第五十二話:まだ壊れていない世界
すべてが始まる前の世界。
何も壊れていないはずの朝。
それでも――
どこかで“歪み”は、すでに生まれている。
ユメはベッドから飛び起き、そのまま部屋を出る前に振り返った。
「早く準備して、フリお兄ちゃん! 遅刻しちゃうよ〜」
ラフリはゆっくりと目を開く。
天井。
見慣れたはずの景色。
――なのに。
「……っ」
胸が、痛む。
喉が焼けるように熱い。
息が、少しだけ苦しい。
(……なんだよ、これ)
脳裏に、フラッシュする。
血。
倒れた体。
震える目。
「ラフリ……」
「……やめろ」
小さく呟く。
頭を押さえる。
でも、止まらない。
(……夢、か?)
「フリお兄ちゃん〜!」
ドアの向こうからユメの声。
明るい声。
現実の音。
ラフリは深く息を吐いた。
「……ああ、今行く」
窓の外を見る。
青い空。
何も変わらない朝。
「……なにかが起きる気がする」
懐かしいような、でも思い出せない感覚。
「……気のせい、か」
リビング。
いつもの光景。
ユメがテーブルを整え、母が料理をし、父が新聞を読んでいる。
「おはよう、父さん、母さん、ユメ」
「「おはよう」」
母が微笑む。
「早く食べないと遅れるわよ」
父が言う。
「今日は送ろうか?」
「大丈夫」
「うん、私たちもう大丈夫!」
家を出る前。
母が傘を差し出す。
「今日は雨が降るかもしれないから」
ラフリの動きが、一瞬止まる。
(……雨)
胸の奥が、ざわつく。
「……ありがとう」
外。
ユメと並んで歩く。
「ねえねえ、Furiお兄ちゃん!」
「ん?」
「今日、いいことある気がする!」
「……根拠は?」
「勘!」
「信用できないな」
「ひどっ!?」
小さなやり取り。
でも。
その時間が――少しだけ救いだった。
バス停。
別れ。
バスに乗る。
料金を払う、その瞬間――
「はぁ、間に合った……!」
少女が飛び込んでくる。
ラフリの視線が止まる。
(……誰だ)
なのに。
なぜか、知っている気がした。
少女はICカードを出す。
だが反応しない。
「えっ……うそ……」
その瞬間。
ラフリの体が動いた。
「――俺が払うよ」
自然に出た言葉。
少女は驚く。
でも。
すぐに微笑んだ。
「ありがとうございます、先輩」
「……先輩?」
「同じ制服ですし」
ラフリは少しだけ息をつく。
「ラフリ・パシャだ」
「私は――宮子パ…」
バスが止まる。
言葉は途切れる。
少女は走り去る。
(……なんだ、今の)
胸に残る違和感。
校門。
ざわめき。
高級車。
降りてくる少女。
黒髪。
赤い瞳。
ユナ。
周囲がざわつく。
でも。
ラフリは動かない。
(関わるな)
そう思うのに。
視線だけは――離れない。
教室。
一年三組。
窓際、最後列。
「……主人公席かよ」
クラスメイトが入ってくる。
YOYO。
セラ。
「また会えましたね、ラフリくん」
「……初対面だろ」
小さなズレ。
その時。
後ろの席。
ナカムラが頭を押さえる。
「……っ」
(血……?)
(倒れて……)
「……なんだよ、今の」
記憶は消える。
ラフリは気づかない。
隣の席。
ユナが座る。
「……さっきから、なんで私を見てるの?」
ラフリは言葉に詰まる。
(……知ってる)
(全部)
でも。
言えない。
「いや……なんか」
「フィクションのキャラみたいで」
沈黙。
ユナが少し眉をひそめる。
ラフリは、息を吸う。
「……一つ、聞いてもいいか」
「……なに?」
ラフリは彼女を見る。
まっすぐに。
(俺は、お前を知ってる)
(でも――)
(お前は、俺を知らない)
その事実が、怖い。
「……君の名前」
声が震える。
「教えてくれないか」
ほんの少しの間。
「……お願いだ」
空気が変わる。
「……なんで、そんな言い方するの?」
答えられない。
「……いいから」
「教えてほしい」
沈黙。
「……ユナ」
「ユナ・アステリア」
その瞬間。
(……ああ)
視界が揺れる。
(ここにいる)
「……そうか」
声が震える。
「それだけ?」
ラフリは笑う。
弱く。
壊れかけた笑い。
「……いや」
「これから知っていけばいい」
ユナは小さく呟く。
「……変な人」
でも。
少しだけ柔らかい声だった。
ラフリは空を見る。
(今度こそ)
(絶対に)
(守る)
その時。
教室の後方。
ひとりの少女。
ローズ。
ラフリを見ている。
静かに。
(……違う)
彼女の目が細くなる。
(前と、違う)
小さく微笑む。
(でも――)
「面白いですね」
誰にも聞こえない声。
ここは、まだ壊れていない世界。
それでも、
違和感は確かに存在しています。
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