第98話『素直じゃない距離』
第一印象は、案外あてにならない。
怖そうな人が優しかったり。
明るい人が孤独だったり。
冷たい言葉の奥に、別の感情が隠れていたりする。
だから人との距離は、見た目だけでは決められない。
もっとも――
それを縮めるのは、簡単ではないけれど。
翌朝。
教室にはいつもの賑やかな声が戻っていた。
数日前まで漂っていた妙な重さも、今はかなり薄れている。
完全に元通りではない。
それでも、生徒たちは少しずつ日常を取り戻していた。
ラフリは席に座りながら、何となく教室を見渡す。
そして自然と、一人の姿を探していた。
(……なんで探してるんだ、俺)
自分で自分に呆れる。
だがその時、教室の扉が開いた。
「おはよー!」
数人の女子と笑いながら入ってきたのはミサキだった。
昨日と同じ人物とは思えないほど明るい。
楽しそうに笑い、友人と会話し、自然に輪の中心にいる。
「でさ、それマジでウケたんだけど!」
「ミサキ言い方きつすぎー!」
「えー? だって本当じゃん」
教室に笑いが広がる。
ラフリはぽかんと見ていた。
(普通に人気者じゃん……)
昨日、自販機の前で刺々しかった姿とはまるで別人だ。
その時、ミサキがふとこちらを見た。
一瞬だけ目が合う。
そして次の瞬間――
ぷいっと逸らされた。
「……なんでだよ」
思わず小声で漏れる。
ナカムラが隣で笑った。
「朝から何ぶつぶつ言ってんだ?」
「いや、なんでもない」
「怪しいな」
そこへアオイがやって来る。
「ラフリー、おはよ!」
「おはよう」
「ねえねえ、今ミサキ見てたでしょ?」
「ぶっ」
思わずむせる。
「な、なんでそうなるんだよ!」
「顔に書いてあるもん」
「書いてねえよ!」
アオイはけらけら笑う。
少し離れた席で、ユナが静かに紅茶を飲んでいた。
その隣ではローズが腕を組み、面白くなさそうな顔をしている。
「……騒がしい朝ね」
「平和ってことよ」
ユナは穏やかに返した。
授業が始まり、昼休みになり、放課後が近づく。
その間、ラフリとミサキが話す機会はなかった。
いや、正確には――
何度かあった。
プリントを配る時。
席の間を通る時。
掃除当番の確認をする時。
そのたびにミサキは、
「そこ、邪魔」
「手、どいて」
「遅いんだけど」
……なぜか当たりが強い。
「俺なんかした?」
思わず聞くと、ミサキは顔を赤くしてそっぽを向いた。
「してないし!」
「じゃあなんで怒ってるんだよ」
「怒ってない!」
意味がわからない。
放課後。
掃除当番だったラフリは、雑巾を洗いに廊下の水道へ向かっていた。
すると角を曲がった先で、小さな声が聞こえる。
「……だから、それ違うってば」
見るとミサキが一人、スマホを見ながら眉をひそめていた。
誰かとメッセージをしているらしい。
普段の明るさはなく、少し疲れた顔だった。
ラフリは迷ったが、昨日のことを思い出して一応声をかける。
「大丈夫か?」
ミサキがびくっと肩を震わせる。
「な、なんでいるの!?」
「いや、学校だから……」
「見た?」
「何を?」
「今の顔とか!」
「いや、見たけど……」
「最悪……」
頭を抱えるミサキ。
理不尽すぎる。
「別に変な顔じゃなかったぞ」
「そういう問題じゃないし!」
「じゃあどういう問題なんだよ」
ミサキは数秒黙り込む。
やがて視線を逸らし、小さく言った。
「……弱ってるとこ、あんまり見られたくないだけ」
その声は、いつもの強さがなかった。
ラフリは少し驚く。
初めて、素の声を聞いた気がした。
「そっか」
それ以上は踏み込まない。
ただ隣の水道で雑巾を洗う。
しばらく沈黙が続いた。
やがてミサキがぽつりと呟く。
「……変なやつ」
「またそれか」
「普通、もっと聞くでしょ。何があったのとか」
「聞かれたくなさそうだったし」
ミサキは目を丸くする。
そしてすぐに顔を背けた。
「……別に、ちょっと友達と揉めただけ」
「へえ」
「へえ、じゃないし。少しは反応してよ」
「いや、聞くなって空気だったじゃん」
「それは……そうだけど」
また黙る。
けれど今度の沈黙は、少しだけ居心地が悪くなかった。
帰り際。
ミサキは先に歩き出し、数歩進んでから立ち止まる。
振り返らずに言った。
「……昨日の自販機」
「ん?」
「助かった。たぶん」
小さすぎる声だった。
「え、今なんて?」
「うるさい!」
そう言い捨て、走って去っていく。
ラフリはその背中を見送りながら笑ってしまう。
「素直じゃなさすぎだろ……」
でも。
昨日より少しだけ、距離は縮んだ気がした。
刺々しい言葉。
見せたくない弱さ。
聞かない優しさ。
近づいたようで、まだ遠い。
それでも二人の間には、確かに昨日とは違う空気が流れ始めていた。




