第100話『一人になれない夕暮れ』
誰かに弱さを見せた後、人は少しだけ不安になる。
嫌われなかっただろうか。
重いと思われなかっただろうか。
余計なことを話しすぎただろうか。
心を開くことは、勇気がいる。
そしてその勇気は、すぐに報われるとは限らない。
翌日。
ミサキは教室へ入る前から落ち着かなかった。
下駄箱で靴を履き替える時も。
階段を上る時も。
教室の扉の前でも。
頭に浮かぶのは、昨日のことばかりだった。
壁にもたれていた自分。
情けない声。
そして、それを見ていたラフリ。
(最悪……)
思い出すだけで顔が熱くなる。
「なに一人で赤くなってんの?」
友人に声をかけられ、慌てて首を振った。
「なんでもないし!」
勢いよく教室へ入る。
すると視界の先に、ラフリがいた。
ナカムラと話しながら笑っている。
その何でもない姿に、なぜかさらに落ち着かなくなる。
(普通にしてる……)
いや、普通でいい。
むしろ普通であるべきだ。
昨日のことなんて、気にされていない方が楽なはず。
なのに胸のどこかで、少しだけ引っかかった。
その時、ラフリがこちらに気づく。
「あ、おはよう」
自然な挨拶。
それだけだった。
けれどミサキは反射的に顔を背ける。
「……遅い」
「え?」
「挨拶が遅いって言ったの!」
意味不明だった。
自分でもわかっている。
ラフリはぽかんとした後、小さく笑った。
「おはよう、ミサキ」
その言い方が妙にむかつく。
「……なにその顔」
「別に?」
「腹立つ」
「理不尽すぎるだろ」
ナカムラが吹き出した。
「お前ら朝から何してんだよ」
「してないし!」
即答。
教室に小さな笑いが広がる。
ミサキは席へ向かいながら、そっと胸を押さえた。
少しだけ、安心していた。
放課後。
今日は友人たちと予定が合わず、一人で帰ることになった。
「じゃあまたねー!」
「うん、また明日」
笑って手を振る。
だがその姿が見えなくなった瞬間、肩の力が抜けた。
一人になると、静かになる。
賑やかな時間が終わると、余計なことを考えてしまう。
(昨日、変じゃなかったかな)
(あんな話、しなきゃよかったかも)
(……でも)
足を止める。
商店街へ向かう途中の小さな公園。
ベンチの横に、見覚えのある鞄が置かれていた。
「……え?」
その奥で、ラフリが自販機と格闘していた。
「なんでまた反応しないんだよ……」
思わず吹き出しそうになる。
昨日と逆だった。
ラフリは小銭を入れては戻され、首を傾げている。
「なにしてんの、あんた」
声をかけると、ラフリが振り向いた。
「あ、ミサキ」
「見ればわかるけど?」
「いや、飲み物買おうとしたら……」
「貸して」
ミサキは前へ出て、自販機の返却口を確認する。
すぐに原因がわかった。
「硬貨、斜めに入ってるだけ」
カチ、と直す。
ボタンが点いた。
「……買えた」
「鈍いわね」
「昨日のお返し?」
「別に」
そう言いながら、ミサキは隣のベンチへ座った。
ラフリも少し離れて座る。
夕暮れの公園。
子どもの声も遠く、小さな風だけが吹いていた。
「一人?」
ラフリが聞く。
「悪い?」
「いや、俺もだから」
沈黙。
けれど気まずくはない。
昨日までなら考えられなかった。
ミサキは空を見上げながら呟く。
「……なんかさ」
「ん?」
「一人って、嫌いじゃないんだけど」
「うん」
「たまに、変に寂しい時ある」
言ってから、しまったと思った。
また余計なことを。
だがラフリは笑わなかった。
「わかる」
それだけだった。
大げさな共感も、励ましもない。
でも、その短い一言が妙に心に残る。
ミサキは横目でラフリを見る。
この人は、派手なことは言わない。
格好いいわけでも、器用なわけでもない。
なのに――
どうしてこんなに、隣が落ち着くんだろう。
「……変なやつ」
「今日それ何回目だよ」
「数えてないし」
二人の間に、小さな笑いが生まれる。
その時だった。
公園の入口に、数人の影が現れる。
制服ではない。
見知らぬ男女。
だが、その中心にいた一人を見た瞬間。
ミサキの笑顔が消えた。
体が、強くこわばる。
ラフリは気づく。
さっきまで穏やかだった空気が、一瞬で変わったことに。
「……ミサキ?」
彼女は答えない。
ただ、震えるほど小さく拳を握っていた。
一人になれない夕暮れ。
隣にいたからこそ、気づけた変化。
そして静かな日常は、再び過去と向き合う時を迎えようとしていた。




