第三十八話 : 見えない糸
昼。
学院はいつも通り賑やかだった。
笑い声。
会話。
廊下を歩く学生たち。
平和な日常。
でも。
ラフリの耳には――
時々。
違う音が混じっていた。
誰にも聞こえない。
小さな残響。
教室。
窓から柔らかい光が差し込んでいた。
授業は退屈だった。
教師の声。
黒板に書かれる文字。
学生たちは静かにノートを取っている。
ラフリは窓の外を見ていた。
空は青い。
雲がゆっくり流れている。
普通の空。
でも。
一瞬だけ。
見えた。
小さなヒビ。
ラフリは瞬きをする。
もう一度見る。
何もない。
「……またか」
小さく呟いた。
最近。
変なことが多い。
夢。
声。
ヒビ。
そして――
残響。
その時。
教師の声が響いた。
「ラフリ」
ラフリは顔を上げた。
教師がこちらを見ている。
「ちゃんと聞いているのか?」
ラフリは少し慌てた。
「……あ、はい」
教室から小さな笑い声。
ラフリは頬を掻いた。
その時。
耳の奥で。
また。
残響。
『……まだ……』
ラフリの呼吸が一瞬止まる。
今度は。
別の声だった。
少女の声。
『まだ早いよ』
ラフリは眉をひそめた。
「……誰だよ」
小さく呟く。
ユナが横から覗き込んだ。
「どうしたの?」
ラフリは首を振った。
「いや……なんでもない」
ユナは少し心配そうな顔をした。
「最近変だよ」
「ちゃんと寝てる?」
ラフリは苦笑した。
「まあ……たぶん」
ユナは小さくため息をついた。
その時。
ラフリの視界が揺れた。
ほんの一瞬。
教室の景色が変わる。
床。
血。
倒れている誰か。
そして――
ユナ。
ラフリは椅子から立ち上がりそうになった。
「……っ」
景色はすぐに戻る。
普通の教室。
学生たち。
教師の声。
でも。
ラフリの心臓は激しく打っていた。
「……なんなんだよ」
その時。
遠くから。
小さな笑い声。
少女の声だった。
『面白いね』
『本当に覚えてないんだ』
ラフリの目が揺れる。
その声は。
どこか楽しそうだった。
『でも大丈夫』
『まだ壊れてない』
『だから――』
『遊べる』
声は消えた。
ラフリは頭を押さえた。
その時。
窓の外。
屋上。
誰かが立っていた。
長い髪。
静かな瞳。
少女はラフリを見ていた。
夢の中のような存在。
彼女は小さく呟いた。
「……ラフリ」
その声は優しかった。
悲しいほどに。
『まだ思い出さなくていい』
『まだ……』
『あなたは弱いから』
少女の名前は――
ユメ。
しかし。
ラフリには見えない。
聞こえない。
彼はただ。
胸の奥の違和感だけを感じていた。
その頃。
学院の塔。
ローズは静かに椅子に座っていた。
机の上。
一枚の紙。
そこには。
学生の名前が書かれている。
その中の一つ。
「ユナ」
ローズは小さく笑った。
「三回目の世界」
「やっぱり同じですね」
指で紙をなぞる。
そして。
もう一つの名前。
「ラフリ」
ローズは目を細めた。
「でも」
「少しだけ違う」
窓の外。
空。
そこに。
小さなヒビ。
ローズは呟いた。
「残響」
「あなたはいつまで壊れずにいられるでしょう」
その瞬間。
背後から低い声。
『観察を続けろ』
ローズは静かに答えた。
「はい」
「ヤド先生」
夕方。
学院の校庭。
ラフリは一人で歩いていた。
授業は終わった。
空は赤く染まっている。
その時。
耳元で。
小さな声。
今度は。
はっきりと聞こえた。
少女の声。
『……助けて』
ラフリの足が止まる。
「……誰だ」
周りには誰もいない。
でも。
確かに聞こえた。
そして。
遠く。
誰かが静かに見ていた。
黒と桃色の髪。
左右で違う瞳。
少女は小さく笑う。
「まだ」
「思い出してないんだ」
「かわいそう」
でも。
その笑顔の奥には。
少しだけ悲しみがあった。
少女は空を見上げた。
「ねえ」
「ラフリ」
「今回の世界」
「どこまで壊れるかな?」
少女の名前は――
ミヤコ。
そして。
誰にも見えない場所で。
もう一つの存在が目を覚まそうとしていた。
それは。
世界のすべての感情から生まれた存在。
その名は――
セラ。
世界のヒビは。
静かに。
広がり続けていた。




