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第119話:小さな違和感と、名前のない感情

感情には、名前がつく前の段階がある。

それが何なのか分からないまま、

ただ胸の奥に残り続けるもの。

気づいたときには、

もう後戻りできないほど大きくなっている。

それでも――

人はそれを、ただの“気のせい”だと片付けてしまう。

昼休み前。

授業が終わると同時に、教室がざわつき始める。

「はぁ〜やっと終わった〜」

アオイが机に突っ伏す。

「まだ午前だぞ」

ナカムラが冷静に返す。

「それでも疲れるものは疲れるの!」

ミサキは窓の外を見ながら、小さく息をつく。

「……うるさい」

「え、私だけ!?」

いつも通りのやり取り。

変わらない空気。

――のはずだった。

「ラフリ」

ミサキが声をかける。

「昼、一緒にどう?」

「別にいいけど」

自然な流れ。

何もおかしくない。

そう思った、その瞬間――

「……」

横から、静かな視線。

ラフリは気づかない。

だが――

ユナは、確かにそれを見ていた。

「じゃ、決まりね」

ミサキは軽く頷く。

その表情はいつも通り。

少しだけ素っ気なくて、でもどこか柔らかい。

「場所は?」

「屋上でいい?」

ラフリが聞く。

「いいけど」

ミサキが答えた瞬間――

「……私も行く」

ユナの声。

間はなかった。

まるで最初からそこにいる前提のように。

ミサキが一瞬だけ視線を向ける。

「……別にいいけど」

短い返事。

だがその空気は、ほんの少しだけ変わった。

屋上。

風は穏やか。

空は高い。

三人で並ぶ。

いつもより、少しだけ違う配置。

ミサキが先に座る。

ラフリがその隣に。

そして――

ユナが、もう片方に座る。

挟む形。

自然なようで――

どこか意図的な配置。

「……なんか変な感じ」

ミサキがぽつりと言う。

「何が?」

ラフリが聞く。

「別に」

それ以上は言わない。

だが、その違和感は確かにあった。

「ラフリ」

ユナが呼ぶ。

「ん?」

「これ、食べる?」

弁当を差し出す。

昨日と同じ流れ。

だが――

今回は、ミサキがいる。

「……いいのか?」

「うん」

迷いがない。

ラフリは少しだけ考えてから受け取る。

その様子を――

ミサキは無言で見ていた。

「……仲いいんだね」

ぽつりと、そう言う。

軽い調子。

でも――

どこか探るような響き。

「普通だろ」

ラフリが答える。

「普通、ね」

ミサキは小さく笑う。

その笑みは、どこか意味深だった。

しばらく沈黙。

風の音だけが流れる。

その中で――

ユナの手が、わずかに止まる。

視線は下。

だが、意識は明らかに別の場所にあった。

「……ラフリ」

「ん?」

「午後の授業、一緒にノート見る?」

「別にいいけど」

「……そっか」

その返事は短い。

だが――

どこか安心したようでもあった。

「……ねえ」

ミサキが突然言う。

「ラフリってさ」

「なんだ」

「鈍いよね」

「は?」

唐突すぎる言葉。

「自覚ないの?」

「ないな」

即答。

ミサキはため息をつく。

「……そういうところ」

それ以上は言わない。

だが――

その視線は一瞬だけ、ユナへと向けられた。

午後の授業。

静かな教室。

ラフリはノートを取る。

その横で――

ユナが少しだけ寄る。

ほんのわずかに。

でも確実に。

「……ここ」

小さく指差す。

「さっきの続き」

「……ああ」

ラフリは気にせず説明する。

だが――

その距離は、明らかに昨日より近い。

放課後。

「じゃ、私はこっち」

ミサキが手を振る。

「またね」

「おう」

ラフリが軽く返す。

ユナも小さく頷く。

だが――

ミサキは去る直前、

ほんの一瞬だけ振り返った。

その視線は、確かに何かを見ていた。

帰り道。

夕焼け。

少し長く伸びる影。

「……ねえ」

ユナが静かに言う。

「なんだ?」

「今日、どうだった?」

「普通だな」

また、その言葉。

ユナは少しだけ黙る。

「……そっか」

それ以上は言わない。

だが――

その沈黙は、昨日より重かった。

しばらく歩く。

誰もいない道。

風だけが流れる。

その中で――

ユナが小さく呟いた。

「……普通って」

ラフリが聞き返す前に、

彼女は言葉を飲み込んだ。

その夜。

ユナはベッドの上で目を閉じていた。

だが――眠れない。

頭の中に浮かぶのは、

昼の光景。

屋上。

三人。

そして――

ラフリの隣にいた“誰か”。

「……なんで」

小さく呟く。

答えは出ない。

ただ一つ、分かることがある。

胸の奥が――

ほんの少しだけ、痛い。

理由も名前も分からない感情。

でも確かにそこにあるもの。

ユナはゆっくりと目を開ける。

暗い天井を見つめながら、

無意識に言葉をこぼした。

「……あそこは」

静かに。

ほとんど聞こえない声で。

「……私の場所じゃなかったのかな」

まだ小さな違和感。

まだ名前のない感情。

けれどそれは確実に――

形を持ち始めていた。

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