3日目『大物だ』
三日目の記録。
この日、カイトは冒険者になった。
ついでに、一発、腹に食らった。
朝の食堂は、焼けたパンと、薄いスープの匂いがした。
「――だからな、テメェに足りねぇのは知識じゃねぇ。場数だ」
「はい」
「本を百冊読んでも、初手で足が止まる奴は止まる。数をこなせ」
「はい」
カイトが、素直にうなずく。
ちなみに、傍から見りゃ、こいつは誰もいない椅子に向かって返事をしている十八歳だ。
隣の卓の親父が、皿を持って、そっと離れていった。
「……梶さん。みんな、見てます」
「オレは見えねぇから安心しろ」
「僕が見えてるんですよ!」
いい反応をする。オレは笑った。
「よし。ギルドで手頃な依頼を片っ端から受けるぞ。カード出せ」
「カード、ですか」
「冒険者証だよ。登録証」
「……持ってないです」
「は?」
スープを飲む手が、止まった。
「登録、してなくて」
「テメェ、この一年、何やってたんだよ!!」
「魔物を倒して、素材を、雑貨屋さんに」
「雑貨屋! いくらで売った!」
カイトが、指を折って、正直に金額を言った。
オレは、天井を仰いだ。
「三分の一だ、それ。カモにされてんだよ、テメェは!」
「そうなんですか」
「怒れよ!」
だが、こいつは、少し困ったように笑っただけだった。
「安く買ってもらえるだけ、ありがたかったので」
(……お人好しにも、程があんだろ)
腹の立て方も知らねぇのか、こいつは。
冒険者ギルドってのは、どこの世界でも同じ匂いがする。
汗と、なめし革と、こぼれた酒だ。
受付の姉ちゃんは、羊皮紙を一枚めくって、事務的に言った。
「登録は無料です。ただし、実技試験に合格していただきます」
「実技」
「教官に、一撃入れてください。当たれば合格。それだけです」
――出てきたのは、二メートル近い筋肉ダルマだった。
上半身は裸。木剣も持たねぇ。腕が、オレの胴より太い。
「魔法使いか」
教官は、あごをしゃくった。
「好きなだけ撃て。かすりゃ合格だ」
結論から言う。
かすりもしなかった。
「【火矢】――」
一音目で、もういねぇ。
分厚い体が、砂を蹴って、横に流れる。
「【風縛】!」
渦を、またいで越えた。
「速ぇ……!?」
見た目に騙される。あの手の体は、重いんじゃねぇ。詰まってるだけだ。
三度目の詠唱の途中で、平手が来た。
カイトの体が、砂の上を、二回転がる。
ギャラリーが、どっと笑った。
「おい、カイト」
オレは、砂に膝をついたそいつの横に、しゃがみ込んだ。
「聞け。あいつは、テメェの口を見てる。詠唱の一音目で動いてやがる」
「……はい」
「だから声を出すな。無詠唱で、足元の砂を弾け。目ェ潰した一瞬で終わる」
「はい」
「いいか、絶対に間合いに入るな。入ったら――」
カイトは、立ち上がって。
まっすぐ、前に歩き出した。
「おい」
止める間もなかった。
丸太みてぇな腕が、迷いなく振り抜かれる。
避けない。
こいつは、避けなかった。
拳が、みぞおちに、めり込んだ。
「――が、はっ」
体が、く、の字に折れて、宙に浮く。
その、飛ばされる途中で。
伸びきったカイトの指先が、教官の前腕を、ぺたりと撫でた。
「――一撃、入りました」
ギルドが、静まり返って。
次の瞬間、床が抜けるほどの、笑いと歓声が上がった。
「ぶはっ、はっはっは! 合格だ、坊主!」
教官が、カイトの襟をつまんで、荷物みてぇに引き起こす。
「だがな、二度やるなよ。今のはオレが手加減したからだ。次は死ぬ」
「はい。ありがとうございます」
「……テメェ、コラ!」
オレは、砂の上を大股で詰めた。
「オレの話、聞いてたか! 間合いに入るなっつっただろうが!」
「聞いてました」
カイトが、口の端の血を、袖で拭う。
「でも、あれが、一番確実だったので」
言われて、オレは口をつぐんだ。
……確かに、そうだ。
砂を弾く手は、外せば終わりの一発勝負だった。
殴られるのは、確実に届く。痛ぇだけだ。
(……計算しやがったな、こいつ)
戦い方を教えたのは、オレだ。だが、その使い道は、こいつが自分で決めた。
しかも、その手を選ぶには、根性がいる。
砂を払うカイトの指先を、オレは、ちらっと見た。
震えていない。
(……頭が回って、腹も据わってる。上等じゃねぇか)
「梶さん」
「あ?」
「次は、何をすればいいですか」
オレは、思わず、吹き出しちまった。
カードが出来上がるのを待つ間に、オレは掲示板を眺めていた。
紙が、何十枚も、雑に留められている。
その一枚で、目が止まった。
「――これだ」
「え」
「山のドラゴン。討伐。報酬、でけぇぞ」
「無理ですよ!?」
カイトが、裏返った声を出した。
「難易度、Aって書いてあります!」
「あら」
受付の姉ちゃんが、顔を上げた。
「Aは、さすがにお勧めしませんけど……」
「いえ、僕じゃなくて。この人が」
「この人?」
姉ちゃんが、カイトの隣の、何もない空間を見た。
見えるわけがねぇ。
「……あ」
カイトの顔が、じわじわと固まっていく。
「あの。お客様。……お一人、ですよね?」
「……はい」
