1日目『勇み足』
「お手」
「ワンッ!」
差し出された前足を、オレは、しっかり握り返してやった。ふにふにの肉球が、あったけぇ。
「よし。おかわり」
「ワンッ! ワンッ!」
夕日が、草っ原を、オレンジに焼いている。
「いい子だ。……次は、あの輪っかを飛び越えてみろ」
オレが指差した先には、蔓で作った輪っかが、ぶら下がっている。
そいつは、後ろ足で、ぐっと地面を蹴った。
「わおーん!」
宙で、体が、きれいに伸びる。輪の真ん中を、毛の一本もかすらせずに、抜けた。
「いいぞレオ! 天才か、お前は!」
駆け戻ってきた勇者の頭を、わしゃわしゃと撫でてやる。
「ハッハッハッ」
尻尾が、うちわみてぇに、パタパタ揺れた。
「よーし、じゃあ最後だ。この枝を、取ってこい!」
夕日に向かって、思いっきり放り投げる。
勇者は、風みてぇに走った。落ちてくる枝に、頭から突っ込む。
ダイビングキャッチだ。もちろん、口で。
「っしゃあ! 最高だぜレオ! この調子なら、オレもそのうち、トップブリーダーに――」
「んなわけ、あるかい!!」
足元に置かれた枝を、地面に叩きつけた。
(何やってんだよ、オレは)
頭を掻きむしって、夕日に向かって吠える。
「どこ行った、魔王は! どこ行った、血肉躍る激闘は!」
「ハッハッハッ」
「もっと投げろ、じゃねぇんだよ!」
なんでオレが、犬っころの世話をしてる。
こいつ、一応、勇者だぞ。神サマ公認の。
「くぅーん」
「エサはまだか、でもねぇ! 勇者なら、攻撃スキルの一つや二つ覚えろや!」
オレは、こいつのステータスを引っ張り出した。
『勇者レオ/年齢:五歳/職業:勇者
固有スキル:【フリスビー回転空中キャッチ】』
「なんだよ、この……フリスビーの、回転空中キャッチって! どこで使うんだ! 魔王がフリスビー投げてくんのか!」
「ハッハッハッ」
「おい、コラ。……そこでションベンすんじゃねぇ」
その時だった。
耳の奥で、キィン、と、細いアラートが鳴った。
(……なんだ?)
見回しても、魔物の気配はねぇ。草が風に鳴ってるだけだ。
これは、ひょっとして。
震える指で、ステータスを開く。
無機質な一文が、そこに並んでいた。
『担当勇者の育成完了を確認。帰還を命じる』
「……育成完了? オレが、何を育成したって?」
言いながら、目の奥が、じわりと熱くなってきやがる。
「……やった。やっと、解放される……!」
終わりの見えねぇ、犬畜生の教育という名の、ただの世話。
そもそもこの世界に、魔王なんているのか。
オレは生まれて初めて、あのクソ女神に感謝した。
「ハッハッハッ」
「……ああ。達者でやれよ、レオ」
しゃがんで、耳の後ろを掻いてやる。
こいつは、気持ちよさそうに目を細めた。
(……ちょっとだけ、可愛かったな。ちょっとだけだぞ)
視界が、白い光に、包まれていく。
気がつけば、見飽きた真っ白な空間に立っていた。
まず、自分の手を見る。
ゴツゴツした、でけぇ手。視線も、高い。
「……やっぱ、この姿が一番落ち着くぜ」
三十歳の、男のオレだ。肩を回すと、骨がゴキリと鳴った。
パチパチパチパチ。
例によって、感情の一滴も入ってねぇ、拍手の音。
顔を上げれば、作り物みたいな笑みを貼り付けた、あの女が立っている。
「んで? オレを呼んだ理由はなんだ。新しい勇者の教育か」
女神は、にこりと笑ってうなずいた。
瞬きは、しない。
「ちょっと待て」
嫌な予感がして、オレは指を突きつけた。
「……イヌじゃ、ねぇだろうな」
「違います」
ほっと、肩の力が抜ける。
いや、待て。まだ油断はできねぇ。
「猫じゃ、ねぇだろうな!」
「違います」
「トカゲとか、そういうのもナシだぞ!」
「違います」
眉一つ動かさずに、女神が答える。
「……人間だろうな!」
「人間です」
「よし! ならいい。さっさと送れ!」
「詳細は、聞かないのですか?」
「聞いても、肝心なところは、またダンマリだろうが」
オレは鼻を鳴らした。
「もう、テメェに振り回されるのは御免だ。オレは、オレのやり方で行く。勇者も、現地で勝手に調べる」
「そうですか。では、今回の担当勇者は――」
「いらねぇって言ってんだろ! さっさと送りやがれ!」
ゴッ、と、嫌な音がした。
足元の床が、また、唐突に消える。
「……あ」
支えを失った体が、真っ逆さまに落ちていく。
オレは、遠ざかっていく笑顔に向かって、力いっぱい中指を突き立ててやった。
「ご武運を」
作り物の笑みは、最後まで崩れなかった。
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尻から落ちた。
石畳が、硬てぇ。鼻を突くのは、生ゴミと安酒の匂いだ。
