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第8話 庭園に沈む視線と、薔薇の試し

放課後の教室には、夕焼けの色が静かに差し込んでいた。

窓の外。 空は赤く染まり始め、 校舎の影がゆっくりと長く伸びていく。

授業は終わった。 生徒たちは笑いながら帰っていき、 教室の中の音も少しずつ減っていく。

椅子を引く音。 鞄を閉じる音。 遠ざかる足音。

やがて教室には、 わずかな話し声だけが残った。

俺――ラフリは席に座ったまま、 何となく前を見ていた。

理由は分かっている。

ユナと―― その隣に座るローズ。

二人が並んで話している光景が、 なぜかずっと気になっていた。

普通なら、 ただの転校生だ。

少し有名で、 少し目立つだけの少女。

……そのはずなのに。

ローズが笑うたび、 胸の奥が妙にざわつく。

まるで本能が、 「あいつを警戒しろ」と囁いているみたいだった。

そして何より――

あいつは時々、 まるで俺を“観察”しているみたいな目をする。

まるで、 何かを確かめるように。

その視線が、 どうしても頭から離れなかった。

「ユナってさ」

ローズが机に軽く肘をつきながら言った。

「学院の中で好きな場所ある?」

「好きな場所?」

ユナは少し考える。

「うーん……」

夕焼けの光が、 彼女の黒髪を淡く照らしていた。

少ししてから、 思い出したように小さく笑う。

「庭かな」

「庭?」

「うん。噴水があるところ」

その瞬間、 ローズの目が少しだけ細くなった。

興味を持ったような顔。

「へえ」

彼女は楽しそうに笑う。

「気になるなぁ」

そして、 何気ない調子で続けた。

「じゃあさ、今から行ってみない?」

「え、今?」

ユナが少し驚く。

「うん。放課後だし」

ローズは軽く肩をすくめた。

「少し散歩するだけ」

ユナは少し迷ったあと、 小さく頷いた。

「……うん、いいよ」

その瞬間。

胸の奥が、 またざわついた。

(庭……)

学院の庭。

昼間は綺麗な場所だ。

だが放課後になると、 ほとんど人がいなくなる。

静かで、 閉鎖的で、 妙に空気が重い場所。

その時だった。

ローズがふと、 こちらを見た。

「ラフリ」

突然名前を呼ばれ、 思わず顔を上げる。

「……なんだ」

「あなたも来る?」

一瞬、 言葉を失った。

「え?」

ローズは自然な笑顔のまま続ける。

「ユナの友達なんでしょ?」

そして、 少しだけ意味深に微笑んだ。

「一緒に散歩しよ?」

――断る理由がない。

でも。

本能が、 小さく警鐘を鳴らしていた。

(……なんで俺を誘う)

