↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
90/110

第110話『ほどけた糸と、言えなかった本音』

人は限界まで耐えた時、

大きく壊れるとは限らない。

たった一言。

たった一度の優しさ。

たった一つの見逃せない寂しさ。

それだけで、張りつめた糸は静かにほどけてしまう。

朝。

教室にはいつもの空気が流れていた。

アオイの笑い声。

ナカムラのあくび。

ミサキの誰かへの鋭いツッコミ。

ローズの冷たい視線。

何も変わらない一日――のはずだった。

「おはよう」

ユナが教室へ入ってくる。

その瞬間、数人の視線が自然と向く。

今日も綺麗。

今日も完璧。

今日も隙がない。

けれど、ラフリだけはすぐに気づいた。

(……違う)

笑っている。

姿勢も綺麗。

声も変わらない。

それなのに――

目だけが、少し疲れていた。

一時間目。

教師が小テストを配る。

教室に紙の音だけが響く。

ラフリは適当に問題を眺めながら、また隣を見てしまう。

ユナの手が止まっていた。

珍しい。

彼女ほどの人間が、問題の前で数秒固まるなんて。

やがてペンは動き出す。

だが、いつもより遅い。

(……やっぱりおかしい)

胸のざわつきが消えない。

休み時間。

アオイは机に突っ伏していた。

「無理……小テスト終わった……人生終わった……」

「毎回終わってんな、お前の人生」

ラフリが呆れる。

「でも蘇るのが私!」

「しぶといな」

ナカムラが笑う。

「それ才能だろ」

教室に小さな笑いが広がる。

その中で、ミサキはユナをちらりと見た。

「……あんた、大丈夫?」

「ええ、何が?」

「顔色」

「いつも通りよ」

「……そう」

納得していない顔だった。

昼休み。

ラフリは購買から戻る途中、廊下の窓際で立ち止まった。

そこにいたのはユナだった。

一人で外を見ている。

風が髪を揺らしていた。

「……こんなとこで何してる」

ユナは少し驚いた顔をしたあと、すぐ微笑む。

「少し休憩」

「教室でいいだろ」

「一人になりたかったの」

その言葉に、ラフリは返せなかった。

隣に立つ。

しばらく沈黙。

校庭から運動部の声だけが聞こえる。

「……ラフリ」

「ん?」

「あなた、最近変わったわね」

「そうか?」

「ええ」

ユナは外を見たまま続ける。

「前より、人を見るようになった」

「……よく分からん」

「ふふ。そういうところは変わらないけれど」

その笑い方は優しい。

でも、どこか寂しかった。

「ユナ」

「なに?」

「お前、無理してるだろ」

風が止まった気がした。

ユナの指先がわずかに揺れる。

「していないわ」

「嘘つくな」

「……」

「最近ずっと変だ」

「変じゃない」

「昼飯も食ってないし、ふらつくし、顔色悪いし――」

「あなたには関係ないわ」

その一言が、思ったより鋭く落ちた。

ラフリは黙る。

ユナも、自分で言ってしまったことに気づいたように目を伏せた。

「……ごめんなさい」

「いや」

気まずい沈黙。

やがてユナが小さく呟く。

「……少しだけ、疲れただけよ」

それは初めての本音だった。

完璧な答えじゃない。

綺麗な言葉でもない。

ただ、弱い声だった。

ラフリの胸が痛む。

「……そっか」

それしか言えない自分がもどかしい。

放課後。

教室ではアオイとナカムラが騒いでいた。

「聞いて! 今日の私は帰ったら何もしない!」

「宣言するほどのことか?」

「大事なの!」

ミサキはため息をつきながら鞄を持つ。

ローズは窓際から二人を見ていた。

ラフリとユナ。

言葉少なに並んで帰る姿。

その瞳に、静かな怒りが灯る。

「……また近づくのね」

ゼータが後ろから現れる。

「火種は十分育ったか?」

「黙りなさい」

「怖いな。だが君はもう止まれない」

ローズは低く笑った。

「ええ。止まる気もないわ」

ヤジドは遠くからその様子を見て、深く息を吐く。

「……最悪の流れだな」

夜。

自室。

ユナは机に向かっていた。

参考書は開かれている。

けれど、文字が頭に入らない。

ふとスマホを見る。

連絡は来ていない。

当たり前だ。

なのに、少しだけ待っていた自分に気づく。

「……馬鹿ね」

その時、通知音が鳴った。

ラフリ:明日、朝ちゃんと来い

短い。

雑。

意味も分からない。

それなのに。

ユナは声を殺して笑ってしまった。

そして目元を押さえる。

「……ほんとうに、ずるい」

言えなかった本音。

ほどけ始めた糸。

誰にも見せなかった弱さ。

それは壊れたわけではない。

ただ、

ようやく誰かの前で揺れただけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。