第111話『燃え残った約束と、薔薇の告白』
嫉妬は、醜い感情だと言われる。
けれど本当に醜いのは、
それでも手放せないほど誰かを想ってしまう心かもしれない。
忘れられた約束。
置き去りにされた過去。
選ばれなかった痛み。
燃え尽きたはずの感情は、
時に灰の下で、ずっと生きている。
朝。
教室の空気は妙に穏やかだった。
アオイは朝からパンを二つ食べ、
ナカムラは誰かに頼まれたプリントを抱え、
ミサキはそれを見て呆れている。
「なんで朝から雑用してんのよ」
「断れなかった」
「そこ直しなさいよ」
「簡単に言うなって」
いつもの光景。
その中心で、ラフリは席につきながら隣を見る。
ユナは来ていた。
少し眠そうな目。
けれど昨日より顔色はいい。
「……来たな」
「来るわよ、普通に」
「ならいい」
「なにそれ」
小さく笑うユナ。
その笑顔を見て、ラフリの胸のざわつきが少しだけ和らいだ。
だが――
教室の後方から、その様子を見つめる視線があった。
ローズ。
微笑んでいるのに、目だけが冷たい。
昼休み。
珍しく、ローズの方からラフリに近づいた。
「少し、いいかしら」
「……なんだよ」
「屋上へ」
有無を言わせぬ声だった。
アオイが目を輝かせる。
「えっ!? 呼び出し!? 青春イベント!?」
「黙れ」
ミサキは眉をひそめる。
「……嫌な予感しかしない」
ユナも無言でローズを見る。
だがローズは振り返らず、先に歩き出した。
屋上。
風が強い。
フェンス越しに見える空は、妙に遠かった。
「それで?」
ラフリが口を開く。
ローズはしばらく黙ったまま、背を向けていた。
やがて、静かに言う。
「あなたって、本当に残酷ね」
「は?」
「忘れてしまえるんだから」
意味が分からない。
ラフリが眉を寄せると、ローズは振り返った。
その瞳には怒りと悲しみが混ざっていた。
「あなたは昔、たった一人のために世界を壊そうとした」
その瞬間。
胸の奥が、嫌な音を立てる。
「……何の話だ」
「ユナよ」
風が止まったように感じた。
「彼女が死んだ時、あなたは泣き叫んだ」
雨。
炎。
砕けた車。
届かなかった手。
脳裏に断片が走る。
ラフリは頭を押さえた。
「っ……!」
ローズは止まらない。
「何度でも救うと誓った。
記憶を削ってでも、心を壊してでも、彼女を選んだ」
「やめろ……」
「なのに今のあなたは何?
その理由さえ忘れて、他の誰かに優しくして、笑って――」
声が震えていた。
怒りだけじゃない。
傷ついた声だった。
「……私は、ずっと見ていたのに」
ラフリが顔を上げる。
ローズの瞳から、一筋涙が落ちた。
「私がどれだけ待っても、あなたはユナしか見なかった」
沈黙。
重い真実だけがそこに残る。
「……ローズ、お前」
「ええ。私はあなたが好きだった」
はっきりと告げられた言葉。
「でも、あなたは私を選ばなかった」
ラフリは何も言えない。
言葉が見つからない。
ローズは涙を拭い、笑った。
壊れそうな笑みだった。
「だから私は壊したの」
「……何を」
彼女は一歩近づく。
「最初の事故。
ユナが死んだ、あの日の運命を」
世界が止まった。
「……は?」
「釘を置いたのも、車を誘導したのも、全部私」
ラフリの呼吸が止まる。
耳鳴りだけが響く。
「嘘……だろ」
「嘘ならよかったわね」
その声に、狂気はなかった。
ただ、積もり続けた絶望だけがあった。
「あなたが彼女のために壊れるなら、
せめて私のせいで壊れてほしかった」
ラフリの拳が震える。
怒りか、混乱か、自分でも分からない。
その時――
屋上の扉が開いた。
「……やっぱり、ここにいたのね」
ユナだった。
その後ろにはミサキ、アオイ、ナカムラまでいる。
どうやら様子を見に来たらしい。
誰も言葉を発せない。
ローズはふっと笑った。
「ちょうどいいわ」
彼女はユナを見る。
「あなたの幸せは、いつだって誰かの犠牲の上にある」
「ローズ……」
「でも安心して。まだ終わっていないから」
その言葉を残し、ローズは彼らの横を通り過ぎて去っていった。
誰も止められなかった。
残された屋上。
アオイが震える声で言う。
「……な、なに今の」
ナカムラも表情を失っている。
「冗談……じゃねえよな」
ミサキはラフリを見る。
彼の顔色は真っ白だった。
ユナはただ一歩近づき、そっと彼の腕に触れる。
「ラフリ」
その瞬間。
雨の中で叫ぶ自分。
「何度でもお前を救う」
記憶の破片が、今までで一番鮮明に胸を貫いた。
ラフリの膝が揺れる。
「……俺は……」
自分が、誰のためにここまで来たのか。
忘れていた最も大切な理由が、
灰の中から燃え上がろうとしていた。
燃え残った約束は、
消えたわけではなかった。
嫉妬に壊された過去。
告白と罪。
そして思い出しかけた誓い。
止まっていた運命の歯車が、
再び静かに回り始める。




