2日目『疑えよ』
記録しておく。
今回の担当は、カイトっていう、感じのいいガキだった。
犬を挟んだせいで、もう何人目だか数える気も失せたが……まあ、そこはいい。
――ここまでは、全部、本当のことだ。オレは、嘘は書いてねぇ。
草を踏んで、そいつの背中に近づいた。
焦げた匂いが、まだ空気に残っている。
「よぉ」
肩が、跳ねた。
「――っ!」
振り返りざま、杖の先がオレの鼻先まで来る。反応は、悪くねぇ。
だが、そこで止まった。
見開いた目が、オレの頭のてっぺんから、つま先まで、一往復する。
そりゃそうだ。
銀髪の十歳のガキが、魔物の死骸だらけの草地に、ぬるっと立ってんだからな。
「……え、と」
杖が、ゆっくり下りた。
「あの。……ここ、危ないですよ。街まで、送りましょうか」
(……おい)
刃物を向けた相手に、いきなり送迎の心配かよ。
オレは、思わず頭を掻いた。
「送らなくていい。オレは、テメェに用があんの」
「僕に?」
「勇者育成課の、梶だ。今日から、お前の教育係やる」
しばらく、間があった。
そいつは、まばたきを二回してから、やたら丁寧に頭を下げた。
「……カイトです。よろしくお願いします」
「早ぇな。信じんのかよ」
「あ、いえ」
慌てて、顔を上げる。
「信じます。信じますけど……その、うまく言えなくて」
「なんだよ」
「女の子が『オレ』って言うんだな、と思って」
「うるせぇ! 中身は三十のオッサンだ!」
「ええっ」
オレは地面に腰を下ろして、面倒な話から先に片づけることにした。
決まりごとってやつだ。
「まず、オレの姿と声は、お前にしか届かねぇ。街の連中には見えねぇし、話しかけても無駄だ」
「……はい」
「んで、オレは手出しが一切できねぇ。殴れねぇ、庇えねぇ、荷物ひとつ持てねぇ。できんのは、口だけだ」
「口だけ、ですか」
「悪ぃかよ」
「いえ」
カイトは真面目な顔で少し考えてから、こう言った。
「じゃあ僕がしくじったら、梶さんは、見てるしかないんですね」
(……こいつ)
一発で、そこに行き着きやがった。
たいていのガキは「なんだよ使えねぇな」で止まる。こいつは、こっち側から物を見た。
「……そういうこった」
「わかりました」
そこで、ほんの少しだけ、間が空いた。
「あの。その、勇者育成課って……どういう、ところなんですか」
「知るかよ」
「知らないんですか!?」
「オレも中の人間だが、中身は何も聞かされてねぇ。八千万人だかの勇者に片っ端から教育係をつけて回るとか抜かしてる、頭のイカれた役所だ」
「……八千万」
「文句あんなら、女神サマに言え。……つっても、あの女、まともに話が通じねぇけどな」
その時。
カイトが、笑った。
口の端だけで、ほんの少し。
目は笑ってなかった――なんて書いたら、嘘になる。
普通の、苦笑いだ。あきれたような、あきらめたような。
「……ええ。知ってます」
「なんだ。会ったのか」
「一度だけ」
それきり、こいつは何も言わなかった。
杖の先で、足元の草を、ちょん、ちょん、とつついている。
(……ふぅん)
オレは、なんとなく鑑定を開いた。
『名前:カイト/職業:魔法使い/状態:異常なし』
まっさらだ。呪いも、暗示も、何もねぇ。
(そりゃ、そうか)
あんな女に人生をひっくり返されて、ニコニコしてられる奴がいたら、そいつのほうがどうかしてる。
腹に何か抱えてるくらいで、ちょうどいい。
言わずに飲み込んだってことは、こいつは我慢を知ってるってことだ。
(……いい根性してんじゃねぇか)
オレは、こいつが少し好きになった。
「そういや、テメェ」
湿っぽいのは性に合わねぇ。オレは話を変えた。
「さっきのオレの悪態、そのまま通じたな」
「……あ」
カイトの顔が、ぱっと変わった。
「はい。梶さん、日本の方ですか」
「おう。……お前もか」
「はい!」
急に、声が高くなりやがった。
(……ああ)
こいつ、ずっと一人だったんだな。
「何年だ」
「え?」
「向こうに、いつまでいた」
「二〇二六年です」
「……は?」
耳を疑った。
「オレは二〇〇〇年だ。ちょうど、二〇〇〇年」
「にせん……」
「二十六年、ズレてやがる」
どうも、あっちとこっちじゃ、時間の流れる速さが違うらしい。
オレが魔王をぶっ殺して、女神にコキ使われてる間に、日本のほうは勝手に先へ行っちまってたってわけだ。
「聞くけどな。今、平成何年だ」
カイトが、気まずそうに目を泳がせた。
「……あの。平成、終わってます」
「は?」
「令和です」
「れいわ?」
聞いたこともねぇ音だ。
「なんだそりゃ。新しくできた宗教か」
「元号です! 平成は三十一年までで」
「長ぇな!」
オレは頭を抱えた。
