8日目『胸騒ぎ』
言っておくが、オレは、そこそこ勘のいいほうだ。
殴り合いで飯を食ってた頃、後ろから来る一発ってのは、当たる前に、首の後ろがざわつく。
そのざわつきってのは、たいてい、当たる。
――この日の朝、オレの首の後ろは、朝からずっと、ざわついていた。
目が覚めたら、スヨンが消えていた。
宿の、そいつが寝てたはずの床には、丸めた毛布だけが残っている。
窓が、開けっぱなしだ。冷てぇ風が、部屋に吹き込んでいた。
「……おい、スヨン?」
便所か。いや、荷物が、無ぇ。
宿の裏も、井戸端も、昨日暴れた酒場も覗いた。
どこにも、あの赤茶けた頭は、なかった。
「梶さん!」
カイトが、息を切らして駆けてくる。
「街の人に、聞いたら……この付近で、ゴブリンキングが出たって」
「まじか」
胃の底が、ずくりと重くなった。
「じゃあ、あのバカ……もしかして」
「たぶん、向かったんだと思います」
「ちっ……あのド阿呆がァ!」
オレは、頭を掻きむしった。
冷や汗が、こめかみを伝う。
「あの、梶さん?」
「なんだ」
「僕が言うのも、なんですけど……」
カイトは、言いにくそうに、続けた。
「ゴブリンキングなら、スヨンの実力で、大丈夫かと」
「わかってる!」
つい、声が跳ねた。
「……わかってんだよ。でも、違うんだ」
「?」
こいつの言うことは、正しい。
スヨンは、口は悪いが、腕は本物だ。氷で足を掬われなきゃ、カイトにだって、そう簡単には負けなかった。
ゴブリンキングの一匹くらい、あいつなら、鼻歌交じりでカタをつけるだろう。
でも――違う。
問題は、そこじゃねぇ。
「……日付は、とっくにズレてる」
オレは、床を睨んで、小声で吐き捨てた。
「え? 日付?」
「……いや」
言えるわけがねぇ。
一回目のループで、オレが腹から血を噴いて死んだのは、四日目だ。
今日は、八日目。
四日、遅ぇ。
(……だったら、なんで、首の後ろがざわつきやがる)
分かってる。
あの時、オレはカイトと山にいた。北の空じゃ、こいつが――スヨンが、腹をやられて、死んだ。
たった一人で、誰の指図も受けずに、どこかへ突っ込んで。
日付は、ズレた。オレが北へ来たぶん、全部が後ろへ動いた。
だが、形は、同じだ。
一人で出て行った。でかいのが待ってる。
(……今度も、腹だ)
確証なんざ、どこにもねぇ。
外したところで、無駄骨を一日ぶん背負うだけだ。
当たってたら、全部、巻き戻る。
賭けるほうは、決まってる。
「止めねぇと」
オレは、顔を上げた。
カイトを、見る。
「カイト。オレは、スヨンを連れ戻しに行く」
「なら、僕も」
「お前は、この街に残れ」
「え?」
カイトが、目を丸くした。
「ゴブリンは、群れで動く」
オレは、早口で続けた。
「キングが出たってこたぁ、他の連中も、うろついてる。お前まで出払ったら、街にゴブリンが来た時、誰が守るんだ」
「……なるほど」
「お前は残って、この街を守れ。それが、お前の役目だ」
(それに、二人まとめて動かして、二人まとめて死んだら、笑い話にもならねぇ)
一瞬だけ、カイトは、何か言いかけた。
だが、すぐに、うなずいた。
「わかりました」
いつもの、素直な顔で。
「梶さんも、気をつけて」
「おう」
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門を抜けると、風が、さらに冷えた。
「マップ」
薄青い地図が、目の前に広がる。
赤い点は、街の北――山の裾を回り込んだ、谷のあたりで、点滅していた。
そして、その周りに。
薄い線が、うっすらと残っている。
スヨンが、たった今、通っていった、足跡の履歴だ。
赤い糸みてぇに、街道を外れて、まっすぐ山へ伸びていた。
「……律儀に、獣道を突っ切ってやがる」
こいつは、道を、選ばねぇ。最短距離を、力ずくで進むタイプだ。
だが――そのぶん、無駄も多い。
沢を大回りして、崖を無理に登ってる。
オレは、地図の上で、その線を、指でなぞった。
(ここを、こう抜けりゃ、半分だ)
スヨンが大回りした沢を、まっすぐ渡る。
崖は登らず、脇の獣道を回る。
足跡の履歴と、地形を照らし合わせりゃ、近道は、いくらでも見える。
それに、オレには、もう一つ、でかい強みがあった。
歩き出すと、藪の中から、ゴブリンが二匹、顔を出した。
赤い目が、こっちを――
見ない。
素通りだ。
(そうだ。オレは、認識されねぇ)
このガキの体は、モンスターの目に、映らねぇ。
スヨンなら、一匹ずつ相手取って、時間を食う。オレは、その横を、素通りできる。
戦わずに、やり過ごせる。
十歳の、短ぇ足でも。
近道と、認識阻害。
この二つがありゃ、あの直進バカに、追いつくのは、不可能じゃねぇ。
「待ってろ、クソが」
オレは、獣道を、駆けた。
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走ること、小一時間。
息が、上がる。
このガキの体は、持久力が、まるでねぇ。すぐに、心臓が悲鳴を上げやがる。
膝に手をついて、オレは、マップを覗いた。
「……止まってやがる」
赤い点が、動かねぇ。
さっきまで、じりじりと山を登っていた点が、谷の一点で、ぴたりと張り付いている。
その周りに、小さな点が、いくつも、群がっていた。
(――戦ってやがるな)
心臓が、跳ねた。
汗が、一気に冷える。
「チッ……間に合え!」
オレは、また、駆け出した。
木の根に、つまずく。膝を、擦りむく。かまわず、立ち上がる。
このガキの体を、ぶっ壊す勢いで、谷へ、下った。
木立が、途切れた。
開けた谷底。
濁った獣の匂いと、血の匂いが、風に混ざる。
そこに、いた。
赤茶けた頭が、剣を振り回している。
周りには、ゴブリンの死骸が、山になっていた。
その、真ん中で。
そいつを見下ろす、一回り、いや、二回りでかい影があった。
錆びた鉄の冠。だらりと下げた、鉈みてぇな剣。
ゴブリンキングだ。
「――スヨン!!」
オレの叫びは、たぶん、届いていた。
だが、そいつは、振り向きもしなかった。
「うおおおおおッ!!」
血を吐くみてぇに吠えて、たった一人で、その巨体に、斬りかかっていく。
八日目の記録は、ここまでだ。
……間に合ったのか、間に合わなかったのか。
そいつは、次に書く。




