ナイトメア・ハロウィンパーク
煌びやかなネオン。
モザイク調に敷き詰められた煉瓦の街路。
鼻孔を擽る、甘ったるいバニラとキャラメルの香り。
「………」
「………」
宙を疾走するコースターの滑車の轟音に混じる、若者たちの悲鳴と歓声。
優雅に踊るのは、メリーゴーランド。
フラッシュライトに包まれ堕ちるのは、フリーフォール。
アストロ・オービター。ゴースト・ハウス。本物の牡牛を使ったロデオもある。
『ようこそ、ようこそ! 皆様、ようこそ、いらっしゃいました! 今宵はナイトメア・ハロウィンパークへようこそ! 決して終わらぬハロウィンの宴を楽しみましょう! HAHAHAHA!』
ジャック・オ・ランターン型の街灯に据え付けられた拡声器から、くだけた英語がけたたましくもやかましく撒き散らされる。
思わず耳を塞いでしまいたくなるが、煉瓦並木を闊歩する通行人たちは誰一人として気にしていない。それぞれがそれぞれの表情で、思い思いに夜のテーマパークを楽しんでいる。
焼きたてのターキー・レッグを手慣れた動作で紙に包む、殺人肉屋に扮した屋台の店主。ペイントシールとマントで即席の吸血鬼となった子供たちを、風船片手に鬼の形相で追いかける母親。七色のスポットライトを浴びた時計塔を背景に口づけを交わす包帯男と魔女のカップル。
ビンゴにはしゃぐティーンエイジャーたちには機械合成音のファンファーレが鳴り響き、次いで盛大にラズベリーのシャワーがプレゼントされる。血塗れのプレゼント、というオチらしい。皆が一斉に笑う中、全身を真っ赤に染めた狼耳の女の子が顔まで赤くして怒っていたが、スタッフ腕章を付けたブギーマンから恭しく年間入園パスを贈呈されると、拍手喝采に満面の笑顔になって飛び跳ねていた。
「なんだ、此処は……?」
隣で立ち尽くす夜魔の呟きは、そのまま、柊の心の中の声でもあった。
(なによ、これ……?)
コミカルで、平和で、和気藹々とした熱気と喧噪。
テレビや雑誌の中にあった、いや、二年前のあの日までは、自分自身もその中の一人として無邪気に楽しんでいた非日常的日常が、そこにはあった。
(仮装している人が多くて人相はわかりづらいけど、会話は英語にスペイン語に、フランス語……? 看板の表記や屋台のメニューからしても、どうも極東じゃなくて海外の遊園地みたいね……。ショットガンの射的場とか見たことないし……。スイカがバカスカ破裂しているけど、あれ、流石に実弾じゃないわよね……?)
振り返れば、自分たちが乗って来たエレベーターの出入り口がなくなっている。
金属探知機を手にした警備員がにこやかに居並ぶ、自動開閉式の入場ゲートがあるだけだ。
夜の遊園地の真っ只中に転移したとしか思えない状況に、柊は困惑する。
霧郡ではどんな不可思議なことも平然と起きる。現世へと通じる次元穴がエレベータシャフト内に唐突に開く可能性だってゼロではない。だとしたら、現世に帰還することが出来たということ? ハウザーが虚脱している今こそが、脱出のための最大の好機……?
