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辞令:人災育成課配属を命ずる 〜ノルマ8192万人。転生した元最強勇者の転職先は、人災級のポンコツ勇者を 育てるブラック職場でした〜   作者: Ruru
ケース2 カイト

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4日目『逃げろ』

四日目の記録。


――ここから先は、正直、あまり書きたくねぇ。


「梶さん……こういう場合は、どうしたら」


崖の上のデカブツから目を離さずに、カイトが、かすれた声を出した。


「あん?」


オレは、あごを撫でた。


「こういう場合はなぁ。……知りてぇか?」


「あるんですか、秘策が」


「いいか。よく聞け」


「はい!」


「逃げんだよ!!」


「ええっ!?」


カイトが、素っ頓狂な声を上げた。


「秘策じゃないです、それ!」


「立派な戦術だ! 走れェ!!」


オレたちは、崖の下の斜面を、転がるように駆け下りた。


硫黄の匂いが、喉の奥に張りつく。


足の裏で、砂利が滑る。


背中で、翼が、一度だけ、鳴った。


風が、上から叩きつけてくる。


「……速ぇ」


木の間を抜けても、影が、頭の上から離れねぇ。


真っ黒な鱗のバケモンは、追いかけてるってより、こっちが疲れんのを、待っていた。


「ちぃっ……逃がしちゃくれねぇか」


「か、梶さん」


カイトの息が、上がっている。


「戦うんですか」


「いや」


即答した。


「今は、勝てねぇ」


「――!」


「テメェの雷は、さっきので出し切ってんだろ。ここでもう一回喉ぶち抜けって言われて、できんのか」


「…………」


木の幹を、盾にする。


一拍だけ、息を整えて――オレは、腹をくくった。


「……あれを、するしかねぇか」


「え?」


オレは、カイトに手を伸ばした。


「カイト! オレの手を掴め!」


「え? あ、はい!」


前の担当の時に、魔族をぶん殴った、あの手だ。


手さえ掴めりゃ、オレは、こいつの中に入れる。


腕っぷしなら、オレのほうが上だ。オレが動かしゃ、あのデカブツの一匹くらい――


(オレなら、なんとかなる)


カイトが、わけも分からねぇまま、手を伸ばしてくる。


その手が、オレの手に――


「――!?」


重ならなかった。


すり抜けた。


十歳のガキの手が、カイトの手を、水みてぇに、通り抜けやがった。


「あの……掴め、ないです」


カイトが、戸惑った顔で、自分の手のひらを見る。


何度、握ろうとしても、指が、空を切る。


「……は?」


背筋が、ざわりとした。


前は、掴めた。あいつは、自分から手を伸ばしてきて、オレは、確かに、その体に入った。


なのに、今は――


「作戦変更だ!」


考えてる暇はねぇ。真上で、翼が畳まれる音がした。


「全力で走れェ!!」


「またですか!!」


木立の中を、二人で、また転げるように駆ける。


走りながら、オレは、自分のステータスを引っ張り出した。


(……ねぇ)


前の現場では、ここに、確かに並んでいた。


体を貸し借りする、あのスキルの名前が。


それが、消えている。


灰色に塗り潰されたみてぇに、項目ごと、無い。


(何か、発動条件があんのか?)


前は、いつ使えるようになった。


……思い出せねぇ。気づいたら、使えてた。


そういう、後出しみてぇな仕様だ。


肝心な時に無ぇってんなら、あってねぇようなもんだろうが。


(クソ……いまいましい仕様だ! あのサイコパス女神ァ!)


腹の中で吠えても、灰色の項目は、うんともすんとも言わねぇ。


「梶さん! 追いつかれます!」


「わかってる!」


沢の音が、耳に届いた。


さっき、あのデカブツが焼いた岩場だ。


赤黒く炙られた岩が、まだ、じりじりと熱を吐いている。


手が使えねぇなら、頭だ。


「カイト! 水は撃てるか!」


「え……生活魔法くらいなら!」


「上等だ!」


オレは、岩肌を指差した。


「沢の水を、そこの焼けた岩に、ぶちまけろ! 全部だ!」


「は、はい――」


しゃあ、と、白いもんが立ち上がった。


熱された岩が、水を食って、一気に噴き上げる。


「そのまま風だ! 混ぜて、広げろ!!」


「【風】――!」


渦が、白を巻き込んだ。


湯気が、谷に、ぶわりと広がっていく。


視界が、乳みてぇに濁った。


「こんな方法が……!」


「口を閉じろ、走れ!」


上で、耳障りな咆哮が上がった。


翼が、風を叩く。だが、そいつが起こす風が、また霧を掻き回した。


自分で、自分の目を潰してやがる。


(学習しろよ、上位種族サマよぉ)


