第8話『最後に』【改訂版】
言えなかった想いがある。
胸の奥で静かに育って――
誰にも知られないまま、消えていく恋がある。
そして――
一番大切な人を、笑顔で送り出すことを選ぶ人がいる。
その日が――
「最後」だった。
僕は一人、部屋のガラスの机の前に座っていた。
静かな部屋。時計の音だけが、やけに大きく聞こえる。
ゆっくりと引き出しを開ける。
長い間、触れていなかった場所。
その奥にある、小さな箱。
その中に入っているのは――
一度も渡せなかった手紙たち。
全部、君へ。
ユナへ。
一通一通、取り出していく。
少し色あせた紙。
だけど――そこに込めた想いは、あの日のままだ。
僕はそれらを丁寧に揃え、
静かに箱を閉じた。
そして、立ち上がる。
――今日は、君に会いに行く日だ。
いつも通り、僕たちは会った。
友達のように話して、
何もないみたいに笑って。
でも――
僕の中には、ずっと言えない言葉があった。
それでも、言わなかった。
言えなかった。
そんな日々が続いて――
ある日。
君は、一人じゃなかった。
隣には、一人の男がいた。
君は笑っていた。
僕がずっと見てきた、あの笑顔で。
「彼…私の彼氏なの」
その一言で、
心臓が一瞬――止まった気がした。
「二年後に…結婚する予定なんだ」
僕は――笑った。
いや、笑った“ふり”をした。
「おめでとう」
短い言葉。
でも、その一言で――
僕は、ずっと抱えていたものを、
ようやく手放した気がした。
時間は流れる。
日々が過ぎ、
週が過ぎ、
月が過ぎて――
そして、その日が来た。
君の結婚式。
僕は綺麗な服を着て、そこに立っていた。
新郎の前に立ち、手を差し出す。
「おめでとう」
握手を交わしながら、僕は言った。
「彼女を…大切にしてください。
隣にいるのは、僕じゃないから」
彼は静かにうなずいた。
僕は笑った。
そして――君を見る。
いつもより、少し長く。
その姿を、目に焼き付けるように。
僕は一歩、近づいた。
そして、小さな声で言った。
「君を守る役目は…ここまでだ」
ゆっくり、息を吸って――
「君の王子様が、迎えに来たんだ」
震える手で、君に一通の手紙を渡す。
「これ…君へ」
君はそれを受け取った。
僕は――振り返らずに歩き出した。
部屋に戻る。
あの机の前に座る。
あの箱を、もう一度開ける。
中には、もう一通だけ手紙が残っていた。
さっき渡したものと、同じ内容の手紙。
僕はそれを開いて、ゆっくり読む。
手紙の中身:
君を守る役目は、今日で終わりです。
これまでありがとう。
一緒に過ごした時間、優しさ、ぬくもり――全部。
君のおかげで、僕の毎日は輝いていました。
そして、最後に。
最後にもう一度、
君の笑顔を見ることができて――
それだけで、十分です。
さようなら。
僕が最後まで守りたかった人へ。
手紙を閉じる。
箱を閉じる。
そして僕は――
泣かなかった。
ただ、小さく笑った。
君に見せていたのと同じ、あの笑顔で。
あの日、僕は君を失ったわけじゃない。
最初から――
僕は君を手に入れてなんかいなかった。
だけど――
あの日、僕はこの想いを手放した。
最後に。
そしてこれからは――
君の名前を胸に隠さずに、
前を向いて生きていく。
※本話は物語の一貫性のために加筆・修正を行いました




