11日目『覚醒』
ずっと、見ていた。
私の崇敬する魔王様を、いずれ滅ぼすことになる存在。
『勇者』。
その名を背負った娘を、私は遠い影から観察し続けてきた。
さぞや苛烈で、研ぎ澄まされた魂を持つ戦士なのだろうと。
――結論から言おう。
反吐が出る。
そこにいたのは、勇者どころか、戦士の足元にすら及ばない下級種族だった。
膝を抱え、宿屋の隅で震えるだけの小娘。
魔物を前にすれば泣き喚き、盾を放り出して逃げ惑う。
「ごめんなさい」が口癖の、薄汚れた敗残者。
(……なぜ、こんなものが選ばれた)
腸が煮えくり返るような失望が、私の冷えた心を焦がした。
これが、魔王様の脅威になるだと?
笑わせる。
殺す価値もない。指先一つ動かすのも億劫だ。
私は、この退屈な観察に飽き飽きしていた。
いつ気まぐれに踏み潰してやろうか。それすら、どうでもよくなるほどに。
だが。
ある時から、小娘の『動き』が変わった。
あれほど無様に逃げ回っていた娘が、盾を構え、敵の只中で踏みとどまるようになった。
味方を導き、敵の意識を一身に引き受ける。
まるで、誰かに背中から操られているかのような、淀みのない戦術。
(……ほう?)
倦みきっていた私の意識に、わずかな引っかかりが生まれた。
気の迷いか。あるいは、まぐれか。
確かめてやろう。
私は戯れに、近くをうろついていたゴブリンの群れに、王を一匹くれてやった。
あの程度の敗残パーティーなら、ひと捻りで全滅するはずの、過分な災厄を。
――難なく、屠られた。
それも、針の穴を通すような完璧な連携で。
動けぬよう影を縫い留め、炎を纏った刃が王の首を断つ。
「…………」
その光景を見た瞬間。
私の背筋を、氷の刃でなぞられたかのような、名状しがたい怖気が駆け抜けた。
何だ、これは。
目には見えない。魔力の残滓も読めない。
だが、確かに『何か』がいる。
小娘の傍らに、得体の知れない『何か』が寄り添っている。
私の研ぎ澄まされた直感だけが、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
危険だ、と
私の中で、二つの声が、静かに対峙していた。
『今すぐ処分しろ』
一つの私が、冷徹に囁く。
『得体の知れぬものは、芽のうちに摘め。それが鉄則だ。手遅れになる前に、塵に変えろ』
だが、もう一人の私が、それを押し留める。
『……待て。見たくはないか』
喉の奥が、ひりつくほどに乾いていた。
『あの無価値な抜け殻に、いったい何が巣食っている。あれを引きずり出して、この目で確かめてみたくはないか』
殺意と、好奇心。
氷と、熱。
振り上げた私の手の先には、すでに小娘を消し炭に変えるだけの光が渦巻いている。
あとは、放つだけ。それで全てが終わる。退屈な観察も、薄ら寒い予感も。
『撃て』
『……まだだ』
長い、長い静寂。
やがて。
私は――ゆっくりと、その手を下ろした。
「ふっ……」
唇の端が、自分でも知らぬ間に吊り上がっていた。
好奇心が、勝った。
何百年と凍りついていた私の心に、久方ぶりに灯った、ささやかな熱。
その正体を、私はもう少しだけ、味わっていたかった。
手を汚す必要などない。
ならば、試してやろう。あの『何か』が、どこまで足掻くのかを。
私は、小娘の傍らに侍る、信仰心ばかりが篤い治癒術師を静かに汚染し、彼女を中継器として、特級の呪いを流し込んだ。
解呪の術も、逃れる術もない、見えざる毒を。
これで、終わりだ。
私は再び、観察者の椅子へと戻った。
――はずだった。
夜半。
中継器であるはずのナミが、突如として血を吐き、苦しみ悶え始めたのだ。
「……何?」
私は、自分の目を疑った。
呪いが、返ってきている。
小娘へ注ぎ込んだはずの毒が、許容量を遥かに超える『感情』の奔流によって弾き返され、中継器であるナミの脳を内側から焼いている。
ありえない。
あれは、解ける呪いではない。
ましてや、術者である私へ向けて逆流させるなど――そんな芸当、人間如きに可能なはずが。
そして、私は見た。
呪いを打ち破った小娘が。
ゆっくりと、倒れ伏すナミのもとへ、歩み寄っていく姿を。
止めを刺すのか?