柊は、しっかりしろと頭を激しく横に振る。
(わかっている。次元穴を潜る時には特有の感覚があるし、夜魔の機密区画の最奥まで連行されておきながら、それはない。迂闊に動くな。意図を探れ。何を仕掛けて来るかわからな――)
「ハーイ、そちらのイカしたお二人さーん。ぼーっとしちゃってどうしたのー?」
突然、視界を埋め尽くしたピンクとブルーのアクリル繊維の塊に、柊はぎょっと踏鞴を踏む。
「なんだ、貴様は……?」
ハウザーとしても、どう対処して良いかわからなかったのだろう。
ずずいっと柊に迫るどぎついマーブルカラーの猫の着ぐるみに眦を深くしながらも、困惑気味に問いかけることしかできないようだ。
「おやおや。このボクをご存じないとは。さては君たち、モグリだね。ボクはこのパーク一番の人気猫。俊敏、斬新、いつでも脳味噌鮮度抜群のゾンビキャットのフレッシーさ。ライバル狐のボラッキーとは違ってエキノコックスには感染していないから安心して! あ、これ、ボクの鉄板ジョークね。どうぞよろしくー」
無理矢理手を掴まれ、握手される。
どうしよう。ハウザーを見上げると、彼もどうしようという顔をしていた。
「それにしても、君たち、仮装にしても珍しい恰好だねー。貴公子然とした軍服彼氏に、鎖に繋がれた花嫁風拘束ファッションの彼女……。あれかい。それは、そういうプレイでもあるのかい? だとしたら、ちょっと困るなー。パークの規約では公衆の面前でのいかがわしい行為は禁止されているんだ。あ、でも、安心して。パークには立派なホテルがあるから、今から予約してあげる。それとも、もうしている? じゃあ、ボクからのプレゼントで最高級のシャンパンを……」
「いいから、黙れ。こちらの質問に答えろ」
立て板に水とばかりに喋る猫の言葉を、げんなりとしたハウザーの溜息が遮る。
「此処は何だ?」
「何だって、ナイトメア・ハロウィンパークだよ。バイオレンスコメディとポップホラーが売りの、米国西海岸経済振興特区屈指の複合アミューズメント施設。君たちもそのつもりで遊びに来たんでしょ?」
「違う。技術総監は何処だ?」
「? 何のこと? そんなキャストはいないけど……」
と、そこで素っ頓狂な声が響き渡る。
「おい、ようやく見つけたぞ! フレッシー、よくもやってくれやがったな!」
今度は何だと声のした方角に首を向ければ、全身を生肉と電動カッターの刃でズタボロにした狐の着ぐるみが、怒り心頭といった様子でこちらへと指を突き付けている。
「あ、ボラッキーだ。あのクソ狐、ミンチマシーンに放り込んでお仕置きしたばかりなのに、まだ懲りてなかったのか」
「おい、フレッシー。今度こそおまえとの因縁に決着をつけてやる! ロシアンルーレットで勝負だ! 弾倉は満タン。今度は空薬莢も入ってないし、リボルバーの撃鉄も新品に交換した! 勿論、最初はおまえからだ! 逃げるなよ!」
「やれやれ。何度頭を吹き飛ばせば済むのやら。どうせならどてっ腹をぶちぬいて、寄生虫でも摘出すればいいのに」
心底面倒臭そうに呟く水玉猫へと、拳銃片手に駆け寄る襤褸狐。
「へへへ、余裕綽々なのもここまでだ。これでパークのダークヒーローの座は俺様のもの。覚悟しろ……っと……とっとっ⁉」
どたどたと走る狐の着ぐるみが、自分の脚に躓いてバランスを崩す。
そして、見事なまでに転倒した。顔面から。
ころん、と着ぐるみからデフォルメされたコミカルな狐の頭が取れて、そのまま側溝脇のゴミ箱へと転がっていく。
「たたっ! 転んじゃった……って、わあああ……⁉」
「あーあー、なにやってんですか」
フレッシーの素の声に、ボラッキ―の中身がしょぼくれたように唇を尖らせる。
「だって、これ、思った以上に走りづらいんだもん。しかも重いしー暑いしー」
「着ぐるみというのはそういうものですよ。ほら、さあ、立って」
「ううー。ダメ。無理。助けて―」
「まったく、夜魔の癖に非力なんですから……。はい、どうぞ」
猫の手を借りて、狐はどうにかこうにか立ち上がり――
「うげっ!」
寸前に、またこける。
「もう! 今、手、放したでしょ⁉ なんでそういうことするの⁉」
「滑るんですよ。ぬるぬると。それ、本物の生肉ですよね? どうしてイミテーションにしなかったんですか?」
「だって、こっちの方が用意し易かったし、貴方が生肉まみれになって困るのも面白いと思って……ってか、本当なら私がフレッシーやる予定だったのよ。ねえ、なんで私が主役じゃないのー?」
