潜入Ⅱ
身体を虚空へと投げ渡し、宙を翔ぶ。
橋梁の真上では、警備兵と技術要員との間で、虜囚の引き渡しが行われようとしている。
アサルトライフルを担いだ目出し帽とヘルメットの特殊部隊仕様の兵士たちが、防護服の夜魔が指差す磔台へと少女の拘束を移し替えようと轡を外し――
「……、……⁉」
その顔が、一斉にこちらへと向けられる。
浮かぶ表情は、困惑と狼狽。
一応の用心はしていたようだが、まさかこの場で襲撃があるとは予想外だったか。
しかし、ただ一人、警備兵に随行しながらも、夜魔の輪からは独り離れていた夜魔の男だけは違った。
奢侈な軍服を纏った長身の男は、至極冷静にこちらを見ていた。熱の籠らぬ眼差しで、泰然と。
視線がかち合い、遥斗は理解する。
(こいつは、あの時の――⁉)
男夜魔の皮膚を食い破り、触手型生命体が体表に出現。それらは複雑に互いを絡み合わせると、瞬く間に堅固な甲冑となって男の全身を包み込む。
「………」
紅の虹彩を兜に押し込め、夜魔騎兵が跳躍する。右腕には、瞬時に掌より生み出した逆三日月の大鎌。
遥斗は薄羽を伸縮させ、手元に引き戻す。
交錯。夜魔の恐るべき膂力で正中線を両断されるが、睫一本騒めくことはない。
前頭骨、人中、咽喉頭……。不気味な刃紋が、するりと体内を通過する。
痛みはない。魔術発動時の感覚もいつも通り。だが、違和感がある。
意識の底で、魂が不快に悶えるような――軋み。
(……これが、次元破断の断片の感覚……。確かに異質だ……)
同時に、危険だと本能が告げる。
刑部や柊が警戒する理由が、ようやく肌で実感できた。
(霊子波の感知能力を向上させるには経験しかない。まだまだ修行が足りないってことなんだろうな……)
しかし、自分よりも魔術師としての覚醒が遅かっただろう柊に、それが出来ると言うことは……。
「………」
大鎌を透過し、次いでその先にいる夜魔騎士へと遥斗は迫る。
騎士は予め決めていたかのように、身を捻って遥斗に進路を譲る。
迎撃というより、断片のレプリカが虚駆真影に通用するか試しただけなのだろう。
やはり強敵だな、と遥斗は薄羽を再び伸長させながら思う。あのまま軌道上に留まってくれていれば、あるいは……。
(いや、倒す倒さないは二の次だ。それよりも――)
橋梁へと着地した遥斗は、白銀の鞭と化した神威倶・薄羽を一閃。
混乱する技術員。
銃に手を伸ばそうとする警備兵。
筐体機材。
拘束台で藻掻く柊含めて、蛇腹にしなる刃で薙ぎ払う。
虚駆真影は装備品にも権能を賦与できる。魔術行使時のオンオフさえ明瞭に切り替えられれば、甲冑や防刃繊維を擦り抜けて実体だけを切断することもできるし、その逆もまた可能だ。
吹き荒れる血風。当惑の悲鳴。
腹部から臓物を零し、倒れた夜魔は七人あまり。
円陣に巻き込んだのは二十人ほどだが、薄羽の硬度と夜魔の骨格強度を計算し、刃が途中で止まらないよう骨の硬い体幹付近は透過させている。そのため致命傷を免れた者はかなりの数いるようだ。夜魔生来の頑健さもあるだろう。
遥斗は二撃目を振るうために手首を返す。
だが、それよりも、片腕や喉笛を掻き切られて尚、職務に忠実な警備兵たちが動き出す方が早かった。
「敵襲‼ 敵襲っ‼ 撃て――‼」
指揮官らしき警備兵の号令の下、彼の傍にいた二人の兵士がアサルトライフルを構え――
ずぶり。
唐突に、指揮官兵の身体が前のめりに傾ぐ。
「………ぐうっ⁉ ぐぐ……‼」
後背からの不意打ち。バランスを崩してよろめく指揮官兵の左耳孔には、細く鋭利に砥がれた金属針のようなものが生えていた。
ステンレス製のマイクロピペット。鼓膜を貫き三半規管にまで達した先端は、渾身の力を籠める急襲者によって更に奥深くへと穿たれる。
「た、隊長⁉」
踏鞴を踏んでも耐え切れず、力無く膝から崩れていく指揮官。襲撃者はその背から獣の如く飛び撥ねると、思わず振り返ってしまった二人の隊員へと肉薄する。
掌底。そして、追撃の飛び膝蹴り。二重の衝撃でまずは手近にいた警備兵の顎を揺さぶると、グローブから離れたアサルトライフルを奪取。瞬時に構え、隣にいた警備兵の頭を吹き飛ばす。
遥斗は感心する。
枷から解放されるや否や、即座にこの行動。事前に打ち合わせたわけでもないのに、動きに遅滞や逡巡は一切ない。
流石だ。なんて頼もしい先輩なんだろう。
「お久しぶりです、柊さん! 元気いっぱいみたいで何よりです!」
