第99話『見えてしまった素顔』
人は誰でも、見せる顔を選んで生きている。
明るい顔。
強い顔。
平気な顔。
そうして日々を乗り切っていく。
けれど時々、思いがけない瞬間に――
隠していた素顔はこぼれてしまう。
翌日の昼休み。
教室には弁当の匂いと賑やかな声が満ちていた。
アオイは今日もユナの隣を陣取り、楽しそうに騒いでいる。
「ユナー! 卵焼き交換しよ!」
「交換というより、一方的に取ろうとしてない?」
「ばれた!」
ナカムラが笑い、ラフリもつられて笑った。
数日前までの重たい空気が嘘のようだった。
そんな中、ラフリの視線はふと教室の奥へ向く。
ミサキは友人たちに囲まれ、いつものように明るく笑っていた。
「え、それ絶対ないって!」
「ミサキまた辛口ー!」
「だって本当じゃん」
輪の中心。
自然体。
誰が見ても楽しそうだった。
(やっぱ昨日とは別人みたいだな……)
そう思った時だった。
一人の女子生徒が、何気なく言った。
「てかミサキって、たまに冷たくなるよね」
言葉自体は軽い冗談だった。
周囲も笑っている。
だが、その瞬間。
ミサキの笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。
ラフリは見逃さなかった。
ほんの一秒にも満たない変化。
けれど確かに、彼女の目から色が消えた。
次の瞬間にはいつもの顔へ戻っていたが、胸の奥に何かが引っかかった。
(……今の)
授業が終わり、放課後。
ラフリは先生に頼まれたプリントを職員室へ届けた帰り、校舎裏の通路を歩いていた。
人気のない静かな場所。
その先から、小さな声が聞こえる。
「……だから、ごめんって言ってるじゃん」
足が止まった。
壁の向こうを覗くと、そこにはミサキがいた。
向かいには同じクラスの女子二人。
昼休みに一緒にいたメンバーだ。
「別に怒ってないよ?」
「でもさ、ああいう言い方されるとちょっと傷つくっていうか」
「……ごめん」
ミサキは視線を落としていた。
いつもの強気な姿はない。
「ミサキってたまに本気か冗談かわかんないんだよねー」
「そうそう。ノリきつい時あるし」
悪意はない。
責め立ててもいない。
ただ、軽い会話の延長。
それなのにミサキの肩は小さく震えていた。
「……気をつける」
その声は、とても小さい。
二人が去った後も、ミサキはその場から動かなかった。
壁にもたれ、拳を握っている。
ラフリは迷った。
見なかったことにするべきか。
声をかけるべきか。
数秒悩んだ末、ゆっくり前へ出る。
「……いたの?」
ミサキが顔を上げる。
驚きと、最悪だという顔が混ざっていた。
「ちょっとだけ」
「最悪……」
額を押さえるミサキ。
「なんでこういう時にいるのよ」
「ごめん」
「なんであんたが謝るの」
「なんとなく」
ミサキは少しだけ吹き出した。
けれどすぐに真顔へ戻る。
「今の、聞いた?」
「少し」
「忘れて」
即答だった。
「無理」
「は?」
「そんな顔してるやつ見て、何もなかったことにはできない」
ミサキの目が揺れる。
怒るでもなく、逃げるでもなく、ただ困ったように。
「……面倒なやつ」
「よく言われる」
「言われてそう」
少しだけ空気が和らぐ。
ラフリは壁の隣に立つ。
無理に励まさない。
無理に聞き出さない。
ただ隣にいる。
しばらくして、ミサキがぽつりと呟いた。
「私、言い方きついんだよね」
「知ってる」
「うるさい」
肩を軽く叩かれる。
痛くはない。
「昔から、こういうので失敗してきた」
その言葉にラフリは黙る。
「悪気なくても、嫌われる時ってあるじゃん」
「……あるな」
「だから今は、気をつけてるつもりなんだけど」
そこで言葉が止まる。
悔しそうに唇を噛んだ。
「またやった」
初めてだった。
彼女が自分の弱さを、そのまま見せたのは。
ラフリは少し考えてから言う。
「でもさ」
「なに」
「ちゃんと気にしてる時点で、前とは違うんじゃないか」
ミサキは目を丸くした。
「失敗しても、変わろうとしてるならそれでいいと思う」
沈黙。
風が二人の間を通り過ぎる。
やがてミサキは顔を背けた。
耳が赤い。
「……急にそういうこと言うのやめて」
「なんで」
「調子狂うから」
ラフリは笑う。
ミサキも、ほんの少しだけ笑った。
その笑顔は、教室で見せるものとは違っていた。
明るい顔の裏にあった痛み。
強い言葉の奥にあった不安。
隠していた素顔を見てしまったからこそ――
二人の距離は、また少しだけ変わっていく。