「一応、私も表現者の端くれですからね。無様なショーはお見せできません。どうです? 貴方にこのコミカルな動きができますか? ほら。ほら。ジャグリングだってお手の物ですよ」
「うわー。もこもこ手袋の苦労を知った今だからこそ、そのハンドリングの凄さがわかるわー。って、そっちは着ぐるみじゃないでしょ! 騙された! インチキ!」
「……貴方、自分で言った台詞、覚えています? 付き合わされる身にもなって欲しいのは私の方ですよ。本格的にやりたいからって急遽着ぐるみまで用意して。台本まで……」
「参考資料に本家の映像を見ていたら、どうしても再現してみたくなっちゃったの⁉ 悪い⁉ ごめんね⁉ でも、一緒にやってくれてありがとうね⁉ またやろうね⁉」
「……はいはい。それで、どうします? 今回はこの辺で御開きにしておきますか?」
「んー、そうね、そうしましょう。ホストとしてゲストを歓迎するって目標は達成できたわけだしね」
女夜魔の満足そうな頷きに、猫の着ぐるみが流麗な動作でぱちりと指を鳴らす。
すると、視界がぐにゃりと飴細工のように歪み、通行人、遊具問わず、見渡す限りの全てが、黒く蟠る靄へと変わる。
「それじゃあ、ルーデンドルフ、お茶を飲むのに最適な風景に変えてくれる? そうね、イングリッシュガーデンとかどうかしら? いつものやつ」
「わかりました。では……」
えっちらおっちらと狐の着ぐるみを脱ぎ始めた女夜魔の要望に応え、猫の着ぐるみが再度指を鳴らす。
変化は、瞬時に現れた。
蠢く黒靄による、膨張収縮、攪拌伸張の連鎖。
漂う澱みは大輪の薔薇を足元に描き、鮮烈な濃淡は月光優婉な広葉樹の庭園を地平の彼方へと描き出す。
(幻影魔術……)
それも、恐ろしく緻密で高度。
空間の奥行。空気の流れ。温度に湿度。各種音声の調律に、百を優に超す人間の気配まで再現可能……。更には、実際に触れたとしてもそうと悟られぬよう触覚まで。
柊は、掌に残る人工繊維の感覚に戦慄を抱く。
黒靄として消え去った猫の着ぐるみに代わってそこに立つ等身大の人型に、頭部と呼べるものはなかった。
女夜魔の狐の着ぐるみのような意味ではない。本当に、何もない。
一部の隙もなく整えられた舞台礼服に、フロックコートとアルバートチェーン。白手袋に包まれた長い指先で優雅に一礼する幻影術師の首から上は存在しない。
首無し騎士に準えて、首無し紳士。いや、甲斐甲斐しく女夜魔の着替えを手伝い始めたところを見ると、首無し執事とでも言う方が正しいのかもしれない。
「ねえ、なんとかなりそう? 鋏とかいる?」
「ちょっと待って下さいね。髪が絡まって……はい。ジッパーが降り切りました」
「はあ、やっと脱げるよ。よっこらしょっと」
さながら蛹から羽化する蝶のように、狐の着ぐるみから抜け出した夜魔は艶やかだった。
豪奢に波打つ金糸の髪。白く透ける肌。
野暮ったい白衣の襟に隠されて尚豊満な胸元に、タイトなスカートから伸びる脚線美。
タブロイド紙のモデルなどでは到底太刀打ちできない天性の魅惑に、同性である柊でさえストッキングが伝線しまくっているのも忘れて見惚れてしまう。
「じゃじゃーん。見事、着ぐるみから脱出に代成功―。改めまして、ようこそ我が技術部へ。そして、初めまして。えーと、君が試作体SG0900211……ん? 個体名はなんだったっけ? ちょっと待ってね。ここまで出かけているから……っと、思い出した。ハウラーだ。ようこそハウラー君、よく来たね」
絶世の長身美女が、深紅の虹彩に微笑を湛えて朗らかに笑う。
「……ハウザーだ」
訝しむような目つきの夜魔騎士に、女夜魔はどこまでも気安い。
「え、あれ、そうだったっけ。ま、どうでもいいじゃない。名前なんて。君とそれ以外を区別できるなら標記の正確さはそれほど重要じゃない。そしてー、もう一人のスペシャルゲスト! えーと、こっちも個体名はなんだっけかな? あー、度忘れした。じゃあ、本人から直接教えてもらお」
かちりと錠前が外れるような音がして、口に嵌められていた猿轡が床に落ちる。手枷もだ。
あれだけ奮闘してもびくともしなかったのに、こんな簡単に……。
「火津摩……、柊よ……」
掠れた声で睨む柊へと、女夜魔はフレンドリーに微笑みかける。
「あー、そうだった、そうだった。完全に思い出した。ありがとね、柊ちゃん。んでもって、何を隠そう、私が栄えある夜魔王陛下の技術総監。一応ラピアスって個体名もあるけど、ま、好きに呼んじゃってくれて構わないよ。呼びにくかったらラピでもピアでも適当に省略してね。あ、でもラピラピだけはNGだから。マジでそれだけはやめて。オッケー?」」