ただの散歩なら、 ユナと二人で行けばいい。

なのに。

どうしてわざわざ、 俺まで。

「……まあ、いいけど」

そう答えると、 ローズは満足そうに笑った。

その笑顔を見た瞬間。

なぜか、 背筋に小さな寒気が走った。

学院の庭は静かだった。

噴水の水音だけが、 夕方の空気の中で小さく響いている。

石畳の道。 揺れる木々。 赤く染まる花壇。

綺麗な場所だ。

なのに。

どうしてこんなに、 落ち着かないんだろう。

「わぁ……」

ローズが小さく声を漏らす。

「思ったより綺麗」

そう言って、 噴水の近くまで歩いていく。

ユナも少し嬉しそうに笑った。

「でしょ?」

「うん。なんか落ち着くね」

二人は自然に並ぶ。

その光景は、 ただの仲の良い女子同士にしか見えない。

……なのに。

俺だけが、 異物みたいだった。

「ラフリは?」

突然、 ユナがこちらを見る。

「え?」

「好きな場所とかないの?」

不意に聞かれ、 少し考える。

「……静かな場所ならどこでもいい」

そう答えると、 ユナは少し笑った。

「ラフリっぽい」

その言葉に、 胸が少しだけ温かくなる。

――その瞬間だった。

「ねえ、ラフリ」

ローズの声。

反射的に視線を向ける。

ローズは噴水の縁に腰掛けながら、 静かにこちらを見ていた。

「もしさ」

風が吹く。

夕焼けの光が、 彼女の銀髪を揺らした。

「未来が分かる人がいたら」

――ドクン。

心臓が強く鳴った。

ローズは続ける。

「それって幸せだと思う?」

静かな声。

まるで独り言みたいな口調。

だけど。

その目だけは、 まっすぐ俺を見ていた。

「それとも――」

少し首を傾げる。

「呪いだと思う?」

息が止まりそうになる。

頭の奥で、 嫌な記憶が蘇る。

炎。

雨。

砕けた車。

血。

ユナの死。

何度も繰り返された絶望。

(……なんで)

どうして、 そんなことを聞く。

偶然なのか?

それとも――

「ラフリ?」

ユナの声で我に返る。

気づけば、 俺は黙り込んでいた。

「……どうしたの?」

「いや……別に」

無理やり答える。

だが、 声が少し掠れていた。

ローズはそんな俺を見て、 小さく笑った。

「ふふ」

その笑い方が、 妙に引っかかる。

「変な質問だったね」

そう言って、 ローズは立ち上がった。

「ごめんね、急に」

「ううん……別にいいけど」

ユナは困ったように笑う。

だが。

俺の胸のざわつきは、 消えなかった。

むしろ、 どんどん強くなっていく。

(こいつ……)

偶然じゃない。

そんな気がする。

ローズは、 何かを知っている。

もしくは――

俺を試している。

庭を出て、 三人で帰り道を歩く。

空はもう暗くなり始めていた。

街灯が、 静かに道を照らしている。

しばらく沈黙が続いたあと。

ローズがふと、 小さく笑った。

「でもさ」

ユナが首を傾げる。

「え?」

ローズは少しだけ楽しそうに言った。

「ラフリって優しいよね」

「そうかな?」

ユナが聞き返す。

「うん」

ローズは軽く頷いた。

そして。

ほんの少しだけ、 声を落とした。

「まるで――」

その瞬間。

ローズの視線が、 ゆっくりこちらへ向く。

「ユナを絶対に失いたくない人みたい」

――ゾクリ。

全身に寒気が走った。

足が止まりそうになる。

脳裏に、 焼けた車の光景が浮かぶ。

血。

炎。

叫び。

“助けて”

心臓が、 嫌なほど強く鳴った。

どうして。

どうしてこいつは、 そんなことを言える。

ローズは何事もなかったように歩いている。

ユナだけが、 不思議そうにこちらを見ていた。

「……ラフリ?」

だが俺は、 すぐに答えられなかった。

ローズの横顔を見ながら、 ゆっくり理解していく。

こいつは危険だ。

ただの転校生じゃない。

そして――

もしかしたら。

俺が思っているよりずっと、 この“ループ”の近くにいる。

そんな気がした。

その夜。

ラフリは眠れなかった。

ベッドに横になっても、 頭の中ではローズの言葉が何度も響いている。

『未来が分かる人がいたら』

『幸せ?』

『それとも呪い?』

偶然とは思えなかった。

いや―― 思いたくなかった。

もし本当に、 ローズが何かを知っているなら。

もし本当に、 このループに関係しているなら。

それはきっと、 今までより遥かに危険な意味を持つ。

窓の外では、 夜風が静かに揺れていた。

ラフリはゆっくり目を閉じる。

だが胸の奥の不安だけは、 消えることがなかった。

そしてその頃。

学院のどこか。

暗い廊下の窓際で、 ローズは夜空を見上げていた。

「……やっぱり」

小さく、 楽しそうに笑う。

「覚えてるんだね、ラフリ」

その瞳は、 まるで獲物を見つけたように静かに細められていた。

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