9日目『経験値』
オレは、これまで、そこそこの修羅場をくぐってきた。
魔王ってやつを、この手で殺してる。
その配下も、何匹か、まとめて地獄に送ってやった。
――だからよ。
「死んだはずの奴が、目の前を歩いてくる」ってのが、どれだけ、はらわたの冷えるもんか。
それを、この日、オレは、思い知った。
尻から落ちた。
石畳。生ゴミと、安酒の匂い。
「……はっ、はっ……」
胸を、押さえる。
腹の傷は、ねぇ。だが、あの音が、まだ、耳の奥にこびりついていた。
――戻った。
また、一日目だ。
「……クソ、が」
壁に、拳を、叩きつけた。
十歳のガキの拳だ。痛ぇだけで、何も、壊せねぇ。
(……スヨンだ)
震える息を、吐き出す。
一回目は、山でカイトといて、死んだ。あれは、たぶん、スヨンが死んだんだ。
二回目は、目の前で、スヨンが、殺された。
二回とも、あいつが、死んでる。
「……そうか。分かった」
オレは、額を、冷たい石壁に、押し当てた。
答えが、出た気が、した。
問題は、スヨンだ。
あの、直進バカ。誰の話も聞かず、一人で突っ込んで、死ぬ。
あいつを、止めりゃ、いい。
あいつを、大人しくさせりゃ――このループは、終わる。
「……次は、絶対に、行かせねぇ」
そう、決めた。
決めてから、自分で、鼻を鳴らした。
二回とも同じ、ってのは、根拠としちゃ、薄い。
サイコロを二回振って、二回とも同じ目が出た。それだけの話だ。
三回目で、別の目が出る可能性は、ある。
だが――三回目を、のんびり振ってる余裕が、オレにあるか。
無ぇ。
「……上等だ。乗ってやるよ」
谷底に、着いた時。
スヨンは、キングを、圧倒していた。
「うおおおおッ!!」
錆びた冠のバケモンが、鉈みてぇな剣を、上段から振り下ろす。
スヨンは、避けねぇ。
自分の剣を、真っ向から、叩きつけた。
鉄と鉄が、噛み合って、火花が散る。
「軽ぇんだよ、テメェの一撃はァ!!」
膂力で、押し返した。
体格差を、力で、ひっくり返しやがる。
キングが、たたらを踏んで、崩れた懐へ。
「そらァ!!」
袈裟懸けの、一閃。
分厚い胸が、肩から腹まで、断ち割られた。
黒い血が、噴き上がる。
キングは、断末魔すら上げずに、前のめりに倒れた。地面が、震える。
「……はっ。こんなもんかよ」
剣を、肩に担いで。
スヨンが、こっちを振り返った。
血に濡れた顔で、にやりと笑う。
「見たか、梶っ子ォ! どうだ!」
(……上手ぇもんだ)
正直、舌を巻いた。
キングの剣を、力で受け止めるなんざ、常人にゃできねぇ。あの膂力は、本物だ。
だが。
「……強ぇのは、認める」
オレは、あごを撫でた。
「だが、まだ、無駄が多い」
「あァ!?」
スヨンの、こめかみが引きつった。
「今、キング倒したのを見てて、それか!?」
「見てたから、言ってんだよ」
オレは、指を、三本立てた。
「一つ。振りかぶりすぎだ。上段に構えるたびに、腹ががら空きになる。二つ。踏み込みが、毎回まっすぐだ。読まれる。三つ――」
一つずつ、指を折る。
「受けた後、押し返すのに、一拍かかってる。その一拍で、二匹目に囲まれたら、終わりだ」
「…………」
スヨンが、言葉に、詰まった。
図星だ。こいつは、バカだが、自分の体のことは、分かってる。
反論できねぇって顔で、剣の柄を、握り直した。
――その、瞬間だった。
首の後ろが、ざわりと、逆立った。
背筋を、氷の指で、なぞられたみてぇに。
「――ッ」
スヨンも、同時に、動いた。
こいつも、感じたらしい。剣を構え直して、谷の奥を、睨む。
「……なんだ。何か、いやがる」
いた。
血の匂いの、その向こう。
崩れた岩の陰から、ゆっくりと、影が、歩いてくる。
急いじゃいねぇ。むしろ、散歩みてぇに、優雅に。
その顔が、木漏れ日の下に、出た。
「――は?」
オレは、目を、見開いた。
「あ、あいつは……」
嘘だろ。
見覚えがある。ありすぎる。
その、整った顔も、慇懃な立ち姿も。
前の担当の――アヤの現場で、オレが、憑依した拳で、塵にした。
上位魔族、ザガン。
「……ありえねぇ」
冷や汗が、背中を、つっと伝った。
「なんだ? 梶っ子」
スヨンが、オレの顔を見て、言う。
「そんな顔しやがって……ヤバい奴か?」
