13日目『決着』
「逃がさねぇよ」
逃げようとするザガンの影を、オレは盾の底でしっかりと踏みつけた。
見えない鎖に縫い留められ、上位魔族の巨体がびくりと硬直する。
(……だが、こっからが綱渡りだ)
オレは、にやついた表情の裏で、内心の冷や汗を必死に押し殺していた。
捨て身の一撃。
あの全ステータスを攻撃力に変換するタンクの奥の手は、確かにザガンをぶっ飛ばした。
だが、その代償は、あまりにもデカい。
今のアヤの体は、吹き飛んだザガンよりよっぽど瀕死だ。
右手はぐしゃぐしゃに砕け、全身のステータスは『1』のまま。
立ってるのが不思議なくらいの、満身創痍ってやつだ。
「あと一回」なんて、左手を見てカマしてやったが――冗談じゃねぇ。
今のオレに、もう一発殴れるだけの体力も、力も、残っちゃいねぇ。
完全な、ハッタリだ。
(相手も、薄々気づいてやがる……)
影踏みを解いた瞬間、立場は逆転する。
そうなりゃ、負けるのはオレたちだ。
ザガンが、必死の形相で影から逃れようともがいている。
そして、渾身の力を込めて――頭上に、小さな光の玉を生み出した。
(……っ、光源をずらして、影の位置を変える気か!)
光の角度が変われば、足元の影も動く。影が動けば、オレの拘束は解ける。
ザガンの影が、ぐにゃりと位置を変えた。
拘束を脱したザガンが、勝ち誇った顔でこちらを振り向く。
「これで――終わりだ」
オレは、ゆっくりと、口を開いた。
「……オレなら、助けねぇ」
努めて静かに。
ザガンに、そして自分自身に、言い聞かせるように。
「自分を殺そうとした奴なんざ、指一本動かさず、笑って見殺しにするわな。
それが、普通だ。オレは、そういう人間だよ」
「だがな」
「……何を、言って」
ザガンが、光を放ったまま、目を、見開いた。
「そんな……あり得ない。何故だ……何故、回復している……!?」
さっきまで、砕け散る寸前だったアヤの体が。
今、傷一つなく、完全に、立ち上がっている。
「もう、何も残っていないはずだ……! 死にかけの、ゴミが! 何故、何故……なぜだァ!!」
ザガンが、頭を掻きむしり、混乱の言葉を、撒き散らす。
氷みたいに冷静だった魔族の仮面が、無様に、剥がれ落ちていく。
オレは、自分の――いや、ここにいる、アヤの胸に、手を当てた。
「こいつは、違うんだとよ。
裏切ったかもしれねぇ仲間を、それでも、助けたいんだとよ。
……全く、意味わかんねぇよな」
呆れた声を出しながら。
だが、その内側で、オレは確かに、こいつに――アヤに、敬意を抱いていた。
「あ……あ、あああ……」
ザガンが、じりじりと、後ずさる。
オレたちの背後――瓦礫の上に倒れていた、ヒーラーのナミが。
震える手を、わずかに、持ち上げ、その指先が、床に、淡く光る魔方陣を、ゆっくりと、描いていく。
肩口を抉られ、血だまりの中で、もう虫の息のはずだった。
だが、ナミの全身から、目も眩むほどの、神聖な光が、あふれ出している。
それは、彼女に残された、最後の魔力。
いや――それだけじゃ、ねぇ。
命そのものを、燃やし尽くす、光だった。
光が、オレ――アヤの体を、優しく、包み込む。
ぐしゃぐしゃに砕けた右手が、元に戻る。
『1』だったステータスが、音を立てて、満タンまで、駆け上がっていく。
虫の息の人間が、最後の命を絞り出して、他人を救う。
そんなことは、こいつの価値観じゃ、絶対に、理解できねぇんだ。
オレは、ゆっくりと、ザガンに向かって、歩き出した。
「なあ、お前もそう思うだろ? こいつのこと、わけわかんねぇって」
「あ、あああああああっ!!」
ザガンが、悲鳴を上げて踵を返し、逃げ出そうとする。
だが。
ズンッ。
オレは、再びその影を、盾の底で、踏み抜いた。
「だから、逃がさねぇっつってんだろ。学習しろよ、上位種族サマよぉ」
「ひっ……!」
足を縫い留められたザガンが、引きつった顔で、固まる。
さっきまでの威厳も、優雅さも、どこにもない。
ただの、捕食者に追い詰められた、獲物の顔だ。
オレは、大盾を展開し、その底を、ザガンの伸びた影に、ぴたりと重ねた。
逃げ道を、完全に塞ぐ。
そして、ナミが命がけで満たしてくれた、アヤの全ての力を。
右の拳に、再び、収束させていく。
(……無駄にはしねぇぞ、ナミ。テメェの命、しっかり使わせてもらう)
光が、渦を巻いて、拳に集まる。
「なあ、ザガン」
オレは、固まったザガンの濁った瞳を、まっすぐに覗き込んだ。
「魔王様ってやつは――どうせ、お前を通して、こっちを見てんだろ?」
ザガンの体が、びくりと、震えた。
図星だ。
逃げない。いや、逃げられない。
オレの放つ圧に完全に呑まれて、もはや脱出することすら、忘れている。
「だったら、よく見とけ。そんで、テメェの主人に、伝えとけや」
オレは、にぃ、と凶悪に、笑った。
五周のループで煮詰めた、ドス黒い闘志を。
そして、ナミが託した命の重みを、全部、この一言に込めて。
「次は、お前だ。クソ魔王。――来るならこい。叩き潰してやる」
そして。
渾身の右の拳を、振り抜いた。
ドゴォォォォォォォォンッ!!
