10日目『妹の名』
俺は、はじめから、あの優等生が気に入らなかった。
カイト。東の国から来た、勇者だ。
同じ勇者だってのに、俺――スヨンとは、何もかもが違う。
他の国に、俺以外の勇者がいる。それは、聞いていた。
どんな奴か、興味がなかったと言や、嘘になる。
強ぇのか。俺より、上か下か。会ったら一発、殴り合ってみてぇ。
その程度には、思っていた。
港に来る商人どもが、東の勇者の話をしていた。
優しい。賢い。礼儀正しい。あんな勇者は、見たことがない。
ふん。反吐が出る。
そんで、実物を見た。
先に来たのは、気持ち悪さだった。
笑い方も、喋り方も、頭の下げ方も、何もかもが、癇に障る。
理屈じゃねぇ。腹の底が、ざらついた。
……八つ当たりだってのは、分かってる。
分かってるが、無理なもんは、無理だ。
俺は、認めねぇ。認めるもんか。
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前世の俺が生まれたのは、坂の多い、灰色の街だ。
冬が長い。風が、骨まで冷やす。
あの国じゃ、弱いってことは、罪だった。
いい学校に入れなきゃ、人間じゃねぇ。いい会社に入れなきゃ、負け犬だ。
朝から晩まで机にかじりついて、それでも、上には上がいる。
隣の家のガキより、一点でも上を取れ。取れなきゃ、意味がねぇ。
そういう国だ。
その頃の俺は、今とは、まるで違った。
聞き分けのいい、出来のいいガキを、やっていた。
親の言うことは聞いた。先生には従った。成績も、上のほうを保った。
近所からは、あそこの子はしっかりしてる、と言われていた。
強くならなきゃ、いけなかったんだ。
俺には、妹がいた。
歳の離れた、小せぇ妹だ。
体が弱くて、よく熱を出す。俺の後ろに、いつも隠れてるような子だった。
親父は、早くにいなくなった。
残ったのは、身を粉にして働く母親と、病弱な妹と、俺。
だから、俺が強くなきゃ、ならなかった。
あの国じゃ、弱ぇ者は踏まれる。
金のある奴に、力のある奴に、いいように搾り取られる。
弱音を吐いた瞬間、終わりだ。誰も守っちゃくれねぇ。
守れるのは、強ぇ奴だけだ。
俺が稼いで、俺が上に行って、俺が、母親と妹を守る。
そう信じていた。
守れ、なかった。
妹は、ある日、いなくなった。
俺が、バイトと勉強で、家を空けてる間に。
理由は、後から少しずつ分かった。
学校でのこと。逃げ場のなかったこと。誰にも言えなかったこと。
背後に、金と力のある家の子がいたこと。
俺は、妹の苦しみに、一つも気づいてやれなかった。
強くなろう、上へ行こう。それだけを見てた俺の、すぐ後ろで。
あの子は、一人で、暗ぇ場所に沈んでいってた。
冷たくなった、小せぇ手を握った時の感触は。
今でも、指が覚えてる。
俺は、その家に乗り込んだ。
止める母親を、振り払って。
その先のことは、あんまり覚えちゃいねぇ。
ただ、赤かったのだけは、覚えてる。
捕まった。裁かれた。
弱ぇ者が、強ぇ者に手を出したんだ。結末は、決まってた。
俺は、あの灰色の国で死んだ。
気がついたら、真っ白な部屋にいた。
作り物みてぇな女が、立っていた。
満面の笑みで、瞳には何も宿っちゃいねぇ女だ。
「あなたは、勇者です」
抑揚のねぇ声で、そいつは言った。
わけの分からねぇ話だった。
だが、俺は聞いちゃいなかった。
宙に浮いた自分の情報を、じっと見ていた。
そこに書かれた、前世の名前を。
「……なあ」
俺は、女に言った。
「名前を、変えたい」
「どうぞ」
「スヨンに、しろ」
女は、瞬き一つせずに、うなずいた。
スヨン。
妹の、名前だ。
俺は、あの子を忘れねぇ。
強くなれなかったから、あの子を守れなかった。
なら、次は。次の生では。
あの子の名前を背負って、二度と、誰にも踏まれねぇ。
二度と、大事なもんを、こぼさねぇ。
戒めだ。
弱かった前の俺を殺して、スヨンとして、強くあり続ける。
それだけを、決めた。
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だから、優等生ってのが、嫌いだ。
昔の俺が、そうだったからだ。
中身を空っぽにして、周りの求める顔だけを、貼り付けてた。
それを、しっかりしてる、と褒められてた。
あの頃の俺は、たぶん、ひでぇ面をしてたと思う。
だから、ああいうのを見ると、腹の底が、ざらつく。
鏡を、無理やり顔に押し付けられてるみてぇで、たまんねぇ。
分かってる。全部、俺の勝手だ。
あいつは、何もしちゃいねぇ。
それでも、無理なもんは無理なんだ。
それから、俺は、強さだけを求めた。
他は、何も考えなかった。
つるむ相手も、いらねぇ。頼る相手も、いらねぇ。
頼るってことは、弱さをさらすってことだ。
弱さをさらしゃ、踏まれる。踏まれりゃ、また、こぼす。
一人で突っ込んで、一人で狩る。
それが一番強ぇ。それが一番、間違いねぇ。
前も、後ろも、見ずに。
そんな時に、あいつが現れた。
相変わらず気に入らねぇ優等生の、後ろに。
ちっこいのを、一人、連れて。
銀色の髪の、小せぇガキだ。
口は悪ぃ。態度もでけぇ。俺を「梶っ子」なんて、舐めた呼び方をしやがる。
言動は、まるで違う。ぜんぜん違う。
……なのに。
なんでか、あの子を思い出させた。
俺の後ろに隠れてた、小せぇ妹を。
そのガキは、俺をまっすぐ見上げて。
臆する様子も、なく。
こう言った。
「――オレが、お前を、強くしてやる」
ふざけんな。
俺より頭二つも小せぇガキが、何を言ってやがる。
俺は、これ以上ねぇほど強ぇんだ。
教わることなんざ、何も――
「おい。聞いてんのか、コラ」
「うるせぇな。めんどくせぇ」
犬でも追い払うみてぇに、手を振った。
ガキは、どかなかった。
腕を組んで、そこに突っ立ったまま、俺を見上げてやがる。
……ちっ。
足元の、この小せぇのが。
どうしても、目に、入る。




