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辞令:人災育成課配属を命ずる 〜ノルマ8192万人。転生した元最強勇者の転職先は、人災級のポンコツ勇者を 育てるブラック職場でした〜   作者: Ruru
ケース2 カイト

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12日目『後でな』

他人の過去を覗くのは、正直、好きじゃねぇ。


誰にだって、掘り返されたくねぇもんの、一つや二つはある。


墓を暴くようなもんだ。褒められた趣味じゃねぇ。


しかも、感覚共有ってやつは、たちが悪ぃ。


相手の悲しみだの、苦しみだのが、他人事として、遠くに見えるんじゃねぇ。


オレの腹に、直接、来やがる。


――アヤの時に、懲りたはずだったんだけどな。


冷てぇ。


それが、最初に来た。


鼻の奥を、乾いた冷気が、削っていく。


坂道だった。


やたら急な、コンクリートの坂。両側に、四角い建物が、隙間なく積み上がっている。


洗濯物と、室外機と、電線。


どっかの家から、煮えた汁の匂いが漏れていた。にんにくと、唐辛子だ。


原付が、けたたましい音を立てて、坂を下っていった。


(……ここは)


見上げた空は、灰色で。


ずっと向こうまで、四角い建物が、坂の上まで、びっしり並んでいた。


自分の手を、見る。


小せぇ。オレのガキの手より、まだ小せぇ。


肩に、鞄が食い込んでいた。ずっしりと、重い。


背中が、じわりと汗をかいている。


(……こいつの、中に、いるのか)


見てるんじゃねぇ。着てるんだ。


歩けば足が痛ぇし、息を吸えば冷気が喉に刺さる。


こっちの意思じゃ、指一本、動かねぇってのに。


「――ヒョン」


袖が、引っ張られた。


見下ろす。


小せぇのが、いた。


膝までの、紺のスカート。頬が、寒さで真っ赤だ。


手袋もしてねぇ手が、こっちの袖を、しっかり掴んでいる。


胸の奥で、なんかが、ぐっと動いた。


オレの感情じゃねぇ。こいつのだ。


「守る」とか「大事だ」とか、そんな言葉が浮かぶより先に。


腹の底が、勝手に、身構えた。


その手が離れねぇように、こいつは、歩幅を落とす。


――で、口を開いた。


「早く帰るぞ。風が冷てぇ」


出てきた声が、想像の三倍、優しかった。


(……は?)


オレは、面食らった。


同じ喉から出た音とは、思えねぇ。


低くて、静かで、丁寧で。


あの、酒場で椅子を投げてた男と、これが、同じ人間か。


(……お前、そんな声、出せんのかよ)



それから、何年か、飛んだ。


昼と夜が、めくれるみてぇに過ぎていく。


見えたのは、いつも、同じ景色だった。


紙。


参考書。問題集。裏が黒くなるまで書き潰したノート。


蛍光灯の下で、赤ペンを握った指。


塾から出る頃には、坂の下の店は、もう閉まっている。


廊下の壁に、紙が貼り出されていた。


上から順に、名前が並んでる。


一番上に、こいつの名前があった。


『パク・ジフン』


(……ジフン、ってのか。テメェの名前)


背中を、叩かれる。よくやった。さすがだ。あそこの子はしっかりしてる。


大人が、笑ってる。


その全部に、こいつは、頭を下げた。


「ありがとうございます」


丁寧に。感じよく。角を立てずに。


――なのに。


腹の中は、しん、としてやがった。


嬉しくもねぇ。誇らしくもねぇ。


ただ、落ちねぇように、しがみついてるだけだ。


顔と中身が、一ミリも、繋がってねぇ。


(……こんなもん、続けてたら、壊れるぞ)


そう思った時には、景色が、もう流れていた。


†================†


親父が、いなくなった日のことは、断片でしか、見えなかった。


白い花と、線香の煙と、大人の低い声。


思い出したくねぇんだろう。こいつが。


だが、その後のことは、嫌ってほど、はっきり残っていた。


狭ぇ部屋に、大人が何人も座っていた。


親戚だ。


親父の残した、なけなしのもんの話をしてやがる。


母親が、畳に手をついて、頭を下げていた。


何度も、何度も。


「お願いします」と、言っていた。


――何も、返ってこなかった。


大人たちは、茶を飲んで、荷物をまとめて、帰っていった。


一人だけ、帰り際に、こいつの頭を撫でた。


「お前が、しっかりしないとな」


(……ふざけんな)


オレの中で、何かが、沸いた。


十そこそこのガキに、何を背負わせてやがる。


胸ぐらを掴もうと、腕を上げた。


――上がらねぇ。


指も、口も、動かねぇ。


(クソが)


見てるだけだ。


このオレは、ここでも、口だけですらねぇ。



その夜。


床が、冷てぇ部屋だった。暖房の火が、もう入ってねぇ。


母親が、こいつの前に座って、両手を、握った。


働きすぎて、ひび割れた手だった。


「ジフナ」


かすれた声で、言った。


「人に、頼るな」


こいつの喉が、こくりと鳴った。


「頼ったら、さっきの人たちみたいに、持っていかれるだけだ。……弱いところを見せたら、終わりだよ」


「……うん」


「お前が、強くならなきゃ」


「……うん」


ずしり、と。


腹の底に、鉄の板でも入れられたみてぇに、重くなった。


同時に、それは、こいつの背骨になった。


(――待て。おい、待てよ)


オレは、腹の中で、怒鳴った。


(そんなもん、教えんな。頼るってのはな、弱さじゃねぇんだよ)


言葉は、どこにも、届かなかった。


†================†


妹の、咳の音が、増えていった。


夜中に、隣の部屋で、こもった咳が続く。


こいつは、その音を聞きながら、机に向かい続けた。


バイトが増えた。母親が寝込む日が増えた。


朝、家を出て、夜中に帰る。


その繰り返しの中で。


――サインは、あった。


真夏なのに、長袖を着ていた。


新しい靴が、ある日、無くなっていた。「なくした」と、笑っていた。


夕飯を、残すようになった。


携帯を、いつも、机に伏せて置くようになった。


(気づけ)


オレは、叫んだ。


(おい、ジフン、それは、そういうことじゃねぇ! 見ろ! 顔を上げろ!)