光をまとった一撃が、ザガンの体を、影ごと、真正面から貫いた。
断末魔の声すら、なかった。
上位魔族ザガンの体は、塵となって、夜明けの光の中へと、跡形もなく、消滅した。
†================†
……長かった。
本当に、長かった、五周のループが、ようやく、終わった。
オレは憑依を解き、アヤの体から、すっと意識を引き剥がす。
ぐらりと傾いだアヤの体が、自分の足で、踏みとどまった。
(……勝った、のか)
吹き抜ける朝の風が、焦げ臭い戦場の匂いを、ゆっくりと、洗い流していった。
だが、その勝利は。
一つの、尊い命と、引き換えだった。
†=======エピローグ=========†
数日後。
街の外れの、小高い丘。
真新しい墓標の前に、アヤは、静かに、花を手向けていた。
ヒーラーの、ナミの墓だ。
「……せっかく、助けてくれたのに」
アヤの瞳から、ぽろぽろと、涙がこぼれ落ちる。
「私、何も、できませんでした。ナミさんは、私を庇って、命まで使って……。
それなのに、私……!」
「……気に病むな」
オレは、アヤの隣で、墓標を見下ろしながら、静かに言った。
「どうせ、あいつは、長くなかった。
自分にかけられた呪いの逆流で、体は、もうボロボロだったんだ。
……あいつは、自分の死期を、ちゃんと、悟ってたんだよ」
「そんな……」
「だからな、あれは、お前のせいで死んだんじゃねぇ。
あいつが、自分で、選んだんだ」
オレは、空を見上げた。
「あいつは、僧侶だ。信じてた神様を、魔族に汚されて。
操られて、仲間を手にかけそうになって。
……それが、我慢、ならなかったんだろうぜ。
最後くらい、自分の意志で、誰かを守りたかった。それだけだ」
「ナミ、さん……」
「アイツはな、お前に、感謝してたぜ」
オレの言葉に、アヤが、顔を上げる。
「最後の最後に、自分を、取り戻せたからな。
操られた人形のまま死ぬんじゃなく、ちゃんと、自分の心で、お前を助けて、逝けた。
……それが、あいつにとっちゃ、救いだったのさ」
「…………」
「嘘だと思うなら、ほら。自分のステータス、見てみな」
オレに促され、アヤが、空中に、自分のステータス画面を、開いた。
名前。年齢。職業。
その、隅っこに。
小さくて、今にも消えそうな文字で。
だが、確かに、こう、刻まれていた。
【僧侶の加護】
「……っ」
アヤの、目が、見開かれる。
「あいつが、最後に、お前に遺したもんだ。
命を使って、お前を守る、加護の魔法。
……これから先も、ずっと、お前を見守ってくれてるってことさ」
「ナミ、さん……」
アヤが、静かに、泣き出した。
オレは、その小さな背中を、静かに、見守る。
「……粋なこと、するじゃねーか。なあ、ナミさんよ」
朝の光が、墓標を、優しく照らしていた。
アヤの泣き声と、丘を吹き抜ける風だけが、静かに、響いている。
ナミは、もう、いない。
だが、その優しさは、確かに。
アヤの中で、これからも、生き続ける。
それから、しばらく。
オレは、アヤに付きっきりで、自分の持つ全ての知識を、叩き込んだ。
戦術。立ち回り。仲間との連携。心構え。
来るべき、魔王との決戦に向けて。
アヤは、もう、あの頃のアヤじゃなかった。
オレの言葉を、乾いた砂が水を吸うように、一つ残らず、吸収していく。
「ごめんなさい」が口癖だった引きこもりの少女は、見違えるほどに、強く、成長していた。
だが――そんなある日のことだった。
オレのステータス画面に、無機質な通知が、灯った。
『勇者育成課職員へ。担当勇者の育成完了を確認。帰還を命じる。次なる勇者への派遣を要請する』
帰還命令。
そして、次の勇者への、派遣要請だ。
「……マジかよ。こんなタイミングで、お別れたぁな」
オレが頭を掻いていると、それを聞いたアヤの顔が、見る間に、泣きそうに歪んだ。
「梶さん……行っちゃう、んですか?」
「あー……まあ、そういうことらしい」
うるうると瞳を潤ませるアヤを前に、オレは、柄にもなく、言葉に詰まった。
こういう湿っぽいのは、どうも、苦手だ。
オレは、わざとぶっきらぼうに、そっぽを向いた。
「……いつまでも、メソメソすんな。お前はもう、一人で立てんだろ。
ナミの加護も、ついてんだしな」
「でも……」
「また来る」
オレは、努めて軽く、言い放った。
