12日目(裏)『ひかり』
――時間は、少しだけ戻る。
これは、あの瞬間の、私の話。
目の前に、恐ろしい怪物が立っていた。
外見は、人の形をしている。
けれど、人じゃない。
漆黒の角。氷みたいに冷たい目。まとっている空気そのものが、ぞっとするほど禍々しい。
怖い。
足が、ガクガクと震える。
逃げたい。今すぐ、ここから走って逃げてしまいたい。
――でも。
私の視界の端に、床に倒れているナミさんの姿が映った。
肩から血を流して、ぴくりとも動かない。
私を庇って、突き飛ばして、あの光を、代わりに。
(お願い……死なないで。生きてて、ナミさん……!)
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
そして、ふと、思った。
もし、ここで私が死んだら。
この怪物は、きっと、この街に向かう。
ロンさんも、ジャミンさんも、ギルドの人たちも、街のみんなも――全部、殺される。
「…………」
そんなことを考えている自分に、自分で驚いた。
こんなの、私らしくない。
いつもなら、「私なんて」「ごめんなさい」って、自分のことで頭がいっぱいで。
誰かを守りたいだなんて、そんな大それたこと、思ったこともなかったのに。
でも、今は。
震える指先を、ぎゅっと握りしめる。
「……私が、貴方を守るから」
倒れているナミさんに、誰にも聞こえない声で、そう誓った。
†================†
「盾を出せ!」
凛とした、少女の声。
私の傍らに立つ、私よりもずっと幼い、銀色の髪の女の子。
その人の声が、頭の奥に直接響く。
「はい!」
私は、迷わず大盾を顕現させた。
不思議だ。
こんなに小さくて、可憐な女の子の声なのに。
どうしてだろう、その言葉には、揺るぎない説得力と、不思議な安心感がある。
ガァン! キィン!
怪物の指先から、目も眩む光の線が、次々と私に襲いかかってくる。
私は大盾の陰に身を縮め、必死にそれを受け止めることしかできない。
「右だ! 角度を変えろ! ……そうだ、耐えろ!」
女の子の声が、必死に私を導いてくれる。
立ち位置、盾の角度、息をつくタイミング。
でも。
(……ダメだ)
防ぐので、精一杯。
盾は重くて、腕はもう感覚がなくて、押し寄せる光の圧に、じりじりと後ろへ下がっていく。
このままだと、死ぬ。
そんなこと、戦いに素人の私でも、はっきりと分かってしまう。
相手の方が、何もかも、一歩も二歩も上をいっている。
(私が、皆を守る……?)
さっき誓ったばかりの言葉が、空しく胸の中で萎んでいく。
(無理だよ。だって、私は……)
心は、こんなにも叫んでいるのに。
守りたいって、立ち向かいたいって、震えるくらいに願っているのに。
足が、動かない。
手が、言うことを聞かない。
意志と体が、ばらばらに引き裂かれていく。
「……やっぱり、私には、無理なの……?」
ぽろりと、諦めの言葉が、唇からこぼれ落ちた。
視界が、じわりと滲む。
膝から力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになった――その時だった。
†================†
世界を白く焼き尽くす、光線の雨の中。
その人は、立っていた。
降り注ぐ死の光を背に受けて。
小さな体が、まるで後光が差しているかのように、神々しく輝いて見える。
光が、その人をすり抜けていく。
傷一つ、つかない。
まるで、この世の理から外れた、特別な存在みたいに。
「……オレは梶だ。テメェの担当の、勇者育成課職員サマだよ」
その人――梶さんは、不敵に、にっと笑った。
そして、私に向かって、小さな右手を、まっすぐに差し出す。
「手を掴め! オレを信じろ!!」
その瞬間。
差し出された小さな手と、その言葉が。
遠い昔の、大好きな記憶と、ぴたりと重なった。
――初めて、自転車に乗れた日。
ふらつく私の背中を支えてくれた、大きくて、温かい手。
転んでも転んでも、何度でも「もう一回だ」と差し伸べられた、あの手。
頭を撫でて、笑ってくれた、お父さん。
ああ。
そうだ。
この感じだ。
怖くない。
この手を掴めば、きっと、大丈夫。
「はい!!」
私は、迷わなかった。
大盾から片手を離し、梶さんの差し出した小さな手を、両手で、力いっぱい握りしめた。
バチィィィィィィンッ!!
手が触れ合った瞬間、電流みたいな衝撃が、全身を駆け抜けた。
†================†
――不思議な、感覚だった。
意識は、はっきりしている。
私は、私だ。ちゃんと、ここにいる。
なのに。
体が、勝手に動く。
言葉も、声も、私の意思とは関係なく、勝手に飛び出していく。
自分なのに、自分じゃない。
誰かが、私の体を、内側から着こなしている。
『よく見てろ! 次からは、お前がやるんだ!』
頭の中に、梶さんの声が、力強く響く。
その直後。
私の手が――大盾を、無造作に放り捨てた。
(えっ!?)
唯一の守りを、自分から手放すなんて。
私が悲鳴を上げる間もなく。
『タンクが一人でも勝つ方法、教えてやるよ』
私の体が、地を蹴った。
ザガンの指先から、無数の光線が殺到する。
当たる――そう思った瞬間。
ぐにゃり、と。
私の体が、あり得ない動きで、その全てを掻い潜った。
『読めてんだよ! 速ぇだけで、直線で曲がりもしねぇ光線なんざ!』
光が走る。避ける。
また走る。また避ける。
紙一重。肌を焼く寸前で、私の体は、悉くの光線を躱していく。
(なに、これ……速い……速すぎる……!)
自分の体のはずなのに、反応速度がまるで別物だ。
目で追うのもやっとの光を、梶さんは、笑いながら避けていく。
不思議と、痛みは遠かった。
さっきまで悲鳴を上げていた腕も、足も、限界を超えて動いているはずなのに、その痛みは、薄いベール越しのように、どこか他人事みたいに感じられる。
そして。
私の体が、淡い光を放ち始めた。
『タンクにはな。仲間が全員やられて、たった一人で立ってる時に使う――奥の手があるんだ』
私の視界に、ステータス画面が浮かび上がる。
HP。魔力。防御力。
その全ての数字が、カチ、カチ、と音を立てて削られ――一つ残らず、『1』になっていく。
そして、削り取られたその全てが。
たった一点、『攻撃力』へと、凄まじい光となって収束していった。
私の右手に、目も眩むほどの光が、渦を巻いて集まっていく。
「うぉぉぉぉぉぉッ!!」
私の喉から、聞いたこともない、雄々しい咆哮がほとばしった。
光をまとった小さな右の拳が、唸りを上げて。
あの恐ろしい怪物の顔面を、真正面から、思い切り殴り飛ばした。
ドゴォォォォンッ!!
ザガンの巨体が、まるで紙くずみたいに、宙へと吹き飛んでいく。
「…………」
その光景を、私は、呆然と見つめていた。
あんなに恐ろしかった怪物が。
私の体が。私の拳が。
「……すごい」




