第96話『残された余韻』
嵐が去った後ほど、静けさは耳に残る。
何も起きていないように見えても、心の中ではまだ終わっていない。
言葉。
視線。
理解できなかった存在。
黄昏の教室で起きた出来事は、三人の中にそれぞれ違う形で残っていた。
古い教室を出た後も、誰もすぐには口を開かなかった。
夕焼けに染まる廊下。
窓から差し込む赤い光。
足音だけが静かに響く。
ラフリはまだ頭の中が追いついていなかった。
(……遊び?)
あれだけ教室の空気を乱し、皆を不安にさせた。
物が消えた。
疑いが生まれた。
喧嘩になりかけた。
そのすべてが――遊び。
冗談みたいだった。
けれど、あの少年の顔には嘘がなかった。
「……意味わかんないだろ」
思わず口から漏れる。
「そんな理由で、あんなことするなんて」
「理由がない者ほど厄介なのよ」
ローズが腕を組んだまま答える。
声には苛立ちが滲んでいた。
「目的のためなら読める。欲望のためなら利用できる。けれど、ただ面白いから動く人間は一番面倒だわ」
ラフリはローズを見る。
珍しかった。
彼女がここまで露骨に不快感を見せるのは。
「……お前でも嫌なんだな」
「当然でしょう?」
ローズは鼻で笑う。
「私の知らない場所で、私の知らないやり方で盤面を触られるなんて」
少しの沈黙。
その言葉に、悔しさが混ざっていることをラフリは感じた。
ユナは二人の少し前を歩きながら、静かに口を開く。
「でも、収穫はあったわ」
「収穫?」
「止められる人がいるとわかった」
ラフリの脳裏に、あのもう一人の少年が浮かぶ。
短い言葉。
感情の見えない視線。
そして、たった一言で空気を変えた存在。
“そこまでだ”
それだけで、あの遊び人は止まった。
「……あの人だけだった」
ラフリが呟く。
「え?」
「止められたの、あの人だけだった」
ユナは静かに頷く。
「ええ。少なくとも今は」
ローズも不機嫌そうに視線を逸らした。
「気に入らないけれど、事実ね」
ラフリは拳を握る。
教室を乱した少年も異質だった。
だが、それを抑えるもう一人はさらに別格だった。
自分たちが知らない場所には、まだこんな人間がいる。
その現実が少し悔しかった。
「……俺、何もできなかったな」
足が止まる。
言ってから、自分でも情けなくなった。
あの場で自分はただ見ていただけだった。
問い詰めることもできず、止めることもできず、答えも得られなかった。
すると、ユナが振り返る。
夕陽を背にした赤い瞳が、まっすぐラフリを見ていた。
「そんなことないわ」
「でも」
「あなたは、気づいて追ってきた」
言葉が詰まる。
「それは以前のあなたにはできなかったことよ」
ローズも小さく肩をすくめる。
「まあ、少しはマシになったんじゃない?」
「少しってなんだよ……」
「少しは少しよ」
いつもの棘のある言い方。
けれど、不思議と悪く聞こえなかった。
ラフリは小さく笑う。
完全には届かなかった。
何も解決していない。
それでも、自分は前より進んでいる。
そう思えた。
三人は昇降口へ向かう。
外では部活帰りの生徒たちの声が聞こえる。
校庭にはいつもの日常が広がっていた。
けれどラフリの中の日常は、もう少しずつ変わっている。
ただ流されるだけの毎日ではない。
違和感に気づき、
誰かを知り、
少しずつ世界の奥行きを知っていく日々。
靴を履き替えながら、ラフリは空を見上げた。
赤く染まる雲の向こう。
まだ知らないものが、きっとたくさんある。
「……次は」
「ん?」
ユナが首を傾げる。
「次は、ちゃんと話せるようになる」
あの二人と。
何者なのか。
何を見ているのか。
逃げずに向き合える自分になりたい。
その言葉に、ユナは柔らかく微笑んだ。
「ええ」
ローズは少しだけ呆れたようにため息をつく。
「先は長そうね」
「うるさい」
そのやり取りに、夕暮れの空気が少し和らいだ。
遊びで揺らされた日常。
その裏にいた、止める者。
理解できない存在は去った。
けれど彼らが残したものは、確かに三人の中で形になり始めていた。