「ま、また来るからよ。それまでに、オレが教えたこと、一個も忘れんじゃねぇぞ。
サボってたら、ぶっ飛ばしに、戻ってくるからな」
「……っ、はい! はい……!」
涙をぼろぼろ零しながら、何度も頷くアヤ。
その顔を見てたら、なんだか胸の奥が、むず痒くなって。
オレは、ひらひらと手を振って、さっさと、その場を後にした。
あんまり長居すると、調子が狂っちまう。
(達者でやれよ、アヤ。……ナミの分も、な)
最後にそれだけ、心の中で呟いて。
オレの意識は、白い光に、包まれた。
†================†
「……お」
気がつけば、オレは、見覚えのある真っ白な空間に、立っていた。
そして、何より。
自分の手を見て、安堵の息が、漏れる。
ゴツゴツとした、大きな手。
高い、視線。
そう、三十歳の、オレ自身の――男の姿に、戻っていた。
「やっと、元に戻れたか……! あのチビっこい体とも、おさらばだぜ!」
パチパチパチパチ。
例によって、感情の籠もらない、拍手の音。
顔を上げれば、相変わらず作り物みたいな笑顔を貼り付けた、あのクソ女神が、立っていた。
「素晴らしい功績です。見事、一人目の勇者を、育成しましたね」
「おう。だからさっさと、地球に帰す手続きを――」
「では、次の勇者の指令です」
「人の話を聞けや!!」
オレの抗議など、例によって、暖簾に腕押し。糠に釘。
女神は瞬き一つせず、にこにこと、用意されたスクリプトを読み上げるだけだ。
会話が、まるで、成立しねぇ。
「次の担当勇者は、こちらです」
女神が、すっと宙に、映像を投影する。
そこに映し出された、次なる勇者の姿を見て――オレは、固まった。
「…………は?」
「…………」
「……なんの、冗談だ?」
オレは、ずんずんと、女神に詰め寄った。
「何か、問題でも?」
女神が、きょとんと、小首を傾げる。
「大有りだ! なんだ、この勇者は!」
「勇者レオです。年齢は五歳。……若すぎますか?」
しれっと、話を進めようとする女神。
「勝手に進めるな!」
オレは、思わず、怒鳴りつけた。
「オレが言いたいのは、そこじゃねぇ!」
「?」
「『?』じゃねぇ! なんで次の勇者が、これなんだよ!」
「気に入りませんか?」
「気に入る、気に入らない以前の問題だ!」
「と言うと?」
オレは、宙に映る次なる勇者――もふもふの毛玉を指差し、喉が裂けんばかりに、叫んだ。
「どうして、勇者が、犬なんだよ!!」
そう。
そこに映っていたのは。
つぶらな瞳で首を傾げる、一匹の、子犬だったのだ。
「勇者は人間のみだとは、誰も言っていませんよ?」
女神が、にっこりと、当然のように、言い放つ。
「ムキーッ!!」
ブチ切れたオレは、地団駄を踏むように、白い床を、ダンダンと踏み鳴らした。
その、瞬間。
ゴッ、という嫌な音と共に。
足元の床が、また、唐突に、消滅した。
「あっ」
支えを失った体が、重力に引かれて、落ちていく。
「ふっ……ざっけんなぁぁぁぁ――!!」
オレは、せめてもの抵抗とばかりに、見下ろしてくる女神に向かって、力いっぱい、中指を突き立てた。
そのまま真っ逆さまに、底知れぬ闇の底へと、吸い込まれていく。
次の勇者は、犬。
最強の元勇者による、人災級の勇者育成は――まだまだ、続く。
第一部『ケース1:アヤ』、これにて完結です。
何度もリセットされる地獄を、最後まで見届けてくださった皆さま、本当にありがとうございました。
「ごめんなさい」が口癖だった女の子が、「お願いします」と言えるようになるまで。
手出し禁止の元最強が、口だけで――最後は差し出した手で、その子を立たせるまで。
第一部は、そんなお話でした。
ナミの加護は、これからもアヤと一緒です。
アヤの物語は、ここでひとまず幕を下ろします。
さて。
ノルマ8192万人のうち、ようやく一人目。
残り、8191万9999人です。
次話から、第二部『ケース2:カイト』が始まります。
一行目は、「お手」です。
犬のレオの育成は、どうなったのか。まずは、そこから。
そして、新しい担当勇者のもとへ。
今度の現場は、拍子抜けするくらい楽な――はずでした。
ブックマークや、ページ下の☆☆☆☆☆での評価、感想をいただけると、とても励みになります。
梶の舌打ちが、たぶん一回くらい減ります。
引き続き、梶の地獄の再教育に、お付き合いください。