オレたちは、白い中を、沢づたいに、下へ下へと転げ落ちていった。



どれだけ走ったか、分からねぇ。


気づけば、翼の音は消えていた。


倒れた木の根方に、カイトが、へたり込む。


「……はっ、はっ……」


煤と泥で、顔が、真っ黒だ。


前髪の先から、湯気の雫が、ぽたぽた落ちている。


「……生きてます」


「そりゃそうだろ」


オレは、腰に手を当てた。


「オレの指示だぞ」


顔を見合わせた。


どっちが先に吹き出したのか、分からねぇ。


「あははっ」


「はっ、はははは!」


腹の底から、笑った。


命からがら、泥まみれで、報酬も持たずに逃げてきた男が二人。


いや、一人と、一人だ。


「梶さん、逃げんだよって」


「うるせぇ、名文句だろうが」


「あんなに堂々と逃げる人、初めて見ました」


「テメェな、こら」


こういうのが、悪くねぇんだ。


死にかけて、笑える相手がいる。


掴めなかった手のことは、頭の隅に追いやった。



カイトが、ふいに、笑うのをやめた。


目が、見開かれていく。


「……ん? どうした」


「梶さん」


「あ?」


「……血が」


指が、オレの顔を差していた。


顎に、あったけぇもんが、伝っている。


拭ってみたら、手の甲が、赤くなった。


「……鼻血?」


こんなもん、いつ以来だ。


首を傾げようとして。


膝から、力が、抜けた。


「――は?」


見下ろす。


服の腹んとこが、内側から、じわりと黒く広がっていた。


ぽたり、と、地面に落ちる。


ぽたり、ぽたり。


やがて、それは、糸みてぇに、繋がった。


「梶さん!!」


「待て、待て待て、おかしいだろ」


慌てて、服をたくし上げた。


――何も、ねぇ。


切られてもいねぇ。抉られてもいねぇ。


十歳のガキの、白い腹があるだけだ。


なのに、そこから、血が、あふれ出している。


まるで、どっか遠くで開いた穴の分だけ、オレの体が、律儀に払ってるみてぇに。


(……なんだ、これ)


腹の内側が、ねじ切られるみてぇに、熱い。


冷や汗が、一気に噴いた。


「テメェ、怪我は」


オレは、カイトを見た。


煤だらけだが、泥だらけだが。


無傷だ。血の一滴も、流しちゃいねぇ。


「鑑定!!」


『名前:カイト/職業:魔法使い/状態:異常なし』


異常、なし。


嘘じゃねぇ。こいつは、ぴんぴんしてやがる。


(じゃあ、なんでオレが死にかけてんだ)


「梶さん、しっかりしてください、梶さん!」


カイトが、手を伸ばしてくる。


その手は、また、オレをすり抜けた。


視界が、白く、灼けはじめる。


「……なんでだ」


膝が、地面についた。


砂利の冷たさが、頬に来る。


「誰も、死んじゃ、いねぇじゃねぇか……!」


答えは、なかった。


「梶さん!! 梶さぁん――!!」


叫ぶ声が、水の底みてぇに遠のいて。


オレの意識は、闇に落ちた。


尻から落ちた。


石畳が、硬てぇ。


生ゴミと、安酒の匂い。


「……いってぇな、クソが」


言ってから、動きが止まった。


腹を触る。


血は、ねぇ。痛みも、ねぇ。


服も、真新しい。


ついでに、この体も、寸分たがわず、ちんちくりんのままだ。


顔を上げれば、見覚えのある路地の壁。


その先で、荷車が、ガタゴトと石畳を鳴らしていく。


焼きたてのパンと、鉄くささ。


――一日目だ。


戻ってやがる。


(……リセット、かよ)


膝が、笑った。


やっぱり、今回もあるのか、このクソ仕様が。


前の担当の時と、同じだ。担当の勇者が死ねば、時間が巻き戻る。


覚えてんのは、オレだけ。


だが。


だが、待て。


(……誰が、死んだ?)


オレは、壁に手をついた。


カイトは、目の前にいた。


無傷だった。鑑定も、正直に「異常なし」を出しやがった。


死んだのは、オレだ。オレだけだ。


そんな話は、聞いてねぇ。


死ぬのは勇者で、それに巻き込まれるのがオレだ。順番が、逆だろうが。


(……いや)


冷えた石壁の感触が、じわりと指に伝わってくる。


順番は、逆じゃねぇのかもしれねぇ。


どっかで、誰かが、腹をやられた。


それが、そのまま、オレに来た。


オレの知らねぇ、どっかで。


それに、あの手だ。


いざって時に、カイトの体に、入れなかった。


前は、できたことが。


「……おい」


オレは、まだ何も知らねぇ空を見上げた。


「担当ってのは、あいつ一人じゃねぇのか。クソ女神」


答えは、返ってこない。


あの女は、肝心なことは、何も言わねぇ。


――いや。


違う。


言おうとしたのを。


オレが、遮ったんだ。


「……ちっ」


オレは、舌打ちをして、路地を歩き出した。


これが、四日目の記録だ。


書いてる今、オレは、三日目より前の街にいる。


一つだけ、はっきりしたことがある。


オレが死んだ理由は、この街には、ない。

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