表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
87/110

第107話『優しさの形と、届かない声』

誰かに優しくすることは、

時に自分を後回しにすることと似ている。

笑って頷くこと。

大丈夫だと答えること。

平気なふりをすること。

それを繰り返しているうちに、

本当の声は少しずつ小さくなっていく。

朝の空気は少しだけ重かった。

昨夜から降った雨のせいで、窓の外は鈍い灰色に染まっている。

教室に入ると、ナカムラが珍しく机に座ったまま黙っていた。

「……どうした?」

ラフリが声をかける。

「ん? ああ、なんでもない」

即答だった。

だが、その机の上にはコンビニのパンが一つ置かれているだけ。

「朝飯それだけか?」

「時間なくてさ」

「また誰かの頼み事か?」

ナカムラは笑う。

「まあ、そんなとこ」

それ以上聞くな、と言っている笑い方だった。

ラフリは何も言わず、自分の飲み物を机に置いた。

「飲め」

「え、いいの?」

「寝不足の顔してる」

「……お前、たまにそういうとこあるよな」

「なんだよ」

「いや、ずるいって話」

ナカムラは少しだけ救われたように笑った。

その頃。

アオイは廊下の掲示板の前で立ち止まっていた。

新しく張り出された模試順位表。

人だかりの中心には、いつもの名前がある。

ユナ。

また一位。

「すごいなぁ……」

誰かが感心した声を漏らす。

その横で、別の女子が言った。

「アオイちゃんも頑張ってるよね。……まあ、ユナ様ほどじゃないけど」

悪気のない声だった。

だからこそ痛い。

「……あはは、だよね」

笑って返し、アオイはその場を離れた。

廊下の角で立ち止まり、深く息を吐く。

「……頑張ってるんだけどなぁ」

小さな独り言。

そこへ、ユナが歩いてきた。

「アオイ?」

「うわっ、いたの!?」

「ごめんなさい、驚かせたわ」

アオイは慌てて笑顔を作る。

「なんでもないよ!」

ユナは少しだけ彼女を見つめた。

「……無理に元気なふりをしなくてもいいのよ」

その一言に、アオイの目が揺れる。

「……ほんと、そういうとこずるい」

昨日と同じ言葉だった。

でも今度は、少しだけ泣きそうな声だった。

ユナは何も言わず、そっと彼女の手を握った。

昼休み。

教室ではいつもの賑やかさが戻っていた。

ミサキは友人たちと話しながらも、時折ラフリの方を見ている。

ラフリが気づくと、すぐ視線を逸らす。

「……なんなんだ」

「鈍いわね」

ローズが冷たく言う。

「え?」

「別に」

それ以上説明する気はないらしい。

アオイは机に突っ伏しながら叫ぶ。

「誰か私にも青春をください!」

「うるせえ」

「ラフリ冷たい!」

そのやり取りに笑いが起きる。

けれど、ユナだけは少し静かだった。

弁当を開いても、箸が進まない。

「ユナ、食べないの?」

アオイが覗き込む。

「……食欲がないだけ」

「体調悪い?」

「大丈夫よ」

完璧な返事。

けれどローズは眉をひそめた。

「その“大丈夫”ほど信用できない言葉はないわ」

教室の空気が一瞬止まる。

ユナは小さく笑った。

「手厳しいのね」

「あなたが誤魔化すのが上手いだけよ」

ローズはそう言って視線を逸らした。

放課後。

ラフリは職員室へ呼ばれていた。

提出物の不備らしい。

戻ってきた時、教室にはユナ一人だけが残っていた。

窓際の席で、本を開いている。

夕陽が差し込み、その横顔を柔らかく照らしていた。

「……珍しいな。一人か?」

「みんな先に帰ったわ」

「そっか」

ラフリは自分の席に荷物を取りに向かう。

その途中、ふと足を止めた。

ユナの机の横に、未開封の昼食が置かれたままだった。

「……ユナ」

「なに?」

「お前、昼飯食ってないのか?」

一瞬だけ、沈黙。

「忘れていただけよ」

「そんなわけあるか」

思ったより強い声が出た。

ユナが少し目を見開く。

ラフリ自身も驚いていた。

なぜこんなに胸がざわつくのか分からない。

ただ――放っておけなかった。

「……ちゃんと食え」

それだけ言って、コンビニ袋を机に置く。

中にはさっき買った温かいスープとパン。

「余ったからやる」

「嘘が下手ね」

「うるさい」

ユナは袋を見つめたまま、小さく微笑んだ。

その笑顔は、今日初めて少しだけ自然だった。

「……ありがとう、ラフリ」

その瞬間。

胸の奥で何かが痛んだ。

雨。

炎。

泣きそうな声。

一瞬だけ、知らない景色が脳裏をよぎる。

「……っ」

ラフリは額を押さえる。

「ラフリ!?」

ユナが立ち上がる。

けれど次の瞬間には、もう消えていた。

「……なんでもない」

「今の、全然なんでもなくないわ」

「気のせいだ」

ユナは不安そうに彼を見る。

その視線だけが、妙に胸に刺さった。

別棟の屋上。

フェンスにもたれたゼータが笑っていた。

「揺らぎ始めたな」

「やりすぎるなよ」

隣でヤジドが煙草も吸わずに呟く。

「俺は何もしていない」

「お前がそう言う時が一番信用ならん」

ゼータは楽しげに目を細めた。

「記憶は消えても、傷は残る。

……人間は面白い」

優しさは、時に救いになる。

けれど、届かなかった声は心に積もっていく。

そして少年の中で、

忘れたはずの痛みが――静かに目を覚まし始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