第五十八話:守れなかった理由
ほんの少しの判断ミス。
たった一つのズレ。
それだけで――
守れるはずのものは、
簡単に壊れてしまう。
そして少年は気づき始める。
問題は“結果”じゃない。
もっと前にある“何か”だということに。
病院の廊下。
白い壁。
消毒液の匂い。
ラフリは椅子に座ったまま、動けなかった。
(……ナカムラ)
頭から離れない。
血。
倒れる姿。
動かない体。
拳が震える。
「……また、間違えた」
小さく呟く。
守ったつもりだった。
助けたつもりだった。
でも――
(結果は、これだ)
胸の奥が重い。
息が浅い。
「……なんでだよ」
視線を落とす。
床しか見えない。
「ラフリくん」
優しい声。
顔を上げる。
セラが立っていた。
「……セラ」
彼女は静かに隣に座る。
少しの沈黙。
「ナカムラくん、命に別状はないって」
その言葉に、少しだけ息が戻る。
「……そっか」
でも。
それだけだった。
安心より先に来る感情。
(……守れてない)
「どうして」
セラが小さく聞いた。
「無理したの?」
ラフリは答えない。
答えられない。
しばらくして。
「……俺」
やっと口を開く。
「守ろうとしただけなんだ」
声がかすれる。
「でも、全部ズレる」
言葉が止まらない。
「一つ直すと、別のところが壊れる」
拳を強く握る。
「俺が動くたびに、悪くなる気がする」
沈黙。
セラは何も否定しなかった。
ただ、静かに聞いていた。
「……ねえ」
セラがゆっくり言う。
「ラフリくん」
「うん……」
「一つだけ、いい?」
ラフリは小さく頷く。
セラは少し考えてから言った。
「どうして、“全部一人でやろうとしてるの?”」
その言葉。
胸に、深く刺さる。
「……え?」
思考が止まる。
「だって」
セラは続ける。
「ナカムラくんに、ちゃんと説明してないでしょ?」
「それは……」
言葉に詰まる。
「信じてもらえないって思ってる?」
図星だった。
「でもね」
セラの声は優しい。
でも逃げ道はなかった。
「信じてもらう前に、“信じてない”のはラフリくんの方だよ」
息が止まる。
(……俺が)
頭の中で言葉が反響する。
(信じてない……?)
ナカムラの顔が浮かぶ。
怒った顔。
呆れた顔。
でも。
その前にあった表情。
(……普通に話してた)
いつも通りだった。
俺が壊した。
関係も。
流れも。
全部。
「……俺」
小さく呟く。
「怖いんだ」
セラは何も言わない。
ただ聞いている。
「また失敗するのが」
「誰かが壊れるのが」
喉が締まる。
「だから、先に動こうとして」
「でも……全部ズレる」
沈黙。
そして。
セラは小さく微笑んだ。
「じゃあ」
その一言。
ラフリは顔を上げる。
「少しだけ、やり方を変えてみよっか」
「……やり方?」
セラは頷く。
「全部守ろうとするんじゃなくて」
少しだけ首を傾げる。
「“何が起きてるか”を見てみるの」
その言葉。
ラフリの中で、ゆっくり沈む。
「……見てるつもりだ」
「ううん」
セラは優しく首を振る。
「ラフリくんは、“結果”しか見てない」
「結果……」
「誰が倒れた、とか」
「何が起きた、とか」
静かに続ける。
「でもその前に、必ず“理由”があるよ」
心臓が、少しだけ強く鳴る。
(理由……)
頭の中で、今日の出来事を思い出す。
ナカムラ。
白い車。
コンビニ。
自分の行動。
でも――
(その前は……?)
思い出せない。
何も見ていない。
ただ。
止めようとしただけ。
「……俺」
ゆっくり呟く。
「何も見てなかったのか」
セラは微笑む。
「少しずつでいいよ」
その声は優しかった。
でも。
逃げられない現実だった。
夜。
自室。
机の前。
ラフリはノートを開く。
ペンを持つ。
止まる。
(……何を書けばいい)
分からない。
でも。
ゆっくり書き始める。
・ナカムラ → コンビニ
・白い車 → 通過
・自分 → 強引に移動
止まる。
「……違う」
小さく呟く。
「もっと前だ」
でも。
分からない。
思い出せない。
歯を食いしばる。
「……くそ」
その時。
ふと、頭に浮かぶ。
ナカムラの言葉。
『意味分かんねえ』
胸が痛む。
「……ちゃんと話してれば」
未来は変わったのか?
分からない。
でも。
(俺、一人で決めてた)
その事実だけは、重く残った。
少し離れた場所。
暗い路地。
ローズがスマホを見ていた。
画面には、簡単な報告。
「……ふーん」
小さく呟く。
「死んでないんだ」
少しだけ目を細める。
「ズレてる」
でも。
焦りはない。
むしろ――
楽しそうだった。
「でもいいよ」
静かに笑う。
「壊れ方が変わっただけ」
空を見上げる。
「それに」
小さく続ける。
「やっと気づき始めた」
ラフリの顔を思い浮かべる。
迷っている顔。
壊れかけの顔。
「そうじゃないと、つまらないもんね」
失敗は終わりじゃない。
それは――
次の選択の始まりだ。
少年はまだ不完全だ。
弱くて、
迷って、
間違える。
それでも。
ほんの少しだけ、
前を見始めた。
そして少女は笑う。
壊れかけのその姿こそが、
一番美しいと知っているから。




