第114話『雨の予報と、届かなかった警告』
悲劇は、突然落ちてくるようでいて――
その前から、いくつもの予兆を置いていく。
見過ごした違和感。
笑って流した不安。
言えなかった一言。
もし、あの時気づけていたなら。
そんな後悔は、いつだって後から来る。
朝。
空は曇っていた。
厚い雲が空を覆い、太陽の姿は見えない。
湿った風が窓から入り込み、教室の空気まで重くしている。
アオイは窓の外を見て肩を落とした。
「うわー……絶対雨じゃん。私の髪、今日終わった」
「天気より先に生活態度直しなさい」
ミサキが即座に切る。
「辛辣!?」
ナカムラは笑いながら傘を畳んだ。
「でも確かに降りそうだな」
その何気ない会話の中で、ラフリだけは笑えなかった。
雨。
その言葉だけで胸がざわつく。
濡れた道路。
割れる音。
炎。
泣き叫ぶ自分。
「……っ」
まただ。
断片的な記憶が、現実に滲んでくる。
ユナが席に着く。
「顔色、悪いわよ」
「お前もな」
「私は平気」
「嘘つけ」
自然に返した言葉だった。
ユナは少し目を見開き、それから苦笑する。
「……最近、強引ね」
「誰のせいだよ」
「さあ?」
短いやり取り。
その時間だけ、ラフリの不安は少し薄れた。
一時間目。
教師の声が教室に響く。
だが、外の空ばかり気になった。
雲はさらに濃くなっている。
カチ、カチ。
時計の音。
また一瞬だけ針が揺れた気がした。
ラフリは立ち上がりそうになる。
「……ラフリ?」
ユナの声で我に返る。
周囲が不思議そうに見ていた。
「なんでもない」
座り直す。
だが、心臓の音は収まらない。
昼休み。
ラフリは購買にも行かず、窓際に立っていた。
ミサキが近づく。
「まだ引きずってんの?」
「……嫌な予感がする」
珍しく本音だった。
ミサキは少し黙る。
「根拠は?」
「ない」
「最悪ね」
「分かってる」
彼女はため息をついた後、隣に立つ。
「でも、そういう時って当たるのよね」
「お前も言うのか」
「なんとなくよ」
その時、アオイが飛び込んできた。
「大変! 今日の下校時間、雨すごいって!」
「情報源どこよ」
「勘!」
「帰れ」
少しだけ空気が緩む。
だがラフリの不安だけは消えなかった。
放課後。
窓を叩くような雨が降り始めていた。
教室の外は灰色に霞んでいる。
生徒たちは慌ただしく帰り支度を始めた。
「やば、部活なくなった!」
「助かった……」
「傘ねえ!」
騒がしい教室。
その中でユナは静かに荷物をまとめていた。
迎えの車が来るはずだ。
その光景を見た瞬間――
ラフリの中で何かが弾けた。
『タイヤが破裂した』
『横から突っ込んできたバン』
『ユナを――俺に救わせてくれ!!』
鮮明すぎる断片。
ラフリは立ち上がる。
「ユナ、今日は帰るな」
教室が静まる。
ユナが瞬きをした。
「……え?」
「車に乗るな。今日はダメだ」
「急に何を――」
「いいから!」
思わず声が強くなる。
アオイが息を呑む。
ナカムラも表情を変えた。
ミサキは目を細める。
ユナは困ったようにラフリを見る。
「理由を言って」
「……言えない」
「それじゃ納得できないわ」
正しい返答だった。
けれど今のラフリには、その正しさが苦しい。
「頼むから……今日はやめてくれ」
その声は、懇願に近かった。
ユナの瞳が揺れる。
だがその時、教室の扉が開く。
「お嬢様、お迎えに参りました」
使用人だった。
完璧なタイミング。
ラフリの背筋が冷える。
まるで決められていた流れみたいに。
ユナは静かに立ち上がる。
「……ごめんなさい」
その一言だけ残し、歩き出す。
ラフリは腕を掴もうとして止まった。
掴めない。
強制する権利なんてない。
ただ見送ることしかできない。
ユナは一度だけ振り返った。
何か言いたそうにして、結局何も言わず去っていく。
数秒の沈黙。
次の瞬間、ラフリは走り出していた。
「おい、ラフリ!」
ナカムラの声も聞こえない。
傘も持たず、雨の中へ飛び出す。
ミサキが舌打ちする。
「……最悪」
アオイは震えた声で呟く。
「これ、絶対なんか起きるやつじゃん……」
校門前。
激しい雨。
水しぶき。
遠ざかる黒い車。
ラフリは全力で走る。
間に合え。
間に合え。
間に合え。
道路の先、信号の向こうで――
大型車両のライトが、不自然な速度で迫っていた。
届かなかった警告。
止められなかった背中。
そして再び降り出した雨。
少年は走る。
過去と同じ結末を、今度こそ壊すために。
だが運命は、
そう簡単に譲るつもりはなかった。




