第129話:穏やかすぎる日常と、壊れる直前の約束
嵐の前は、いつだって静かだ。
風は止み、空は澄み、
まるで何も起きないかのように錯覚させる。
だから人は――
その静けさを“幸せ”だと勘違いしてしまう。
そして気づかない。
それが、最後の時間だということに。
朝。
空は、驚くほど晴れていた。
昨日までの曇りが嘘のように、
澄み渡る青。
教室。
窓から光が差し込む。
「おはよう」
ラフリの声。
「……おはよう」
ユナは、ほんの少しだけ柔らかく返す。
その声は、
ここ数日の中で一番穏やかだった。
(……今日)
胸の奥で、静かに思う。
(……大丈夫)
理由はない。
でも――
確信だけがある。
「ラフリ」
「ん?」
「今日、放課後……覚えてる?」
「ああ、寄りたい場所だろ?」
「……うん」
短いやり取り。
でもその中に、
“決定された未来”が含まれている。
授業。
時間はゆっくり進む。
ノートを取る音。
チョークの音。
ページをめくる音。
すべてが、
やけに鮮明に聞こえる。
(……これも)
(……最後)
そんな言葉が一瞬よぎる。
でもすぐに消す。
(……違う)
終わりじゃない。
(……始まり)
そう言い聞かせる。
休み時間。
「ラフリ〜!」
アオイが元気に来る。
「今日こそ逃がさないからね!」
「……何からだよ」
「勉強に決まってるでしょ!」
軽い笑い。
明るい空気。
ナカムラも加わる。
「今日はちゃんと順番守ろうな」
「えー!」
ミサキは少し離れた場所から見ている。
その視線は、
どこか鋭い。
(……何かある)
言葉にはしない。
でも感じている。
“違和感”
ユナの様子。
空気。
流れ。
(……でも)
確証はない。
だから――
動かない。
昼休み。
屋上。
風は穏やか。
空は青い。
「……いい天気だな」
ラフリが言う。
「……うん」
その隣に座る。
距離はいつも通り。
でも今日は、
ほんの少しだけ近い。
「ラフリ」
「ん?」
「今日の帰り」
「寄るんだろ?」
「……うん」
一瞬、間が空く。
「楽しみ?」
ラフリが軽く聞く。
「……うん」
その答えは、
嘘じゃない。
でも、
全部でもない。
(……楽しみ)
(……でも)
それ以上の何か。
言葉にできない感情。
午後。
授業。
時間が、
やけに早く進む。
気づけば、
最後のチャイム。
キーンコーンカーンコーン――
その音が、
妙に重く響く。
放課後。
「じゃあなー!」
アオイが手を振る。
「また明日」
ナカムラ。
ミサキは少しだけユナを見る。
一瞬。
ほんの一瞬。
「……気をつけて」
小さく言う。
「……うん」
ユナは微笑む。
いつも通り。
完璧に。
誰も疑わないように。
そして――
「行くか」
ラフリが言う。
「……うん」
二人で歩き出す。
夕焼け。
長い影。
その影が、
ゆっくりと重なる。
(……これでいい)
(……もう大丈夫)
心の中で、
何度も繰り返す。
「……ラフリ」
「ん?」
「これからもさ」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「ずっと一緒にいられたらいいね」
ラフリは少し考えて、
「……ああ」
そう答える。
その言葉。
“何も知らないままの肯定”
それを聞いた瞬間――
ユナは、静かに微笑んだ。
夕焼けの道。
二人の影が、伸びていく。
その先にあるものを、
誰も知らない。
ただ一人を除いて。
「……ラフリ」
小さく名前を呼ぶ。
その声は優しい。
愛しいものを見るような声。
そして――
「……大丈夫」
その一言には、
すべてが込められていた。
守るため。
失わないため。
離さないため。
すべては、
“そのため”に。
そして物語は――
次の瞬間、
決定的に壊れる。




