第五十話:普通以下の僕
放課後の教室。
さっきまで普通だった場所。
笑い声があった場所。
ノートを書く音があった場所。
でも今は。
悲鳴。
泣き声。
震える声。
机の倒れる音。
その中心に――
ラフリが立っていた。
「……あ」
声が漏れた。
小さく。
自分でも聞こえるかどうか分からないくらい。
床を見る。
ナカムラ。
倒れている。
動かない。
赤いものが広がっている。
ラフリはそれをぼんやり見ていた。
頭の中が真っ白だった。
「……なんで」
言葉が出る。
でも意味が分からない。
「……なんで」
もう一度。
目の前の光景。
ナカムラ。
倒れている机。
散らばったノート。
クラスメイトたち。
全員。
自分を見ている。
その目。
ラフリはその目を知っていた。
怖がる目。
距離を置く目。
拒絶する目。
ラフリはゆっくり首を振った。
「違う」
小さく呟く。
「違うんだ」
喉が乾く。
呼吸が浅い。
胸の奥が痛い。
「俺は……」
言葉が出ない。
代わりに。
ユナの顔が見えた。
少し離れた場所。
ユナが立っている。
顔が青い。
ラフリを見ている。
その目。
その目は――
恐怖だった。
ラフリの胸の奥で何かが崩れる。
音がした気がした。
ガラガラと。
崩れる音。
「……ユナ」
ラフリは小さく呼んだ。
ユナは動かない。
ただ。
ラフリを見ている。
その目は。
昔と同じじゃない。
ラフリは笑った。
小さく。
壊れた笑い。
「……はは」
声が震える。
「そうか」
「そうなるよな」
ラフリはゆっくり後ろへ下がる。
足が重い。
でも。
止まれない。
クラスメイトの声。
「ラフリ……」
「なにやってんだよ……」
「怖い……」
その言葉が耳に入る。
ラフリは目を閉じた。
胸の奥から声が出る。
「守っただけだろ」
小さく呟く。
「守っただけだろ……」
頭の中に残響。
守れ。
守れ。
守れ。
ラフリは震える。
「守ろうとしたんだ」
誰も聞いていない。
でも。
ラフリは続ける。
「守ろうとしただけなんだ」
拳を握る。
爪が手のひらに食い込む。
「なのに」
声が震える。
「なんで全部壊れるんだよ」
ラフリはゆっくり教室のドアを見る。
逃げる。
そんなつもりじゃなかった。
でも。
体が勝手に動く。
廊下。
足音。
誰かが叫ぶ。
「ラフリ!」
でも止まらない。
階段を上る。
屋上。
夕方の空。
赤い光。
ラフリはフェンスの前に立つ。
下を見る。
遠い。
静かだ。
風が吹く。
ラフリは小さく笑った。
「……俺さ」
誰に言うわけでもない。
「普通じゃないんだよな」
空を見る。
雲が流れている。
「いや」
ラフリは首を振る。
「普通以下だ」
その言葉が胸に落ちる。
普通以下。
守れない。
間違える。
壊す。
ラフリは目を閉じた。
頭の中にユナの声。
笑っている声。
怒っている声。
泣いている声。
そして。
さっきの声。
震える声。
「ラフリ……」
その声が一番痛かった。
ラフリは小さく呟く。
「ごめんな」
風が吹く。
「また失敗した」
沈黙。
そして。
ラフリは言った。
「でも」
目を開く。
「まだ終わりじゃない」
足を前に出す。
体が落ちる。
空が遠ざかる。
風が強くなる。
そして――
その時。
世界が止まった。
空が――
ひび割れる。
音がする。
ガラスが砕けるような音。
世界の空が割れていく。
白い空間。
無限の空間。
ページがめくれる音。
パラ……
パラ……
誰かが。
世界の本をめくっている。
そして。
あの声。
冷たい声。
遠い声。
『ループ第二段階』
『対価、回収開始』
その瞬間――
ラフリの喉が焼ける。
「がっ……!」
胸が裂ける。
無数の刃で刺されるような痛み。
体が震える。
「うああ……!」
視界が歪む。
世界が二つになる。
ユナが見える。
二人。
生きているユナ。
死んでいるユナ。
二つの姿。
重なる。
砕ける。
崩れる。
タク……チク……
タク……チク……
時間が逆再生される音。
教室。
廊下。
空。
すべてが巻き戻る。
その時。
ユナの声。
遠く。
優しい声。
『ラフリ……』
涙が出る。
『忘れないで……』
ラフリは叫ぶ。
「待ってろ!!」
体が引き裂かれる。
「絶対に!!」
世界が崩れる。
「今度こそ!!」
声が震える。
「お前を救う!!」
目が開く。
朝。
教室。
黒板。
学生たちの声。
椅子の音。
ペンの音。
ユナの声。
「ラフリ?」
ラフリはゆっくり顔を上げる。
ユナが目の前にいる。
生きている。
ラフリの手が震える。
小さく呟く。
「……二回目」
拳を握る。
「今度は」
静かに言う。
「絶対に間違えない」。
朝の教室。
学生たちの声。
ノートをめくる音。
椅子が動く音。
すべてが――
普通だった。
ラフリは席に座っていた。
目の前には。
ユナ。
生きている。
笑っている。
何も起きていない世界。
ラフリの手が震える。
小さく呟く。
「……戻った」
胸がまだ痛い。
喉が焼けるように熱い。
体の奥に残っている。
さっきの痛み。
ラフリは机を握る。
「今度こそ」
声は小さい。
でも。
確かだった。
「絶対に守る」
その時。
遠く。
誰にも見えない場所。
白い空間。
ページがまた一枚めくれる。
パラ……
その声が響く。
『ループ第二段階』
『観測継続』
『被験体:ラフリ』
『精神状態:崩壊寸前』
少し沈黙。
そして。
もう一つの声。
静かな声。
楽しそうな声。
「ふふ」
ミヤコだった。
彼女は空のヒビを見上げている。
「やっと始まったね」
遠く。
世界の奥。
暗い場所で。
セラが目を開く。
「悲しみが増えた」
静かに言う。
「いい傾向」
ミヤコは笑う。
「ラフリ」
小さく呟く。
「次の世界では」
「どこまで壊れるのかな」
そして。
物語は。
二つ目の世界へ進む。




