第102話『言えない助けて』
人は本当に苦しい時ほど、うまく助けを求められない。
大丈夫。
平気。
放っておいて。
そんな言葉ばかりが口をつく。
けれど本当の気持ちは、言葉にならない場所に滲んでいる。
震える指先。
逸らせない視線。
離せない手。
気づいてほしいと願う心は、時に沈黙の中にこそある。
公園に残された夕焼けは、少しずつ色を失い始めていた。
遠くで子どもの笑い声が聞こえる。
車の走る音。
風に揺れる木々の音。
日常はそのまま流れているのに、二人の時間だけが止まったようだった。
ミサキの手は、まだラフリの袖を掴んでいた。
ほんの少し。
気づかなければ見逃すほど弱く。
けれど、その震えだけは隠せていない。
ラフリは何も言わなかった。
下手な言葉をかければ、壊れてしまいそうな気がした。
やがてミサキが、はっとしたように手を離す。
「……別に、意味ないから」
「え?」
「今の。反射だから」
早口だった。
いつもの強がり。
いつもの防御。
けれど声はうまく整っていない。
「そっか」
ラフリはそれ以上追及しない。
ミサキはそれが余計に落ち着かなかった。
「……なんで聞かないの」
「何を?」
「なんで掴んだの、とか」
「聞かれたいのか?」
「聞かれたくない!」
即答だった。
ラフリは思わず笑う。
「難しすぎるだろ」
「うるさい」
そう返す声も、少しだけ弱い。
沈黙が落ちる。
公園のベンチ。
並んで座る二人。
沈む夕日。
ミサキは膝の上で手を握りしめた。
言いたいことはある。
けれど言えない。
怖いからだ。
情けないと思われるのが。
面倒だと思われるのが。
昔と同じように、距離を置かれるのが。
「……あいつら」
ようやく絞り出した声は、小さかった。
「中学の時のやつら」
ラフリは黙って聞く。
「別に毎日いじめられてたとかじゃない」
「うん」
「でも、私が何か言うたびに大げさだって笑われて……きついって言われて……」
視線が地面へ落ちる。
「気づいたら、私が何言っても面倒なやつ扱いだった」
風が吹く。
ミサキの髪が揺れる。
「だから変えたの」
「変えた?」
「言い方とか、距離感とか、空気読むとか」
苦く笑う。
「……でも、さっき声聞いただけで体固まった」
ラフリは胸の奥が痛んだ。
変わろうとした。
頑張ってきた。
今は友達もいる。
それでも過去は、簡単に人を縛る。
「情けないよね」
ミサキが呟く。
「今さら怖がってるなんて」
「情けなくない」
ラフリはすぐに言った。
ミサキが目を見開く。
「怖かったものが、急に平気になるわけないだろ」
「……でも」
「それでも学校でちゃんと笑ってるじゃん」
言葉を探しながら、続ける。
「変わろうとしてるし、今も逃げなかったし」
うまくまとまらない。
格好いい言葉でもない。
けれど本音だった。
ミサキの唇が震える。
何か言おうとして、言えない。
代わりに顔を背ける。
「……そういうの、ずるい」
「何が?」
「真面目に言うとこ」
耳まで赤い。
ラフリは意味がわからず首を傾げた。
その反応がさらに腹立たしい。
「ほんと鈍い」
「なんで怒られるんだよ」
「怒ってないし」
いつものやり取り。
なのにさっきまでの苦しさが、少しだけ薄れていた。
ミサキは深く息を吐く。
そして、ほんの少しだけラフリの方へ体を寄せた。
肩が触れるか触れないかの距離。
「……今日は」
「ん?」
「少しだけ、一人じゃなくてよかった」
小さな声だった。
聞こえないふりもできた。
でもラフリは、ちゃんと聞いた。
「俺も」
その一言に、ミサキは目を伏せる。
笑ったのか、困ったのか、自分でもわからない顔で。
空はもう、夕焼けから夜へ変わり始めていた。
言えない「助けて」。
言えない「怖い」。
言えない「そばにいて」。
それでも届くものがある。
言葉にならない心を、
少しずつ拾い上げるように。