「……いってぇな、クソが」
自分の声が、やたらと高い。
見下ろせば、細っこい手足と、揺れる銀色の髪。
(……戻ってやがる)
十歳のガキだ。それも、女の。
髪を一房つまんで、しばらく恨めしく眺めてから、放り捨てた。
「……ちっ。今回もかよ」
森じゃねぇ。路地裏だ。
前のアヤの時は、湿った森のど真ん中に落とされた。今度は屋根の下ってわけか。
壁づたいに歩いて、路地を抜ける。
その先で、オレは思わず口笛を吹いた。
「……おいおい。今回は、都会じゃねぇか」
石造りの建物が、肩を寄せ合うように並んでいる。三角屋根に、煙突。教会の尖った塔が、空を刺している。
荷車の車輪が、石畳をガタゴトと鳴らしていく。
焼きたてのパンと、鍛冶屋の鉄くささが、風の中で混ざり合っていた。
昼間から出来上がった親父どもが、酒場の軒先で、でかい声で笑っている。
「おい、そこのオッサン。この街、なんて名前だ」
答えは、ない。
そりゃそうだ。
オレの姿も声も、担当の勇者にしか届かねぇ。
その親父は、こっちを見もせずに、まっすぐ突っ込んできた。
「うおっと」
慌てて、横っ飛びに避ける。
「……毎度これだ」
聞き込みの一つでもできりゃ、話が早ぇんだけどな。
まあ、いい。愚痴ったところで、あの女が仕様を変えちゃくれねぇ。
オレは酒場を横目に、空中へ手を滑らせた。
「マップ」
薄青い地図が、目の前に広がる。
街の外れ――門を抜けた、林の手前あたりで。
赤い点が、じわり、じわりと点滅していた。
「……外かよ。このガキの足で、歩きか」
門を抜けると、風の匂いが変わった。
土と、青い草。街道の脇に、背の低い林が広がっている。
赤い点は、その先だ。
木立を回り込んだところで、オレは足を止めた。
――音がする。
短い詠唱。地面を蹴る足音。それから、獣みてぇな、濁った悲鳴。
崩れかけた石垣によじ登って、そっと下を覗き込んだ。
草地に、男が一人。
年は十七、八ってとこか。丈の長いローブに、木の杖。
囲んでいるのは、ゴブリンが三匹だ。
「――【火矢】」
杖の先で、光が弾けた。
橙の線が、一直線に走る。正面の一匹が、額から火を噴いて倒れた。
(……早ぇな、詠唱)
右から回り込んだ二匹目に、そいつは背を向けない。
半身を引きながら、次の詠唱を繋いだ。
「【風縛】」
足元の草が、渦を巻く。二匹目の膝が、がくんと落ちる。
そこへ。
「【雷槍】」
空気が、パン、と割れた。
焦げた匂いが、風に乗って、鼻の奥まで届く。
残った一匹が、逃げようと背を向けた。
だが、そいつは追わなかった。
杖の先を、わずかに下げる。逃げる先を読んで、そこに置いた。
橙の線が、また走る。
三匹目は、五歩も行かずに崩れた。
(……へぇ)
オレは石垣の上で、あごを撫でた。
無駄がねぇ。魔法の順番が、いい。
崩す、止める、抜く。しかも、逃げる敵の背中まで、ちゃんと詰めきってる。
半端に見逃した一匹が、後で村を焼く。そいつを、こいつは知ってやがる。
「鑑定」
ウィンドウが、男の頭の上に、ぽんと浮かんだ。
『名前:カイト
年齢:十八歳
職業:魔法使い
スキル:【火魔法・中級】【風魔法・中級】【雷魔法・中級】【魔力操作】
状態:異常なし
――担当勇者と一致』
「……カイト、な。なるほど、魔法使いか」
上から下まで、なめるようにステータスを追う。
数字は悪くねぇ。突出はしてねぇが、穴もない。
なにより、魔法の取り方が上手い。
火に全振りして「威力だけ一丁前の的」になるガキなら、腐るほど見てきた。
こいつは、そうしてねぇ。攻めと、足止めと、削り。三本の柱で、ちゃんと立ってやがる。
(誰かに習ったのか? ……いや、この年でここまで自分で組めるなら)
独学だ。それも、相当、頭がいい。
状態の欄も、まっさらだった。
前の現場じゃ、ここに「呪い」なんて物騒な文字が居座ってやがった。外から妙なもんを流し込まれてる勇者は、この欄が正直に吐く。
(……今回は、変なもんは憑いてねぇな)
魔物が消えて、あたりが静かになる。
普通、ここでへたり込むか、握り拳の一つくらい作るもんだ。
だが、そいつは、そのどっちもしなかった。
杖の先についた煤を、袖口で、ていねいに拭っている。
それから落ちた素材を拾い、布に包んで、腰の袋にしまった。
(……いいじゃねぇか)
浮かれねぇ。息も上がってねぇ。
肝が据わってやがる。
前のアヤなんざ、ゴブリン一匹で泣きそうになってたってのに。
オレは石垣を蹴って、草の上にひらりと降り立った。
青い匂いが、ふわりと立つ。
(今回は、拍子抜けするくらい、楽かもしれねぇな)
――言っておくが。
この時のオレは、心の底から、本気でそう思っていた。




