第103話『隣に立つ理由』
誰かを助ける理由は、いつも立派なものとは限らない。
正義感。
責任感。
使命感。
そんな綺麗な言葉ではなく――
放っておけなかった。
気になった。
一人にしたくなかった。
それだけで、人は誰かの隣に立てる。
次の日の朝。
教室の窓から差し込む光は柔らかく、空気も穏やかだった。
数日前までの張りつめた空気が嘘のように、教室にはいつもの声が戻っている。
「おはよー!」
アオイが元気よく飛び込み、今日もユナの腕へ抱きついた。
「朝から元気ね」
「元気だけが取り柄だから!」
「自覚あるのね」
ユナが小さく笑う。
ナカムラは机に突っ伏しながら呻いていた。
「眠い……」
「昨日ゲームしすぎだろ」
ラフリが呆れる。
「違う。動画見てたら朝だった」
「同じだよ」
そんな何でもない会話。
その中で、ラフリはふと教室の入口を見る。
ミサキがいた。
友人たちと話しながら笑っている。
いつもの姿。
けれど昨日までとは少し違って見えた。
理由はわからない。
ただ、もう“遠いクラスメイト”ではないと感じる。
その時。
ミサキもこちらを見た。
一瞬だけ目が合う。
そして珍しく、すぐ逸らさなかった。
代わりに――
小さく、ほんの少しだけ頷いた。
「……え?」
ラフリが固まる。
「どうした?」
ナカムラが不思議そうに見る。
「いや、なんでもない」
気のせいかと思った。
だがミサキはすぐに友人たちの輪へ戻り、何事もなかったように笑っている。
(今の、挨拶……?)
昼休み。
ラフリが購買へ向かおうと廊下を歩いていると、角を曲がった先で誰かとぶつかりそうになった。
「うわっ」
「きゃっ」
寸前で止まる。
目の前にいたのはミサキだった。
「……あんた、前見て歩けないの?」
「そっちもだろ」
「私はいいの」
「なんでだよ」
相変わらず理不尽だった。
けれど昨日のような刺々しさは薄い。
ミサキは抱えていたノートを整えながら、小さく舌打ちする。
「……購買行くの?」
「え? ああ」
「焼きそばパン残ってたら取っといて」
「自分で行けよ」
「今先生に呼ばれてるの」
廊下の先を見ると、確かに教師が手招きしていた。
「お願い」
「え、今なんて?」
「二度と言わない」
そう言い残して去っていく。
ラフリはしばらくその背中を見ていた。
(……お願いって言ったよな)
放課後。
ラフリは約束通り、焼きそばパンを机の上に置いた。
するとミサキは戻ってくるなり、それを見て足を止める。
「……買えたんだ」
「ギリギリな」
「ふーん」
そう言いながら袋を持ち上げる。
数秒の沈黙。
「……ありがと」
「え?」
「聞こえなかったなら別にいいし!」
顔を赤くして席へ戻ろうとする。
ラフリは思わず笑った。
「ちゃんと聞こえた」
「……うざ」
その声は、少しだけ照れていた。
教室の隅。
その様子を見ていたローズが眉をひそめる。
「ずいぶん仲良くなったじゃない」
「そう?」
ユナは窓の外を見たまま答える。
「彼が変わってきている証拠よ」
「気に入らないわね」
「あなたらしい感想だわ」
ローズは腕を組む。
確かに面白くない。
けれど否定もできない。
ラフリは以前より、人の心に触れ始めている。
それは誰かに導かれた強さではなく、彼自身が手に入れ始めたものだった。
帰り道。
昇降口で靴を履き替えていると、後ろから声がした。
「ラフリ」
振り向くとミサキが立っている。
珍しく一人だった。
「なに?」
「……今日」
少し言いづらそうに視線を逸らす。
「昨日より、ちゃんと話せた気がする」
ラフリは瞬きをする。
ミサキがこんな言葉を自分から言うなんて、思っていなかった。
「そっか」
「だから……その」
また言葉が詰まる。
数秒後、勢いよく言い放った。
「明日もちゃんとしなさいよ!」
「何を!?」
「全部!」
意味不明だった。
ミサキはそのまま走って去っていく。
ラフリは呆然とした後、吹き出してしまう。
「ほんと、なんなんだよ」
でも。
その笑顔は、少し嬉しそうだった。
特別な理由なんてなくてもいい。
気づけば隣にいて、
気づけば気にかけている。
そんな小さな積み重ねが、
誰かとの距離を変えていく。




