第128話:静寂の中で固まる決意と、壊れる直前の優しさ
狂気は、叫びながらやってくるわけじゃない。
多くの場合――
それは、とても静かに、
とても自然に、
まるで“正しいこと”のように形を持つ。
そして気づいたときには、もう戻れない。
朝。
空は、昨日よりも少しだけ晴れていた。
光が差し込む。
穏やかな朝。
教室。
いつもの席。
「おはよう」
ラフリの声。
「……おはよう」
ユナはいつも通りに返す。
表情も、声も、態度も。
何も変わっていない。
(……大丈夫)
心の中で呟く。
(……もう決めたから)
昨日の出来事。
あの瞬間。
“失いかけた現実”
それがすべてを変えた。
授業前。
「ラフリ」
「ん?」
「今日も、少し時間いい?」
「いいぞ」
即答。
迷いなし。
(……当然)
そう思ってしまう。
“断られる可能性”を、
もう考えていない。
休み時間。
「ラフリ〜!」
アオイが来る。
「ねえねえ、昨日の続き――」
「……悪い」
ラフリが先に言う。
「今、ユナとやってる」
「えー!?」
アオイが不満そうな声を出す。
「ちょっとくらいさ〜」
「後でな」
軽く流す。
アオイは少しだけ頬を膨らませるが、
「……分かったよ〜」
と引く。
そのやり取りを、
ユナは静かに見ていた。
(……そう)
もう、
“こうなる”。
自然に。
当たり前のように。
(……これでいい)
誰も邪魔しない。
誰も入れない。
昼休み。
屋上。
風は穏やか。
空は青い。
まるで、
何も問題がないかのような日常。
「ラフリ」
「ん?」
「これ、食べる?」
弁当を差し出す。
「……ありがとう」
受け取る。
いつも通り。
でも――
ユナの中では、何も“いつも通り”じゃない。
(……この距離)
(……この時間)
全部が、
“固定されたもの”として認識されている。
「……ラフリ」
「なんだ?」
「もしさ」
またその前置き。
「……どこにも行けなくなったら」
ラフリが少しだけ眉を寄せる。
「……どういう意味だ?」
「……例えば」
言葉を選ぶ。
「外に出られないとか」
「……困るな」
即答。
「……でも」
少し考える。
「誰かがいるなら、まあ何とかなるんじゃないか」
その答え。
ユナの心が、静かに揺れる。
(……誰か)
(……それが私なら?)
「……そっか」
小さく頷く。
それだけで、
十分だった。
午後。
授業。
静かな時間。
でもユナの中では、
すべてが“整理されていた”。
(……方法は)
いくつかある。
(……タイミングも)
問題ない。
(……場所も)
考えてある。
「……」
ノートに視線を落とす。
でも、
何も書いていない。
ただ、
考えている。
(……これが一番いい)
理由はある。
“守るため”
“失わないため”
“壊さないため”
全部、正しい。
全部、間違っていない。
放課後。
「帰るか」
「……うん」
並んで歩く。
夕焼け。
長い影。
その距離は、
もう完全に“固定”されている。
「……ラフリ」
「ん?」
「明日も、こうして帰れる?」
「……ああ」
即答。
迷いも、不安もない。
その言葉を聞いた瞬間。
ユナは、ほんの少しだけ微笑んだ。
(……明日も)
(……これからも)
“同じように”
そのためには――
夜。
静かな部屋。
ユナはベッドの上に座っていた。
スマホが手にある。
画面には――
ラフリの連絡先。
しばらく見つめる。
「……大丈夫」
小さく呟く。
「これは、間違ってない」
もう迷いはない。
(……守るだけ)
(……ずっと一緒にいるために)
指が、ゆっくりと動く。
メッセージを打つ。
『明日、少しだけ寄りたい場所があるの』
送信。
数秒後。
『いいぞ』
その一言。
(……簡単)
あまりにも。
「……ラフリ」
小さく名前を呼ぶ。
その声は優しい。
でも――
「……大丈夫」
“何もかも、これでうまくいく”
そう確信している声だった。
そして――
物語は、
静かに“崩壊の直前”へと進んでいく。