裏切り者へ、断罪の刃を振り下ろすのか?
その背に漂う気配の、あまりの底知れなさに。
私の全身が、ぞくりと粟立った。
恐ろしい。
だが――同時に、抑えきれぬ歓喜が、腹の底から噴き上がってきた。
(……やっと、だ)
やっと、見つけた。
何百年もの退屈の果てに、ようやく。
真正面から殺し合える、『戦える敵』に出会えたのだ。
私は、観察者の影から、初めて表へと足を踏み出した。
崩れた壁を越え、夜明けの光を背に、その姿を娘の前へと晒す。
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ズバァァァァァァァァァン!!!
「チィッ! ふざけんな、息継ぎもなしかよ!!」
オレは鼓膜を叩き破らんばかりの轟音の中、ロリ少女の細い喉から怒声を絞り出した。
視界を完全に白く染め上げる、凄まじい光線の連射。
雨あられと降り注ぐ光の弾幕が、アヤの構える大盾に次々と激突する。
ガァン! キィン! ドゴォォン!
鋼鉄の盾が悲鳴を上げ、火花が滝のように散る。
盾で防げることはわかった。軌道もずらせる。
戦えてはいる。……戦えてはいるが、それだけだ。
「くぅぅっ……!」
アヤが歯を食いしばり、必死に大盾の角度を微調整して直撃を逸らしている。
だが、あの光線の質量は異常だ。
重い衝撃に耐えきれず、アヤの靴底がズザザザッと床の木目を削りながら後退していく。
ドクンッ、ドクンッ!
感覚共有を通じて、オレの腕の骨にもミシミシと軋むような激痛がダイレクトに流れ込んでくる。
先ほど血反吐を吐いた口の中には、まだ強烈な鉄の味がこびりついていた。
(クソッ、防ぐだけで手一杯かよ!)
アヤには攻撃スキルがない。
あるにはあるが、盾で殴る程度の代物で、決定打にはほど遠い。
タンクってのは、あくまで味方がいてこその職業だ。
背中を預けるアタッカーはいない。ヒーラーのナミは倒れた。ロンやジャミンは別の部屋で寝こけてやがる。
このままじゃ、アヤの体力が先に尽きる。
(何か……何かねぇのか!?)
オレは血眼で【Book】と【鑑定】を交互に開き、必死に打開策を探した。
だが、浮かぶ文字は『対象の精神状態:極度の恐怖』。当たり前のことしか吐き出さねぇ。
ジュッ!
「ああっ!」
大盾を掠めた光線の余波が、アヤの肩の装甲を焼き切った。
アヤがかすめられるたび、共有リンク越しにオレの皮膚も焼ける。まだかすり傷程度だ。だが、このままでは。
(なんか出せ。頼む、なんでもいい……!)
自分自身を呪うなんざ、生まれて初めてだ。
何も、できねぇ。
悔しさで、唇を噛みちぎる。
ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう――!!
オレはもう一度、自分のスキル欄を血の滲む目で確認した。
認識阻害。マップ。鑑定。Book。リセット。
自分自身に、攻撃手段は何一つねぇ。
「クソがッ!!」
オレは空中の【Book】を両手で荒々しく鷲掴みにし、力任せにガクガクと揺さぶった。
「なんか出せ! 解決策を出しやがれってんだよ……ッ!!」
その瞬間。
これまで単なるペナルティのクソ仕様だと思い込んでいた、あるスキルの文字が、淡く浮き上がった。
【感覚共有】。
担当勇者と、痛みも苦しみも、何もかもを共有するだけのスキル。
オレはこれを、ただの呪いだと思っていた。
だから――その説明欄を、最後まで読んじゃいなかった。
オレは画面の一番下までスクロールする。
そこに、米粒のように極小のフォントで、たった一文が記されていた。
『※相手(担当勇者)の同意を得られたら、肉体も共有できる』
「……っ!?」
オレの脳内で、パズルの最後のピースが、カチリと完璧にハマった。
「……ハッ。あるじゃねーか、オレ好みのスキルが!!」
オレは、光の弾幕の中で軋む大盾と、その裏で歯を食いしばる小さな背中を、見据えた。
(待ってろ。……ここからは、オレのターンだ)




