5日目『二つ目』
五日目の記録。
……いや、違ぇな。
日付で言やぁ、一日目だ。二回目の、一日目。
こんなもん、どう書き残しゃいいんだよ。
林の手前。日が昇りきる少し前。
崩れかけた石垣の上で、オレは、あぐらをかいて待っていた。
土と、青い草の匂い。露が、靴の先を濡らしていく。
やがて、下の草地に、ローブの背中が現れた。
その少しあとで、林から、ゴブリンが三匹。
……時間まで、ぴったり同じだ。
「――【火矢】」
正面の一匹が、額から火を噴いて倒れる。
右から回った二匹目に、そいつは背を向けない。
半身を引いて、詠唱を繋ぐ。
「【風縛】」
(そんで、次が雷だ)
「【雷槍】」
空気が、パン、と割れた。
焦げた匂いが、風に乗って、鼻の奥まで届く。
最後の一匹が逃げる先へ、火が置かれた。
三匹目が崩れるのを、オレは、頬杖をついて見ていた。
(……知ってるんだよ、全部)
胸の奥が、変な具合にざらついた。
オレは石垣を蹴って、草の上に降りる。
「よぉ」
肩が、跳ねた。
「――っ!」
振り返りざま、杖の先がオレの鼻先まで来る。
そこで、ぴたりと止まった。見開いた目が、頭のてっぺんから、つま先まで一往復する。
「……え、と」
杖が、ゆっくり下りた。
「あの。ここ、危ないですよ。街まで、送りましょうか」
「送らなくていい」
オレは、頭を掻いた。
「その台詞、二回目だ」
「二回目?」
「気にすんな。いいか、一回しか言わねぇぞ」
指を三本立てる。
「勇者育成課の梶だ。今日からテメェの教育係。オレの姿と声はお前にしか届かねぇ。手出しは一切できねぇ、口だけだ。以上」
「は、はぁ……」
「質問は」
「……あの」
「『女の子がオレって言うんだな』だろ。中身は三十のオッサンだ」
「まだ何も言ってません!!」
言ってねぇだけで、思ってたくせによ。
「……えっ、なんで分かるんですか」
「占い師だからだよ」
信じられてはいねぇが、こいつは、それ以上は聞かなかった。
そういう線引きができるガキだ。
一度、口の中まで出かかった。
――この一日は、二回目だ。オレは一度、死んでる。
だが、飲み込んだ。
まだ何も背負ってねぇ十八のガキに、そんなもんを最初に持たせてどうする。
背負わせるなら、背負えるようになってからだ。
「よし、動きの話をするぞ。詠唱に入る前に、半歩下がれ」
「下がる、ですか」
「敵はお前が口を動かした瞬間に踏み込んでくる。半歩ぶんの土地を、先に買っとけ」
「……はい」
うなずいて、すぐにやる。理由も聞かねぇ。
「背中に何か置け。壁でも、岩でもいい」
「はい」
「詠唱は、敵の足が地面を離れた瞬間に合わせろ。空中の奴は逃げらんねぇ」
「……あっ」
そこで、目の色が変わる。
「風の魔法って、飛ばすんじゃなくて――落とす、ってことですか」
「そうだ」
一言一句、前と同じだ。
こいつは、また同じところで気づいて、同じ顔をした。
(……ちくしょうめ)
嬉しいのか、寒いのか、自分でも分からなかった。
昼。
木陰に座って、オレは、ずっと引っかかってたもんを引きずり出した。
「なあ、カイト」
「はい」
「テメェは、勇者だよな」
「え?」
きょとん、とした顔。
「……そう、聞いてます」
「そうだよな……」
膝を抱えて、オレは、土を指でつついた。
「ちなみによ。誰に聞いた」
「え? 女神様ですけど」
「――ちっ。クソ女神が」
「え、えっ?」
「テメェのことじゃねぇ。気にすんな」
オレは、手を振ってから、ウィンドウを引っ張り出した。
「鑑定」
『名前:カイト
職業:魔法使い
称号:勇者
状態:異常なし
――担当勇者と一致』
勇者。担当。異常なし。
三つとも、正直に出てやがる。疑う余地が、どこにもねぇ。
念のため、もう一枚。
「Book」
分厚い本が、ぼふん、と宙に開いた。
「聞くぞ。目の前の奴が本物かどうか、確かめる方法はあるか」
『信頼とは、相手の言動に一貫性を認めたときに生じる、認知上の判断であり――』
「そういうことを聞いてんじゃねぇんだよ!!」
『傾聴とは――』
「うるせぇ!」
本を叩き閉じる。
……まあ、いい。答えは出てる。
こいつは、勇者だ。オレの担当だ。それも、当たりの部類の。
なのに。
オレは、自分の腹に手を当てた。
服の上からじゃ、何もねぇ。傷ひとつねぇ。