二十六年。オレの知ってる日本は、もう、どこにもねぇってことだ。
「……なあ。ドラゴンボールは、まだやってるか」
我ながら、聞くことがそれかよ、と思った。
だが、カイトは身を乗り出してきた。
「知ってます! 好きです!」
「だろ!」
思わず、手を叩いちまった。
「オレはリアルタイムで見てたぞ。ブウのとこまで、全部な」
「リアルタイム……」
カイトの目が、丸くなる。
「すごいな。僕は、再放送と、配信で」
「再放送?」
「……はい」
(――そうか)
こいつにとっちゃ、あれは、もう昔のアニメなのか。
来週まで、そわそわして待ってたあの感じは、こいつには一生わかんねぇ。
なんだか、後頭部を軽く小突かれたような気分になった。
「まあいい。見てんなら上等だ」
「はい。……あ、超も面白かったですよね」
「……超?」
「え」
「なんだそりゃ」
カイトが、しまった、って顔をした。
「……あの。続き、です」
「続きぃ!?」
オレは立ち上がった。
「続いてんのかよ、あれ! ブウの後があんのか!」
「あります。神様より強い人が出てきて」
「神様より強ぇのが出てくんのか! もう、めちゃくちゃじゃねぇか!」
「あと、超サイヤ人の髪が、青くなります」
「青ぇ!?」
金髪じゃ足りねぇのかよ。
「金の次が青って、どういう理屈だ! 次は何色行くんだよ!」
「たしか、ピンクとかも」
「ピンク!!」
草地に、オレの叫び声が響いた。
遠くの林から、鳥が一斉に飛び立っていく。
……はしゃぎすぎだ。三十のオッサンが。
ひとしきり笑ったあと、カイトが、ぽつりと言った。
「……久しぶりに、日本語で笑いました」
「……そうかい」
オレは、そっぽを向いた。
二十六年ぶんの日本は、もう、オレの知らねぇ国だ。
(まあ、帰ったところで、浦島太郎のオッサンに何ができるって話だがな)
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翌朝。
草に降りた露が、日を弾いていた。空気が、まだ冷てぇ。
街外れの空き地で、オレは腕を組んだ。
「一つ聞くぞ。魔法は、誰に習った」
「本です」
カイトが、当たり前みたいに答える。
「街の図書館で、片っ端から」
「……独学かよ」
どうりで、隙がねぇわけだ。だが、どうりで、抜けてもいる。
「じゃあ、戦い方は」
「…………」
杖を握る手に、力が入った。
「……それは、誰も、教えてくれませんでした」
こいつは、目を伏せた。
「何をどう動けばいいのか、ずっと、わからなかったんです。魔法は撃てるのに、撃つ前に、いつも足が止まって」
(……ああ、そこかよ)
そりゃそうだ。本には、魔法の練り方は書いてある。
だが、どこに立てとは、書いてねぇ。
「よし」
オレは、指を鳴らした。
「そんなもん、半日で叩き込んでやる」
「まず足だ。詠唱に入る前に、半歩下がれ」
「下がる、ですか」
「敵は、お前が口を動かした瞬間に踏み込んでくる。半歩ぶんの土地を、先に買っとけ」
「……はい」
こいつは、うなずいて、すぐにやった。
疑いもしなけりゃ、理由も聞かなかった。
「あと、囲まれる形に立つな。背中に何か置け。壁でも、岩でも、木でもいい」
「はい」
「詠唱は、敵の足が地面を離れた瞬間に合わせろ。空中の奴は、逃げらんねぇ」
「……あっ」
そこで初めて、こいつの目の色が変わった。
「昨日の風の魔法……そういう、ことですか」
「そうだ。飛ばすんじゃねぇ。落とすんだ」
――で。
昼前に、ゴブリンが三匹、林から出てきた時。
こいつは、言われたことを全部やった。
半歩下がって、背中を岩に預けて、踏み込んできた一匹目の足が浮いた瞬間に、風で刈る。
転がったところへ、火。
散る前の二匹に、雷。
三十秒も、かからなかった。
焦げた匂いが、朝の風に、すっと混ざる。
「……お前な」
あごが落ちそうになった。
「一回で、できんのかよ」
「梶さんが、わかりやすかったので」
カイトは、汗も拭かずにこっちを向いた。
「……助かります。本当に」
そう言って、笑った。
「おい、カイト」
「はい」
「テメェ、もうちょっと疑えよ」
「え?」
きょとん、とした顔。
「今の全部、初対面の不審者に言われたことだぞ。銀髪の。十歳の」
「でも、正しかったので」
「……そうかよ」
(……素直か)
アヤは、一言ごとに謝りやがった。犬は、そもそも話を聞かなかった。
こいつは、渡したもんを、そのまま全部、飲み込んでいく。
教える側からすりゃ、最高の当たりだ。
オレは朝日に向かって伸びをして、腹の底で笑った。
今回は、楽勝だな。
――そう、記録した。
この日のオレは、一文字も、疑っちゃいなかった。




