第105話『いつもの放課後、少しだけ違う』
大きな出来事の後に訪れる、何でもない時間。
誰かが救われるわけでもない。
世界が変わるわけでもない。
特別な答えが見つかるわけでもない。
それでも――
そんな穏やかな時間こそ、人の心を静かに変えていく。
放課後。
窓の外には柔らかな夕陽。
教室には帰り支度をする生徒たちの声が広がっていた。
今日も一日が終わる。
ラフリは机の中を整理しながら、大きく伸びをした。
「……疲れた」
「授業中ほとんど寝てたくせに」
隣でナカムラが呆れた声を出す。
「寝てない。考え事してた」
「目閉じて?」
「効率よくな」
「ただの居眠りだろ」
二人が笑っていると、アオイが勢いよく割り込んできた。
「ねえねえ帰ろー!」
「早いな」
「今日は寄り道したい気分!」
「毎日してるだろ」
「細かいこと気にすると老けるよ?」
「誰情報だよ」
少し離れた席では、ユナが静かに鞄を閉じていた。
その隣でローズが腕を組んだまま立っている。
「今日は妙に平和ね」
「不満そうね」
「別に。ただ静かすぎると落ち着かないだけ」
ユナは小さく微笑んだ。
「素直じゃないのは誰かしら」
「……あなた、最近少し意地悪よ」
そのやり取りを見て、ラフリは苦笑する。
気づけばこの空間が当たり前になっていた。
少し前までは、ただ同じ教室にいるだけだったのに。
「……行くか」
立ち上がったその時。
「ラフリ」
声に振り向く。
ミサキだった。
鞄を肩にかけ、少しだけ不機嫌そうな顔をしている。
「なに?」
「ノート」
「え?」
「今日の数学。途中から聞いてなかったでしょ」
「なんで知ってるんだよ」
「見てればわかるし」
そう言って一冊のノートを差し出す。
綺麗にまとめられた内容だった。
「……貸してくれんの?」
「今日だけ」
「ありがと」
ラフリが受け取ると、ミサキはそっぽを向く。
「別に感謝されるほどじゃないし」
「いや普通に助かる」
「うるさい」
耳が少し赤い。
アオイがその様子を見て目を輝かせた。
「ユナユナユナ! 今の見た!?」
「ええ」
「青春が渋滞してる!」
「語彙が独特ね」
ナカムラは肩を震わせながら笑っている。
「ラフリ、お前いつの間に……」
「違うって」
「何が?」
「全部!」
意味不明な否定だった。
ミサキはため息をつく。
「ほんと騒がしい」
けれどその口元は少し緩んでいた。
結局、五人と一人で帰る流れになった。
校門を出て、夕暮れの道を歩く。
アオイはユナの腕に抱きつき、ナカムラはスマホを見ながら騒ぎ、ローズはそんな全員を冷めた目で眺めている。
ミサキは少し後ろを歩いていた。
ラフリが足を緩めると、自然と隣になる。
「……なに」
「いや、なんでも」
「気持ち悪い」
「ひどくない?」
いつもの言い方。
けれど今は、ちゃんと柔らかい。
しばらく歩いた後、ミサキが前を見たまま言う。
「こういうの、久しぶりかも」
「こういうの?」
「なんでもない帰り道」
その声は静かだった。
「前は一人でも平気だったけど」
少しだけ間を置く。
「……今は、悪くない」
ラフリは少し驚く。
ミサキがこんなふうに素直な言葉をこぼすなんて、前なら想像できなかった。
「そっか」
それだけ返す。
けれど十分だった。
ミサキもそれ以上何も言わない。
ただ歩幅だけが、少しだけ近かった。
やがて分かれ道に着く。
「じゃ、また明日!」
アオイが元気よく手を振る。
ナカムラも続く。
ユナは静かに微笑み、ローズは小さく視線を逸らした。
ミサキは少し迷った後、ラフリを見る。
「……ノート、明日返して」
「おう」
「なくしたら許さないから」
「なくさねえよ」
数秒の沈黙。
そしてミサキは小さく言った。
「……また明日」
風に溶けそうな声だった。
けれど確かに聞こえた。
ラフリは自然に笑う。
「また明日」
ミサキはすぐ背を向けて歩き出す。
耳まで赤いまま。
夕陽が、その背中をやさしく照らしていた。
何も起こらない放課後。
少しだけ近い距離。
当たり前になり始めた「また明日」。
穏やかな時間は、
気づかないうちに心を育てていく。




