ファーストミーティング
早蕨の塔に関する取り調べを終えた柊は、それから暫くの間、アジトで軟禁状態になっていた。
目撃者は一人きり。現場は完全消失している。いくらでも虚偽の報告が吐ける状況だ。尋問を補佐した兎塚にしても元々は外部の人間であるため、今一つ信頼性に欠ける。
そうした事情から尋問官は、上司に沙汰を仰いだ。断片を秘匿している可能性も考慮し、より苛烈な尋問を行うべきか否かも含めて、騏堂成叡に判断を委ねたのだ。
返答が来たのは、それから一週間余りが過ぎた頃。
暗澹たる想いを抱くのにも飽きてきた柊の前に現れた男は、自身を刑部宵親と名乗って騏堂の決定を告げた。
『処分は不問ではなく一時保留。不審にはそれを上回る忠誠と献身で応えるように、とのことだ。つまりは、サッカーで言うところのイエローカード。猶予は与えるが、怪しい動きをすれば次はないってわけだな。とりあえず、今回はセーフだ。おめでとさん』
にかっと笑う刑部の敵意のない笑顔に、ほっとしたのを覚えている。
どうにか生き延びた。そう安堵したのも束の間だった。
『で、だ。それを踏まえた上で、おまえさんにはやってもらいたいことがある。残念だが、拒否権はないからそのつもりでよく聞いてくれ。少し長い話になるからな』
刑部が語ったのは、騏堂成叡の命令によって霧郡へと赴いた複数の断片探索部隊、その一つの動向について。
次元破断発生後、各派閥が暗躍する中で、六紡閣総代である騏堂成叡も例に漏れず、近習衆を中心として霧郡各地に断片捜索隊を派遣していた。
捜索にあたり、騏堂は捜索部隊に断片の位置座標とされる情報を伝えており、その部隊もいくつかの天然の要害を踏破して、座標点を目指した。
『そうして連中は巨大な樹海に行き当たった。ジュラ紀だかデボン紀だかの古生代太古の樹々が延々と生い茂る広大な森だそうで、原始樹海と俺たちは呼んでいる』
騏堂が指示する座標点はその原始樹海の更に奥深くにあったため、捜索隊は樹海の攻略を開始。
未知の森へと侵入し、そして間もなく消息を絶った。
定期連絡が途絶えたのと同時に、柊たちと同様の追跡部隊が組織。現地へと派遣された。
追跡部隊の報告から、樹海が想像以上に深淵であること、電子機器を介した通信機の類は一切使えないことなどが判明したが、依然として捜索隊の行方は掴めない。
『そうこうしているうちに、今度は追跡部隊との連絡が途絶した。ただ今回は幸運なことに、命からがら樹海から帰還を果たした生存者がいたそうだ。そして、そいつのおかげで、ようやく失踪の原因がわかったのさ』
樹海には化け物がひしめいている。
黒い暗褐色の外骨殻を纏った、二足歩行の魔生物。
紅玉色の瞳をぎらつかせる彼らは無類の強靭さを有し、驚異的な身体能力と回復能力、それ以上に巧みに訓練された戦術で魔術師を圧倒したそうだ。
そして、何より――
『気色の悪い触手型生命体を体内に飼って自在に操るという特殊技能。これに該当する種は一つしかない。
夜魔。常闇の貴族とも謳われる生粋の怪物さ。
夜魔に樹海が支配されていることを知った騏堂の旦那は、第三次捜索隊を結成。そして、その栄えある隊長に命じられたのが、何を隠そう、この俺というわけだ』
嫌な予感に露骨に表情を曇らせる柊を見遣って、刑部は楽しそうに笑って言った。
『さて、ここまで話せばもうわかったな? メンバーの大半とは現地で合流する予定になっている。遅れると何言われるかわかったものじゃないからな。早速出発しよう。短い付き合いになるかもだが、これからよろしくな、火津摩柊ちゃん』
「………」
思い返せば悪態も吐きたくなるが、どの道、他に選択肢はなかったのだから仕方ない。
便利に使われている節があるとは思うが、世俗魔術師の扱いなどこんなものだろう。
(動く石像の次は、欧州に君臨した真夜中の怪物が相手か……)
夜魔という魔生物について、柊はほとんど知るところがない。
道すがら、刑部から簡単にレクチャーしてもらいはしたが、そもそも魔術世界の基礎知識がない柊には、いまいちピンとこないところも多かった。
有史以前から欧州を中心に活動し、完全なる人間の上位種を謳って一大勢力圏を構築。しかし、太陽から放たれる霊性放射波に極めて脆いという種族特性から歴史の表舞台に出ることはついぞなく、影のフィクサーとしていくつもの内乱紛争に関与。数多の権力者を籠絡して手駒とし、最盛期は大英王室を完全に掌握するほどだったとか。根拠地であったアイルランドとウェールズには、今も夜魔の支配を示す遺構があると言う。
