第104話『ほどけていく本音』
人との距離が縮まる時、変わるのは関係だけじゃない。
言えなかった言葉。
見せなかった表情。
隠していた弱さ。
少しずつ、固く結んでいたものがほどけていく。
それは時に、本人が一番戸惑う変化だった。
翌日。
朝の教室はいつも通り賑やかだった。
アオイの明るい声。
ナカムラの眠そうな欠伸。
ローズの不機嫌そうな視線。
ユナの落ち着いた空気。
その中でラフリは、無意識に入口を見ていた。
「……また見てる」
隣でナカムラがにやつく。
「見てねえよ」
「いや見てる」
「見てないって」
そこへ教室の扉が開く。
ミサキが友人たちと一緒に入ってきた。
笑顔。
自然な会話。
いつもの明るい姿。
だがラフリと目が合った瞬間、彼女はほんの少しだけ動きを止めた。
そして友人たちに気づかれないほど小さく、手を振る。
「……は?」
ラフリが固まる。
次の瞬間にはミサキは何事もなかったように席へ向かっていた。
「どうした?」
「いや……今なんかされた」
「されてんじゃねえか」
ナカムラが笑う。
ラフリは意味がわからず首を傾げた。
昼休み。
ラフリが机でパンを食べていると、影が落ちる。
見上げればミサキだった。
「そこ、座る」
「え?」
「椅子借りるって意味」
「いや意味わかるけど」
ミサキは勝手に隣の椅子へ座った。
周囲の友人たちが遠くから意味ありげに笑っている。
「なんでこっち来たんだ?」
「気分」
「雑すぎるだろ」
ミサキは頬杖をつき、ラフリのパンを見る。
「それ美味しい?」
「普通」
「一口ちょうだい」
「なんでだよ」
「ケチ」
「いや普通だろ」
言いながらも、ラフリはちぎって差し出す。
ミサキは一瞬驚いた顔をした後、受け取った。
「……ありがと」
「今日はちゃんと言えたな」
「うるさい」
だがその声に棘はない。
少し離れた場所でアオイが目を輝かせていた。
「ユナユナ! 見た!? 見た!?」
「ええ、見てるわ」
「青春だー!」
ローズは腕を組んだまま、面白くなさそうに窓の外を見る。
「騒がしいわね」
放課後。
掃除当番を終えたラフリが廊下を歩いていると、窓際にミサキが立っていた。
一人で、夕空を見ている。
「珍しいな。一人?」
声をかけると、ミサキは少し肩を揺らした。
「……あんたこそ」
「掃除終わり」
「ふーん」
隣に立つ。
しばらく無言で空を見た。
以前なら気まずかったはずの沈黙が、今は不思議と落ち着く。
やがてミサキがぽつりと言う。
「私さ」
「ん?」
「昔、もっとひどかったんだよ」
ラフリは黙って聞く。
「今より言い方きついし、意地張るし、謝れないし」
「今もまあまあだけど」
「うるさい」
軽く肘でつつかれる。
「でも、変わりたかった」
その声は静かだった。
「嫌われるの、もう嫌だったから」
風が吹く。
夕日に照らされた横顔は、いつもの強気な彼女とは違う。
「……ちゃんと変われてると思う」
ラフリが言うと、ミサキは少し目を細めた。
「なんでそう言い切れるの?」
「前より今のお前しか知らないけど」
言葉を探しながら続ける。
「それでも、ちゃんと人のこと考えて悩いてる時点で違う」
ミサキは黙り込む。
やがて小さく笑った。
「……ほんと、そういうとこずるい」
「またそれ?」
「無自覚なのがもっとずるい」
意味がわからない。
だが今日は説明してくれなかった。
代わりに、ミサキは一歩だけ近づく。
肩と肩が触れ合う距離。
「ねえ、ラフリ」
「ん?」
「もし私がまた変な言い方しても」
視線は夕空のまま。
「……すぐ嫌いになったりしない?」
その問いは、冗談みたいに軽く投げられた。
けれど本当は、とても重いものだとわかる。
ラフリは少しも迷わなかった。
「ならない」
短く、はっきりと。
ミサキの呼吸が止まる。
そして顔を背けた。
耳まで真っ赤だった。
「……ばか」
「なんでだよ」
「知らない」
でもその声は、少し笑っていた。
ほどけていく本音。
隠しきれない不安。
まっすぐ返された答え。
距離が縮まるほど、
心はもう前のままではいられなくなる。




