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第八十九話:知らない方がいいこと

知らない方がいいことが、この世界にはある。

真実は、必ずしも救いじゃない。

時には――

それを知った瞬間から、

全てが壊れ始める。

朝。

教室。

静かだった。

いや――

静かすぎた。

ラフリは席に座っている。

視線は前。

でも意識は別の場所にあった。

(……まただ)

違和感。

小さい。

でも確実にある。

「おいナカムラ、それ違うって」

キムラの声。

「は? 合ってるだろ」

「いや、昨日先生そう言ってたぞ」

「……あれ?」

ナカムラが止まる。

数秒の沈黙。

「……マジか」

苦笑する。

それで終わる。

普通の会話。

でも――

(昨日は……違ったはずだ)

ラフリの中で、何かが引っかかる。

曖昧なズレ。

でもそれは、確実に増えている。

視線を横に向ける。

ユナ。

いつも通り、ノートを取っている。

完璧。

無駄がない。

でも。

(……やっぱり変だ)

昨日から。

いや、それ以上前からかもしれない。

何かが違う。

でも分からない。

(……聞くしかないか)

昼休み。

ラフリは席を立つ。

「どこ行くんだ?」

ナカムラが聞く。

「ちょっとな」

短く答える。

視線の先。

ユナ。

教室を出ていく。

ラフリも追う。

廊下。

人は少ない。

夕方に近い静けさ。

「ユナ」

呼び止める。

ユナが振り返る。

「……何?」

いつもの声。

でも。

どこか距離がある。

ラフリは少しだけ息を整える。

「……お前さ」

言葉を探す。

「昨日から、変だろ」

沈黙。

ユナは何も言わない。

ラフリは続ける。

「クラスも変だ」

「ナカムラも、サトウも……」

「全部、少しずつズレてる」

声は落ち着いている。

でも。

確信があった。

「お前、気づいてるだろ」

静かな問い。

逃げ場はない。

ユナは目を逸らさない。

数秒。

そして――

「……少しだけ」

小さく答える。

ラフリの目がわずかに細くなる。

「やっぱりか」

一歩、近づく。

「何が起きてる?」

ストレートな質問。

でも。

ユナはすぐに答えない。

ほんのわずかに、間を置く。

(……やめた方がいい)

頭の中で、声がする。

でも。

ラフリは待っている。

その視線は、まっすぐだった。

逃げない。

逸らさない。

「……まだ分からない」

ユナはそう言った。

嘘ではない。

でも。

全部でもない。

「でも」

続ける。

「今までより、少しだけ厄介」

その言葉に。

ラフリの表情が変わる。

「……誰か、いるのか?」

核心。

沈黙。

長い沈黙。

ユナの目が、ほんのわずかに揺れる。

(言うべきじゃない)

分かっている。

でも――

「……いるかもしれない」

小さく答える。

それだけ。

それ以上は、言わない。

ラフリは黙る。

考える。

「……かもしれない、か」

曖昧な答え。

でも。

それで十分だった。

(やっぱり何かある)

確信に変わる。

「そいつ、何してる?」

「分からない」

即答。

「でも」

ユナの声が少しだけ低くなる。

「今は――」

一瞬だけ、言葉を止める。

そして。

「知らない方がいい」

その一言。

空気が止まる。

ラフリは目を細める。

「なんでだよ」

当然の疑問。

ユナは少しだけ視線を落とす。

言葉を選ぶ。

「知れば」

静かに。

「多分、戻れなくなる」

その声は――

少しだけ重かった。

ラフリは何も言えなくなる。

冗談じゃない。

本気だ。

それが分かる。

(……なんだよ、それ)

胸の奥がざわつく。

でも。

引くことはできない。

「じゃあどうすればいい」

ユナは少しだけ考える。

そして。

「今まで通りでいい」

それだけ言う。

「……は?」

「無理に探らないで」

「いつも通りでいて」

静かな声。

でも。

そこには強い意志があった。

ラフリは黙る。

納得はできない。

でも――

(こいつ、本気で言ってる)

それだけは分かる。

長い沈黙。

やがて。

「……分かった」

小さく言う。

完全に理解したわけじゃない。

でも。

信じるしかない。

ユナは何も言わない。

ただ、小さく頷いた。

そのまま。

すれ違う。

距離が、また少しだけ開く。

ラフリは振り返らない。

でも。

確実に思っていた。

(……何かがいる)

そして。

(ユナは、それを知ってる)

夕焼けが、廊下を赤く染めていた。

――その頃。

教室。

誰もいないはずの空間。

カツン。

小さな音。

窓際。

「ふーん」

誰かが、笑った。

「ちゃんと隠すんだ」

楽しそうに。

でも。

その声に、温度はない。

「いいね」

「そういうの、嫌いじゃない」

静かに。

まるで――

全部見ていたみたいに。

真実は、隠されたままの方がいい時もある。

だが――

隠されたものほど、気になってしまうのが人間だ。

そして少年は、一歩踏み込んだ。

まだ戻れる場所から、

少しだけ遠い場所へ。

それがどれほど危険か――

彼はまだ知らない。

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