緻密で統制のとれた軍集団を率い、聖鍊教会による欧州異端排斥運動、その象徴たる退魔十字軍を幾度となく退けたとされる血塗れの幽鬼たち。
だが、そんな彼らは今、全身を粉々に吹き飛ばされて、惨めな残骸を晒すばかりとなっている。
肌をひりつかせる、高熱と猛火の残り滓。
爆撃機による執拗な投下攻撃があったとしか思えないほどの、荒廃散乱とした窪地にあって、いくつもの白い煙が天に向かって伸びている。
手足が捥がれ、胴体ばかりとなって燃える無数の死骸。凄惨さが欠けているのは、血臭もなければ血痕もなく、零れる臓腑もないためか。
瞬く間に灰に還元されてゆく死体の輪の中で、四人の男女が近づくこちらを胡乱げに見詰めている。
「遅いぞ、いつまでかかっておる」
しわがれた声の老人が怒鳴る。
曲がった腰に、染みと皺だらけの細い腕。
相当な高齢なのだろう。ローブ状の頭巾の奥から覗く右目は白濁し、黒ずんだ乱杭歯を備えた歯茎は瘦せて髑髏のようだ。
老人は口角飛ばして、刑部に喚き散らす。
「貴様らはいつもそうだ。敬うことを知らん。配慮が足らん。なにが近習衆だ。騏堂の最側近だからと図に乗りおって。儂にとって時がどれほど貴重かわからんのか。一刻一秒、瞬き一つでさえ惜しいというのに、詫びもせず堂々と……」
刑部はやれやれと肩を竦める。
「いや、でも、別に遅刻はしてはいないしなぁ。俺が思うに、あんだがせっかち過ぎるだけなんじゃないか? いい年なんだから、まあ、落ち着けって。ただでさえ老い先短いのに、高血圧で更に短くしてどうするよ」
「……⁉ き、貴様ぁ……!」
火に油を注いでどうすると思わないでもなかったが、成程な、と柊は納得する。
激高に見開かれた老人の左目に淀むのは、どろりとした暗い妄念と強烈な精気。
赫船慈榮。刑部の説明通り、一筋縄ではいかない魔術師のようだ。
「老公、そんなに興奮なさっては」
ぶるぶると震え出す老人を、二人の若い男女が宥める。
赫船の同行者の名前は聞いている。
若い男が鶴来則行。女の方が妙蓮巴。
そうすると、一同から少し離れたところで佇む白髪の壮年男性が疋嶋犀仁ということになるのだろう。
心配そうな二人をうるさいと振り払う老人の視線が柊に向けられる。
不躾な一瞥。少しびくりとなるが、悠然と見つめ返す。ここで気圧されるわけにはいかない。
ふてぶてしさを装った柊の対応に、老人はつまらなそうにふんと鼻を鳴らして刑部へと向き直る。
「騏堂の考えることはわからん。なぜ儂が貴様ごときの露払いをせねばならんのだ」
彼らは六紡閣の魔術師ではあるが、騏堂成叡に忠誠を誓っているわけではない。
彼らが仕えるのは、三条橋家。六紡閣評議職の一柱を担う名門であり、騏堂とは同格の地位にある。一応序列としては総代の騏堂が上となるが、総代というのは対外的な代表に過ぎないというのが六紡閣共通の見解だ。
ゆえに騏堂の権威や権勢も通用しがたいところがある。それが、かつて六紡閣最高峰と称えられた魔術師が相手とあっては猶更だろう。
「さあねえ、それは旦那が決めたことだ。文句があるなら旦那に直接言ってくれ。俺は俺で粛々と任務をこなすだけさ」
「若造が。偉そうにいっぱしの口を聞きおって」
赫船がぐぐっと亀のように首を迫り出して、刑部を睨む。
「儂に指揮権を寄越せ。実績にせよ家格にせよ、それが筋というものだろう?」
飄々としていた刑部の顔から、苦笑が消える。
「赫船の爺さんよ。それは明確な命令違反。背反行為だ。許されることじゃない」
だが、老人はかかっと不敵に笑う。
「貴様が高転びするのを未然に防いでやろうというのだ。感謝されこそ誹られる覚えは毛頭ないぞ。どうせ儂が尻拭いせねばならんのだからな。早いか遅いかの違いよ」
刑部は溜息を吐くと、柊に目配せをする。
どうやら、もう出番のようだ。わかっていると頷き返し、柊は息を整える。あとは見破られないことを祈るだけだ。
「……どうやら老人性痴呆症が一段と進行しているみたいだな。赫船の爺さんも寄る年波には勝てないようだから、懇切丁寧に教えてやる。
