第四十八話:観測者
学院の門を初めてくぐった日のことを。
ローズはよく覚えている。
春。
まだ少し冷たい風。
学生たちは笑いながら校舎へ向かっていた。
その中で。
ローズは一人で立っていた。
そして。
一人の少年を見ていた。
ラフリ。
彼はその時。
ユナと話していた。
普通の会話。
普通の笑顔。
でも。
ローズはすぐに気づいた。
この少年は壊れる。
ほんの少し。
押すだけで。
ローズは窓際の席に座っていた。
教室を静かに見ている。
ミサキ。
ユイ。
ナツキ。
ナカムラ。
タカハシ。
二十九人のクラス。
誰も気づいていない。
でも。
ローズは知っている。
人間の関係は。
ほんの小さな言葉で変わる。
最初はただの観察だった。
ラフリがどこを見るのか。
ユナが誰と話すのか。
誰が嫉妬しやすいのか。
誰が噂を広げやすいのか。
誰が空気を読むのか。
すべて。
少しずつ理解していった。
そして。
一つのことに気づいた。
ラフリは守ろうとする。
守ろうとする人間は。
壊れやすい。
だからローズは何もしていない。
ただ。
ほんの少しだけ。
言葉を置いた。
「ラフリは優しいですね」
「ユナを心配してるだけですよ」
それだけ。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ。
人が考える材料を置く。
そうすると。
人間は自分で答えを作る。
「ラフリは過保護」
「ラフリは怖い」
「ラフリは不安定」
誰も。
ローズの名前を出さない。
その時。
教室の後ろでミサキが言った。
「最近ラフリちょっと怖いよね」
ユイが頷く。
「うん」
ナツキも言う。
「ユナ大丈夫かな」
ローズは本を閉じた。
そして小さく微笑む。
順調。
でも。
まだ足りない。
ローズの視線はラフリへ向く。
窓際の席。
ラフリは一人で座っている。
拳を握っている。
ユナは少し離れた場所で友達と話している。
距離。
沈黙。
誤解。
すべてが綺麗に重なっていく。
ローズは小さく呟く。
「もうすぐですね」
でも。
ローズはまだ何もしていない。
本当にまだ何もしていないのか。
それは誰にも分からない。
夕方。
教室はほとんど空になっていた。
ラフリは席に座っていた。
窓の外を見ている。
ユナの言葉が頭の中で繰り返されていた。
「ラフリのためだよ」
胸が重い。
呼吸が浅い。
その時。
廊下から声が聞こえた。
「ラフリ最近やばくない?」
誰かの声。
「ユナかわいそう」
別の声。
笑い声。
足音が遠ざかる。
ラフリは目を閉じた。
耳の奥で残響。
『……もうすぐ』
ラフリの手が震える。
そしてゆっくり立ち上がる。
教室の後ろ。
誰もいないはずの席。
そこに。
ローズが座っていた。
静かに。
ラフリを見ている。
ラフリは気づかない。
ローズは小さく呟く。
「次は」
「誰でしょうね」
窓の外。
空のヒビが。
また少しだけ広がっていた。
そして物語は――
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