、指を、一本立てた。
「お前は、強くなりゃ、守れると思ってる。だから、誰も頼らねぇ」
「…………」
「だがな。強さってのは、一人ぶんしか、届かねぇんだ」
こいつの、肩が、動いた。
「腕がどんだけ太くても、伸ばせる範囲は、この長さだ。その外側で誰かが溺れてても、届かねぇ」
「……知ってる」
かすれた声だった。
「知ってるんだよ、そんなこと、俺は」
「そうだな」
オレは、うなずいた。
「――だから、聞け」
腹に、力を入れる。
「頼るってのは、弱さじゃねぇ」
「…………」
「弱ぇ奴が頼るんじゃねぇ。強ぇ奴ほど、頼るんだ」
こいつの目が、こっちを向いた。
「一人で届く範囲は、決まってる。だが、誰かに『そっちを見といてくれ』と言えりゃ、その分だけ、腕が伸びる」
「…………」
「二本より、四本。四本より、八本だ。届く範囲がでかいほうが、強ぇ。当たり前の話だろうが」
「――」
「頼れねぇ奴は、自分の腕の長さより先を、全部、捨ててんだよ。そんなもん、弱ぇに決まってんだろ」
「…………」
「頼るのはな、逃げでも、甘えでもねぇ。もっと、強ぇ戦い方だ」
檻の中は、静かだった。
こいつは、しばらく、動かなかった。
「……俺は」
やがて、口を、開いた。
「あの時、聞いてやりゃ、よかったのか」
オレは、答えなかった。
安っぽい答えを渡すのは、こいつに失礼だ。
「……なあ、梶っ子」
「梶だ」
「一つ、聞いていいか」
「なんだよ」
「あんた、なんで、そんなに強ぇんだ」
オレは、鼻で笑った。
「オレも、一人で全部やろうとして、死にかけたクチだからだよ」
「…………」
「その辺の道端に転がってる話だ。珍しくもねぇ」
――そこで。
檻が、軋んだ。
太ぇ格子が、上から順に、砂みてぇに、崩れていく。
真っ黒だった空に、薄い光が、差した。
「……終わりか」
「そうみてぇだな」
オレは、立ち上がって、尻の埃を払った。
「言っとくがな、スヨン」
振り返る。
「オレは、お前を、一人にはしねぇ。テメェが何回死のうが、何回逃げようが、追いかける」
「……なんでだよ」
「うるせぇ。オレはな、そういう仕事なんだよ」
崩れていく檻の中で。
そいつは、しばらく、うつむいていた。
肩が、震えていた。
やがて、顔を、上げた。
でかい図体の、目のふちが、真っ赤だった。
「……ありがとな」
ぼたぼた、と。
鉄の床に、落ちた。
「――先生」
「…………」
オレは、そっぽを向いた。
「……気持ちわりぃ呼び方すんじゃねぇ」
†================†
宿の、二階。
朝日が、窓から差し込んでいた。
オレは、床に尻をついたまま、天井を見上げた。
隣で、でかい図体が、寝返りを打つ。
目尻に、乾いた跡が残っていた。
「……ふん」
情けねぇツラだ。
だが、眉間の皺は、消えていた。
(……一人、落ちたな)
小突いてやろうとして、手を、止めた。
こっちの世界じゃ、どうせ、何も起きやしねぇ。
オレは、手を下ろして、朝日のほうを向いた。
それでも、悪くねぇ朝だった。
13日目の記録は、ここまでだ。
一人、堕とした。
……あの檻の中で、オレは、こいつに偉そうなことを言った。
頼るのは、強ぇ戦い方だ、と。
言った本人が、誰にも何も聞かずに、ここまで来てるってのは。
まあ、黙っとくとしよう。




