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第7話 薔薇は静かに、こちらを見ている

昼の教室は、穏やかだった。

窓から差し込む春の光。 静かに揺れるカーテン。 黒板を走るチョークの音。 誰かがノートをめくる音。

平和な日常。

どこにでもある、 ただの学院の昼休み。

――なのに。

ラフリだけは、 ずっと落ち着かなかった。

理由は分かっている。

転校生――ローズ。

彼女がこの教室へ入ってきてから、 胸の奥に小さな棘が刺さったみたいな違和感が消えない。

初めて会ったはずなのに。

なぜか、 “知っている気がする”。

そして同時に、 “絶対に近づいてはいけない”と、 本能が警告していた。

「ユナって、この学院長いの?」

ローズが楽しそうに尋ねた。

「うん、まあ……そうかな」

ユナは少し考えるように答える。

「へえ〜」

ローズは興味深そうに頷いた。

「じゃあ学院のこと、いっぱい知ってるんだね」

「そんな詳しくないよ?」

ユナが小さく笑う。

二人は自然に会話を続けた。

好きな授業。 苦手な先生。 学院の噂。 食堂の人気メニュー。

どれも普通の話だった。

どこにでもある、 女子同士の何気ない会話。

なのに。

ラフリの胸は、 ずっとざわついたままだった。

(……なんなんだ、この感じ)

ローズが笑う。

教室の空気が、 ほんの少し柔らかくなる。

近くの男子たちが、 ちらちらと彼女を見る。

女子たちも、 いつの間にかローズを中心に話し始めていた。

まるで、 彼女が空気を支配しているみたいだった。

(……いや、考えすぎだろ)

ラフリは視線をノートへ落とす。

だが、 数秒も経たないうちに、 またローズの方を見てしまう。

気づけば、 何度も。

何度も。

何度も。

視線が吸い寄せられていた。

その度に、 胸の奥が嫌な感覚でざわつく。

まるで、 思い出してはいけない記憶が、 喉元まで浮かび上がってくるみたいに。

雨。

炎。

赤い薔薇。

壊れた車。

「――っ」

ラフリは無意識に目を逸らした。

呼吸が浅い。

心臓がうるさい。

(落ち着け……)

(まだ何も起きてない)

(ただの転校生だ)

そう自分に言い聞かせた瞬間。

ふと、 ローズがこちらを向いた。

目が合う。

その瞬間、 ラフリの背筋が凍った。

「ねえ」

突然、 ローズが声をかける。

「……俺か?」

「うん」

ローズは柔らかく微笑んだ。

完璧な笑顔だった。

誰が見ても、 好印象を抱く笑顔。

アイドルらしい、 綺麗すぎる笑顔。

――だからこそ、 逆に怖かった。

「ラフリ、だよね?」

名前を呼ばれて、 ラフリの反応が少し遅れる。

「……そうだけど」

「先生が呼んでたから覚えちゃった」

そう言って、 ローズは小さく笑う。

その声は優しい。

柔らかい。

なのに、 なぜか逃げたくなる。

「でもさ」

ローズが少しだけ目を細めた。

「ラフリって、 さっきからずっとこっち見てるよね?」

その瞬間。

近くのクラスメイトが笑った。

「確かに」

「めっちゃ見てる」

「気になるのか?」

教室に小さな笑いが広がる。

しまった。

ラフリは内心で舌打ちした。

見すぎた。

意識しすぎていた。

ユナもこちらを見て、 少し不思議そうに首を傾げる。

「ラフリ?」

「いや、その……」

うまく言葉が出てこない。

焦る。

視線が集まる。

その瞬間、 教室の音が少し遠く感じた。

時計の音だけが、 やけに大きく聞こえる。

カチ、 カチ、 カチ。

(……なんでだよ)

(なんでこんなに焦ってる)

ローズは、 そんなラフリを静かに見つめていた。

観察するみたいに。

反応を確かめるみたいに。

やがて、 彼女はゆっくり立ち上がる。

静かに。

ゆっくりと。

そのまま、 ラフリの机の前まで歩いてきた。

近い。

甘い香水の匂い。

長い銀髪が揺れる。

逃げたい。

なのに、 体が動かなかった。

「ねえ」

ローズが小さな声で囁く。

他の誰にも聞こえない距離。

「……なに?」

ラフリは警戒しながら答える。

ローズは少しだけ首を傾げた。

まるで、 何かを見極めるみたいに。

「私のこと」

数秒の沈黙。

そして。

「どこかで会ったことある?」

ドクン――。

心臓が強く跳ねた。

脳裏に、 赤い光景がよぎる。

炎。

血。

雨。

そして、 赤い薔薇のブローチ。

「……ない」

ラフリは短く答えた。

即答だった。

だが、 ローズはまだ見つめている。

「ほんとに?」

「……ほんとだ」

沈黙。

短いはずなのに、 やけに長く感じる。

教室の空気が重い。

ローズはじっと、 ラフリの目を見つめていた。

まるで。

“嘘を探している”みたいに。

やがて、 彼女はふっと微笑んだ。

「そっか」

綺麗な笑顔だった。

なのに。

ラフリは寒気を覚えた。

ローズは何事もなかったように席へ戻る。

「ごめんね、変なこと聞いちゃった」

「え、いや……」

ユナが苦笑する。

周囲の空気も、 少しずつ元へ戻っていく。

笑い声。

雑談。

ページをめくる音。

平和な教室。

――ラフリ以外は。

彼だけが、 まだ心臓を落ち着かせられずにいた。

(……なんなんだ、あいつ)

ただ話しただけだ。

脅されたわけじゃない。

何かをされたわけでもない。

それなのに。

まるで、 心の奥を覗かれたみたいだった。

その時。

ローズがふと、 窓の外を見ながら呟く。

「でもさ」

ユナが聞き返す。

「え?」

ローズは小さく笑った。

「ラフリって、不思議だよね」

「どうして?」

「だって――」

そこで、 ローズの視線がゆっくりこちらへ向く。

真っ直ぐに。

逃がさないみたいに。

そして。

静かに言った。

「まるで、 ずっと前から私を知ってる人みたいな顔するんだもん」

その瞬間。

ラフリの背筋に、 冷たい感覚が走った。

授業は、 何事もなかったかのように続いていく。

先生の声。

ノートを書く音。

窓の外の青空。

世界は、 いつも通りだった。

けれど。

ラフリの中だけは違った。

胸の奥に沈んだ違和感が、 ゆっくりと広がっていく。

ローズは、 本当にただの転校生なのか。

それとも――

自分と同じように、 “何か”を知っている存在なのか。

答えはまだ分からない。

だが一つだけ、 確かなことがあった。

ローズが現れてから。

この世界の空気は、 少しずつ歪み始めている。

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