薄羽の刃鞭で夜魔を一掃しながら駆け寄る遥斗に、呻く指揮官に止めを刺す一方で、空いた手で転がるライフルを拾い上げた柊が顔をしかめて不機嫌そうに叫ぶ。
「そう見えるのなら目が腐っているんじゃないの⁉ って、それよりも‼ なんで貴方が此処にいるの⁉ とっくの昔にこの森から撤収しているはず! そうよね⁉」
二挺のライフルを脇に抱えて、さながら往年のアクションスターのようにフルオート射撃で出鱈目に弾丸をばら撒き出す柊。
その逞しい背中へと自身の背を預けて、遥斗は率直に思いを語る。
「ごめんなさい。刑部さんからは単独離脱するよう命令されていたんですけど、戻ってきちゃいました」
「ばっ……⁉ 何を考えてんのよ! 死んだらおしまいでしょ! 私がやったこと全部無駄になるのよ! わかってんの⁉」
その怒りはもっともだ。
自分の行いは、彼女の意思決断、覚悟を否定するに等しい。
だが、それでも――
「すみません」
自分の顔に何を見たのだろう。怒りながら首だけでこちらへと振り向いた柊が、むっと言葉に詰まる。
「勝手なことして……。怒られるだけじゃ済まないわよ」
「わかってます」
「……とう」
「え?」
「……なんでもない。それで、刑部たちも来ているの?」
「わかりません。刑部さんは妙蓮さんを連れて、七凶聖の不嶽鍊と共闘交渉をすると言っていましたが、成功したのかどうかも……。あ、不嶽というのは……」
「大丈夫。そのあたりの事情は把握しているから。兎に角、今は此処からの脱出を最優先に考えて……」
「それを我が許すと思うか?」
濡れた甲板に硝煙と苦悶が満ちる中、その声は静かに轟いた。
遥斗と柊は、咄嗟にそれぞれの眼前へと跳躍する。
次の瞬間、二人の立っていた場所そのものを陥没させる勢いで、人馬一体の巨躯が上空より落着した。
「再び遭い見えるとは思わなかった。凝りもせず、また敗れに来るとはな」
淡々と呟く夜魔騎士は二人の魔術師を睥睨し、手にする逆三日月の大鎌を振り翳す。
「貴様の魔術は虚空を切ると同義……。どうやらそれは、断片であっても等しいようだ……。が、しかし、使用には限度がある。長時間の連続使用、特に己以外の人間を透過させることは心身に多大な負担を強いると見た。更に、その娘は魔術を封じられている。貴様の手助けなければ逃げ落ちることも叶うまい」
騎士の言葉に、柊が遥斗を見遣って無言で頷いている。
ということは真実なのだろう。薄手の白衣に透ける首輪と腕輪。そのいずれかが魔術の発動を阻害している? 素肌に密着し過ぎていたため先程は切断できなかったが、直に手を触れて首輪と腕輪そのものに虚駆真影を発動すれば……。
(そのためにも、柊さんの傍にいかないと……‼)
夜魔騎士もそれは理解しているようだ。
体躯を完全にこちらへと向けて、意識の全幅を遥斗の一挙手一投足へと注いでいる。柊は無視する形だが、弾丸を浴びせられたところで高が知れていると見切っているのだろう。
「貴様は狼の巣に入り込んだ鼠に過ぎん。遅かれ早かれ、噛み殺されるだけだ。折角見逃してやったというのに、馬鹿な冒険をしたものだ」
挑発。精神的圧迫によって、こちらの焦燥を誘い、短慮性急の隙を突こうとしている?
(現時点における虚駆真影の性能限界についての言及……。柊さんの魔術支援があったところで脱出は困難と僕を迷わせるのが狙いか)
確かにそうかもしれない。
しかし、それがどうしたというのだろうか。
掴み取った可能性。最大限に生かす。そのために――
「通させてもらう。是が非でも!」
一途に、真っ直ぐに、遥斗は最大速力で駆け出す。布石も搦手もなく、愚直に柊目掛けて突き進む。
夜魔騎士は舌打ちのような仕草を見せると、兜のスリットから覗く紅の虹彩を爛と輝かせる。
(……精神念動波⁉)
虚駆真影は物理干渉なら完全に透過できるが、精神野に直接作用する浸食系攻撃に対しては相性が悪い。
魅惑、忘我、自死強要……。多重の暗示操作に霊殻が悲鳴を上げ、波及して霊絡系にダメージが浸透する。
がくっと脚から力が抜けるが、堪えて踏み出す。
柊との距離――その間に立つ騎士との距離を詰めることだけに意識を集中させる。
「………」
出足が鈍ったことを確認し、騎士の双眸が再び深紅に輝く。
「ハウザー‼」
叫んだのは、柊だった。
彼女はライフルの銃口を自身の顎の下に当て、躊躇わずに引き金を――