だが、あの夜、ここから血が噴いた。
こいつが無傷で、笑ってた、その目の前でだ。
(……勇者が死ねば、教育係も死ぬ。オレはそう聞かされてる)
(じゃあ、なんでオレだけ死んだ)
答えは、出なかった。
†================†
その夜。
オレは、宿の屋根によじ登った。
昼のパンの匂いは消えて、どこかの煙突から、燃えた木の匂いが流れてくる。
瓦が、まだ、ぬるい。
「……マップ」
薄青い地図が、目の前に広がった。
真下で、赤い点が、じわり、じわりと点滅している。
カイトだ。安宿の二階で、本でも読んでんだろう。
「お前は、ここにいる」
指の先で、点をつつく。
「……じゃあ、なんで、オレは死んだ」
しばらく、そのまま睨んでいた。
――いや。
待て。
オレは、この地図を、いつも街の周りしか見てねぇ。
前の担当の時も、その前もだ。担当は一人、探すのはそいつ一人。だから、それで足りていた。
「……もっと、引けねぇのかよ、これ」
指で、地図の端をつまむ。
引っ張ってみる。動かねぇ。
「クソが。オレの時代の地図はな、紙だったんだよ。畳んで、開いて、破れるやつだ」
悪態をつきながら、適当に手を動かしていたら――地図が、すっと引いた。
街が、小さくなる。
川が、線になる。
森が、緑の染みになって、その向こうに、国境が這っていく。
もっとだ。
海が出た。
大陸の形が、視界の端に収まっていく。
そして。
ずっと、ずっと北の。
雪みてぇに白く塗られた土地の端っこで。
もう一つ。
赤い点が、点滅していた。
「…………は?」
弱い。遅い。今にも消えそうな明滅だ。
だが、色は、同じだった。
真下で光ってるカイトの点と、寸分違わねぇ、あの赤だ。
風が、屋根の上を撫でていった。
背中の汗が、一気に冷えた。
「……他にも、いんのか」
指を動かす。地図は、もう、それ以上は引けなかった。
端から端まで、二度、目でなぞる。
赤いのは、二つきりだった。
ろうそくの明かりが、まだ、窓から漏れていた。
オレは階段を降りて、閉まったままのドアを、すり抜けた。
カイトは、机で本を読んでいた。ページに、指をあてて。
「梶さん?」
「なあ、カイト」
「はい」
「お前以外に、この世界に、勇者はいるのか」
ろうそくの芯が、ぱち、と鳴った。
「……え」
ページをめくる手が、止まった。
「たしか……会ったことは、ないですけど」
指が、ページの端を、そっと撫でる。
「遠くの国に、いるって……聞いたような」
「誰に聞いた」
「……え、と」
「取って食いやしねぇ! いいから答えろ!」
肩が、びくりと上がった。
それから、こいつは、申し訳なさそうに言った。
「……女神、です」
一拍、置いて。
「クソ女神がァァァ!!」
オレは、天井に向かって吠えた。
カイトが飛び上がって、椅子ごとひっくり返る。
下の階から、うるせぇぞ、と怒鳴り声が上がった。
もちろん、怒鳴られてんのはカイトだ。
「す、すみません! 独り言です!」
「あの女ァ……! 言うことは言えってんだよ、なんでオレにだけ黙ってやがる!」
「梶さん、梶さん、落ち着いて」
「落ち着けるかァ!」
……いや。
待て。
黙って、たか?
あの白い部屋。床が抜ける、その直前。
『では、今回の担当勇者は――』
(……あの女、なんか言いかけてやがったな)
指先が、少し、冷えた。
いや。
どうせ、大した話じゃねぇ。あの女がまともに喋ったところで、肝心なところはダンマリだ。
現地で調べりゃ済む。今まで、ずっとそうしてきた。
オレは、頭を振って、それを追い出した。
「梶さん」
「……なんだよ」
「僕、何か、まずいことを言いましたか」
「言ってねぇ」
そっぽを向いて、オレは吐き捨てた。
「テメェは何も悪くねぇ。悪ぃのは、全部あのクソ女神だ」
「……はい」
こいつは、ちょっとだけ笑って、本に目を戻した。
オレは窓を開けて、北の空を見た。
星が、やたらと多い。
風が、冷てぇ。
あの点は、まだ、あそこで、ちかちかと明滅してやがるはずだ。
たぶん、あそこにいる誰かが、腹をやられた。
それが、そのまま、オレの腹に来た。
「……北かよ」
顔も、名前も、性別すら知らねぇ。
だが、あいつが死ぬと、オレが死ぬ。オレが死ぬと、こっちが全部、巻き戻る。
冗談じゃねぇ。
「――行くしかねぇか」