「Aの依頼を。登録したばかりの新人が。お一人で」
「……その、はい」
しばらくの沈黙のあと、姉ちゃんは、判を押した紙を、そっと差し出した。
哀れみのこもった、いい笑顔だった。
「……ご遺体は、回収できたら、回収します」
「ぎゃはははは!」
「梶さん、笑いすぎです!」
「わりぃ、わりぃ。……安心しろ、考えがある」
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乗合馬車は、干し草と、家畜の匂いがした。
尻の下で、車輪が、石を拾うたびに跳ねる。
山道に入ると、風が、少し冷たくなった。
「梶さんは」
隣を歩きながら、カイトが言った。
「……向こうでは、何をしてたんですか」
「ロクなもんじゃねぇよ」
オレは、鼻を鳴らした。
「十代の頃は、毎日誰かとやり合ってた。学校なんざ、ほとんど行ってねぇ」
「意外です」
「意外か?」
「はい。だって、教えるの、上手いので」
「…………」
参ったな、と思った。
「……その後にな、行き場のねぇガキ共の面倒を見る仕事に就いた」
「へえ」
「殴り合いしか知らねぇ奴のほうが、話が早ぇんだよ。ああいうのは」
不思議と、口が回った。
トラックに轢かれて死んだ話も、こっちで魔王をぶっ殺した話も、前の担当だった泣き虫の話も、気づけば全部しゃべっていた。
カイトは、いちいち、いい相槌を打った。
「テメェは?」
坂の途中で、オレは聞いた。
「向こうに、家族は」
「……いますよ」
少しだけ、間があった。
「田舎で、親戚がたくさんいて。みんな、よくしてくれました」
「そうかよ」
「それより、梶さん。魔王って、どうやって倒したんですか」
「おう、そりゃあな――」
オレは、また、自分の話を始めた。
峠を越えたところで、ふと、気づいた。
ここまで登る間、しゃべってたのは、ほとんどオレだ。
(……こいつの話、何か聞いたか?)
まあ、いい。
言いたくねぇことの一つや二つ、誰にだってある。オレにだって、山ほどある。
「梶さん」
「あ?」
「あなたが来てくれて、よかったです」
「……あー」
そういうのは、慣れてねぇ。
オレは、そっぽを向いて、あごで前を指した。
「行くぞ。臭ぇのが来た」
岩肌に、白い骨が散らばっていた。
鼻を突くのは、腐った卵みてぇな、硫黄の匂いだ。
崖の中腹。焦げて黒くなった地面の真ん中に、そいつは寝そべっていた。
家が一軒、動いてるようなもんだった。
鱗は、岩だ。
「【火矢】!」
橙の線が、脇腹で、ぱきん、と割れて散った。
「効かない……!」
「【雷槍】!」
鱗の間で、火花が跳ねる。浅い。
そいつが、首を持ち上げた。
「散れ!!」
吐かれた炎が、岩を舐めて、赤く溶かした。
熱が、頬を焼く――はずだった。
炎は、オレを、避けもしなかった。
オレがそこにいねぇみてぇに、通り過ぎていっただけだ。
(……クソが)
手が届かねぇ。庇えねぇ。オレにできるのは、口だけだ。
「Book! ドラゴンの倒し方!」
『傾聴とは、相手の言葉をさえぎらず、まず受けとめることであり――』
「カウンセリングの本しか出てこねぇんだよ、これは!!」
役に立たねぇ辞書を叩き閉じて、オレは、そいつを睨んだ。
見ろ。読め。
魔王をぶっ殺したのは、腕っぷしじゃねぇ。
「――カイト! 見つけたぞ!」
岩陰で、煤だらけの顔が上がる。
「あのデカブツ、火ィ吐く前に、必ず一回、深く吸ってやがる。三拍だ」
「三拍……」
「息を吸うってこたぁ、口ん中を、こっちに開けるってことだ」
オレは、叫んだ。
「鱗の外は岩でも、中身は肉だ! 喉に流し込め!」
「――はい!」
カイトが、飛び出した。
翼が、風を打つ。
「【風縛】!」
渦が、片翼を絡め取った。体勢が崩れ、巨体が地面に落ちる。
来る。
首が、持ち上がる。
顎が、開く。
胸が、大きく、膨らんだ。
一拍。
二拍。
「――今だ!!」
「【雷槍】ッ!!」
光が、まっすぐ、喉の奥へ吸い込まれていった。
内側から、腹が、白く光った。
音は、聞こえなかった。
ただ、山が、一度、大きく揺れた。
崩れ落ちた岩みてぇな体が、二度跳ねて、動かなくなる。
「……はっ、はっ……」
膝をついたカイトの背中に、オレは、拳を突き出した。
「上等だ! やりやがった!」
「……梶さん」
煤で真っ黒な顔が、こっちを向いて、笑った。
「勝てました」
「当たり前だ。オレの指示だぞ」
初めての、大物だ。
こいつはもう、そこらの新人とは、違う。
(……今回は、楽勝だな)
そう思って、オレが立ち上がった時だった。
日が、陰った。
風が、止まる。
崖の上。
でかい影が、こっちを見下ろしていた。
さっき倒したやつが、子供に見える。
「……は?」
黒に近い鱗。折り畳まれた翼。
そいつは、動かなかった。
死骸を一度見て、それから、カイトを見た。
「鑑定」
反射で、オレは口にしていた。
何も、出ない。
(……そうだった。オレの鑑定は、担当の勇者にしか効かねぇ)
目の前のバケモンが何者か、オレには、一文字も読めない。
「梶さん」
「……走れ」
崖の上で、石が、ひとつ、転がり落ちた。