「……ありえねぇんだよ」
オレは、殺した。
確かに、殺した。塵一つ、残さずに。
なのに、なんで、こいつが、ここにいる。
――いや。
そうか。世界が、違う。ループも、違う。
前の世界で殺した奴が、この世界に、いねぇ道理はねぇ。
分かっちゃいる。分かっちゃいるが――背筋の冷えは、収まらねぇ。
影が、足を止めた。
そして、恭しく、頭を下げた。
「はじめまして、勇者」
礼儀正しい、柔らかい声。
「私は、魔王配下、ザガンと申します。以後、お見知りおきを」
「――親玉が、出てきたって訳か!」
スヨンが、剣を構えた。
「上等だ! テメェを殺せば、次は魔王だろ!」
「――バカ! やめろ!」
「それは、無理だと思いますよ」
ザガンが、口の端を、吊り上げた。
「あん?」
「貴方は、魔王様はおろか、この私にも、遠く及びません」
「なんだと!?」
「スヨン、乗るな!」
オレは、割って入った。
「そいつは、口で挑発して、頭に血ぃ上らせる手口だ! 乗ったら、思う壺だぞ!」
「んだよ! じゃあ、どうすんだよ!」
「引くぞ! 街まで戻って、カイトと合流する! 二人がかりだ! 一人で勝てる相手じゃねぇ!」
「――嫌だね」
スヨンが、地を、蹴った。
「バカがァ!!」
止める間もなかった。
赤茶けた頭が、まっすぐ、ザガンに斬りかかっていく。
オレも、追った。追うしか、なかった。
剣が、空を裂く。
ザガンは、避けもしない。
伸ばした指、一本で、スヨンの刃を、受け止めた。
「――!?」
鋼が、指に、食い込まない。
「速いですね。ですが」
「舐めんなァ!!」
連撃。上段、袈裟、逆袈裟、突き。
キングを叩き割った膂力の、フルスイングだ。
その、全部を。
ザガンは、指先だけで、いなした。
「スヨン、聞け!」
オレは、走りながら、叫んだ。
「そいつは、手から光線を出す! 前の時に、見た!」
「光線ォ!?」
「早ぇが、直線だ! 手が光った瞬間、避けろ! 横っ飛びでいい!」
「鬼畜だな、テメェ! なんだそのアドバイスは!」
「テメェの反射神経なら、避けられる! できなきゃ――」
「できなきゃ、なんだよ!」
「死ぬだけだ!」
「――上等ッ!!」
スヨンが、笑った。
こいつは、こういう時、笑うんだ。
死ぬかもしれねぇ、その瀬戸際で、いっちばん、いい顔をしやがる。
ザガンが、ゆらりと、右手を、持ち上げた。
「――来るぞ! 避けろ、スヨン!!」
スヨンの反射が、爆ぜた。
右へ、体を、捻る。
光を、避ける、その、軌道で――
「――な」
避けた先に、手が、あった。
光線じゃ、なかった。
伸びた腕が、避けた体を、追いかけて。
スヨンの、腹を。
貫いた。
「……ごぼ」
赤い花が、背中から、咲く。
同時に。
オレの腹の、内側が。
引き裂かれた。
「――ぐ、あッ!?」
膝が、折れる。
腹を押さえた手の、指の間から、血が、噴き出す。
(違う……光線じゃ、なかった……!)
前の世界のザガンは、光線を、撃った。
だが、こいつは、撃たなかった。
オレの、経験が。
オレの教えた、避け方が。
スヨンを、串刺しの位置に、送り込んだ。
「おやおや」
ザガンが、串刺しにしたスヨンを、掲げた。
「もう終わりですか。……つまらない」
そのまま、腕を、振った。
スヨンの体が、腹から抜けて、地面に、叩きつけられる。
一度。二度。
濁った音を立てて、バウンドして、転がった。
「スヨン!!」
オレも、血を吐いて、地に、伏せる。
腹の、この熱さは、知ってる。
致命傷だ。この痛みは、助からねぇ痛みだ。
「……や、め……」
倒れたまま、オレは、動かねぇ手を、伸ばした。
ザガンが、虫の息のスヨンに、歩み寄る。
その手が、ぐにゃりと、刃の形に、変わっていく。
「――サヨウナラ」
「やめ――」
オレの、指先が。
届く、前に。
刃が、振り下ろされた。
何かが、潰れる。
歪な、音がした。
その音を、最後に。
オレの意識は、白く、灼け落ちた。
九日目の記録は、ここまでだ。
ついでに、この日、もう一つ分かったことがある。
オレの知ってるザガンは、光線を撃つ。
この世界のザガンは、撃たなかった。
――経験ってのは、時々、こういう顔をして、人を殺しに来る。