こいつは、参考書から、目を離さなかった。


疲れてたんだ。


死ぬほど、疲れてた。それだけは、痛ぇほど、伝わってきた。



そして、その日が来た。


夜中の、台所。


冷蔵庫の音だけがしてる中で、あの子が、立っていた。


「……お兄ちゃん」


「ん」


「あのね」


指が、パジャマの裾を、ぎゅっと握っていた。


爪が、白くなるくらい。


(――聞け)


(頼む、頼むから、今、聞いてやれ)


こいつは、蛍光灯の下で、赤ペンを持ったまま。


顔も、上げずに。


「……後でな。今、これ終わらせねぇと」


(聞いてやれェ――!!)


オレの声は、この頭の中で、跳ね返っただけだった。


「……うん」


小せぇ足音が、廊下を、遠ざかっていった。


パジャマの裾を握った、あの指が。


離れる音まで、聞こえた気がした。



――あの子は、頼らなかった。


頼るな、って言われて育った家で。


頼るのは弱さだって、背中で教え込まれた家で。


助けてくれ、の一言が、どうしても、言えなかったんだ。


それは、あの子のせいじゃねぇ。


こいつのせいでも、母親のせいでもねぇ。


そういう風にしか、生きられねぇ場所が、あっただけだ。


――だが。


そんな理屈は。


残された奴には、一円の価値もねぇ。


†================†


その日は、雨だった。


坂が、濡れて、光ってる。


鍵を回した。


――部屋が、寒かった。


窓が、開いていた。


カーテンが、風で、ゆっくりと膨らんでは、しぼんでいる。


雨の音が、やたら、はっきり聞こえた。


呼んだ。


返事は、なかった。


そこから先を、オレは、うまく書けねぇ。


音が、消えたんだ。


雨の音も、心臓の音も、全部。


こいつは、叫ばなかった。泣きもしなかった。


ただ、その場に、座り込んだ。


やがて、小せぇ手を、握った。


――冷てぇ。


その冷たさが、オレの手のひらにまで、来た。


指の関節の、ごつごつした感触まで。


いつまで経っても、あったかくならねぇ手を、こいつは、両手で包んでいた。


温めようとしてるんだと、分かるまでに、少しかかった。


腹の底に入れられた、あの鉄の板が。


真っ二つに、割れる音がした。


その、瞬間。


視界が、赤く、染まった。


雨も、部屋も、坂道も、全部。


一気に、赤が、塗り潰していく。


そして――ばん、と。


目の前で、扉が、閉まった。


「――そこから先は、見せねぇ」


†================†


尻から、落ちた。


冷てぇ、鉄の床だった。


見回す。


四方に、太ぇ格子が、立っている。


天井は、ねぇ。空は、真っ黒だ。


檻だ。


でかい、鉄の檻の、真ん中に、オレはいた。


そして、正面に。


見上げるような大男が、立っていた。


赤茶けた髪。剥き出しの腕。


「……誰が」


低い声だった。


拳が、ぎしり、と鳴る。


「誰が、見ろっつった」


「……悪ぃ」


オレは、立ち上がった。


膝が、笑ってやがる。さっきの、あの冷てぇ手の感触が、まだ抜けねぇ。


「勝手に上がり込んだのは、謝る」


「謝れなんて、言ってねぇ」


「じゃあ、なんだ」


「――出てけ」


風が、なかった。


音も、なかった。


オレは、この檻の中で、ようやく、腑に落ちた。


こいつが、なんで、誰も頼らねぇのか。


なんで、一人で突っ込んで、死ぬのか。


こいつは、勇気で走ってんじゃねぇ。


立ち止まったら、また、こぼす。


それが、怖ぇんだ。


「……なあ」


オレは、口を開いた。


「一個だけ、聞かせろ」


「聞かねぇっつってんだろ」


「お前の名前だ」


拳が、止まった。


「さっきの中じゃ、テメェは、ジフンって呼ばれてた」


「…………」


「スヨンってのは、誰の名前だ」


答えは、返ってこなかった。


だが、返事より、はっきりしたもんが、返ってきた。


でかい肩が、一度、跳ねたんだ。


――そういうことか。


オレは、笑った。


我ながら、ひでぇ笑い方だったと思う。


「テメェ。重ぇもん、しょってんじゃねぇか」


「――黙れ」


スヨンの、拳が、上がった。


「ぶちのめして、叩き出してやる。来いよ、梶っ子」


オレは、袖を、まくった。


十歳の、細っこい腕だ。


こんな腕で、何ができる。


――知るかよ。


「言っとくがな」


オレは、拳を、握った。


「オレはガキの頃から、こういうのだけは、得意なんだ」


今回の記録は、ここまでだ。


殴り合いの前に、一つ、白状しておく。


オレはこの時、こいつを止める理屈を、探しちゃいなかった。


ただ、腹が、立ってた。


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