今回の作戦は二部隊構成。斥候と本隊に分けて、あんたと俺でそれぞれを仕切る。斥候隊の指揮は任せるが、全体を統括するのは俺。前進も後退も待機も撤収も、全部俺が判断して指示を出す。あんたらは黙ってそれに従って、本隊のための侵攻ルートを確保、作戦行動を妨害してくる敵勢力を逐次迎撃、殲滅しろ。不服なら、命令背反の罪で有無を言わさず処分する。いいか、俺が上で、あんたが下だ。くれぐれも置かれている立場を理解するんだな」
穏やかではあるが否とは言わせない強い意志を感じさせる言葉に、しかし、それでも赫船はおどけて笑う。
「儂は騏堂の盟友よ。奴が首を垂れて請うたからこそ、こうして参集に応じたまで。駒でしかない貴様とは違うのだ。かかかっ、貴様こそ立場を理解せい。虎の威を借りるしか能のない刑部の小倅が偉そうに能書きを垂れおって。儂らの火種がなければ貴様など木偶の坊でしかなかろうに」
随分と嘗められているようだが、刑部にひるんだ様子は見られない。
当然だろう。こうなることを彼は既に予見していたのだから。
「あんたらの火種はいらない。俺には彼女がいるからな」
刑部から恭しく招かれて、柊は少し恥ずかしくなる。
身なりを整えて無精髭さえ剃れば相当に二枚目なのだから、あんまり真っ直ぐな眼でこちらを見ない欲しい。それとも、ホスト然とした振る舞いでコミカルさを演出し、こちらの緊張を解こうとしている? だとしたら本当に策士だが、単に女泣かせなだけかもしれない。……用心しよう。
「なんじゃ、その小娘は? 初めて見る顔のようじゃが、どこの馬の骨を連れて来た?」
訝し気な目線を送るのは老人だけではない。鶴来や妙蓮、疋嶋からもだ。
機密保持の観点から、本隊の陣容は赫船たちには伝えられていない。それゆえの値踏みだろう。
「今回のためのとっておきのスペシャルゲストさ。彼女は柊。火津摩柊だ。炎術士であればこの姓を知らないはずはないよな?」
柊は黙って四人の前に立つ。リハーサル通り、声は出さず、魔力も抑える。それでいて堂々と肩で風を切るように。
反応は、思っていた以上に劇的だった。
「火津摩じゃと⁉ まさか……⁉」
老人の顔色が如実に変わる。老人の脇に控える三人も声を上げこそしないが、息を呑んで目を見開いている。
「さらに彼女は騏堂の旦那の秘蔵っ子だ。懐刀と言ってもいい。それを俺に貸し出したってことはわかるよな? あんたと俺、どちらが重用されているのか。どっちが任務達成に最適だと判断されているのか。駒でしかないのは果たしてどちらなのか……」
騏堂からの最高信任。その証明である柊を見せつけられて、衝撃から立ち直れていない赫船は狼狽する。
「ふ、ふざけるな。儂は聞いておらん。聞いておらんぞ、そんなこと。騏堂が、騏堂が儂を軽んじるはずがない。蝙蝠め、儂をたばかるつもりか!」
地団駄踏んで怒る老人に対し、刑部は至って平静に言ってのける。
「血気盛んなのは構わないが、赫船の爺さん、やっぱりあんた耄碌したぜ。ほれ、背後、取られているぞ?」
「⁉」
全く気付かなかった。老人の背後に忽然と一つの影が差している。
赫船の喉元へと伸びた腕。その先端には、皺だらけの喉笛をいつでも掻き切れる鋭い刃が鈍く光っている。
「よう、遅れて到着ご苦労さん。それにしても、いきなり抜き身で登場とは穏やかじゃないな」
気さくに話しかける刑部に、暗がりに身を窶した暗殺者は事も無げに語る。
「すいません。独断で行動しました。ですが、指揮官である刑部さんに対し、あまりにも反抗的な態度。作戦活動を円滑に保つためにも、このまま放置するわけにはいかないかと」
どうしますか、と言外に告げる声に、刑部は笑って、やめとけ、やめとけ、と手を横に振る。
「内ゲバは敵を利するだけだ。それに、いつまでも駄弁って襲ってくれとアピールするのも馬鹿らしい。というわけで、さっさと移動するぞ。伏見もこっちに来い。でないと、ビビった爺さんがいつまで経っても動けないだろ?」
「はい。わかりました」
影の中にすっと刃が消えると同時、一人の青年が姿を見せる。
二十歳くらいの若い男。月光を浴びる下睫は長く、繊細な顔立ちと憂いを帯びた目元には得も言われぬ儚さがある。
匕首を鞘に納めると、ぎりぎりと口惜しさに歯ぎしりする老人を一顧だにせず、青年は刑部の下へと歩み出す。
(壊れやすい硝子のよう……)
なぜそう思ったのかはわからない。
だが、それが彼に感じた第一印象。
「………」
「………」
彼と目が合う。見つめ合う。
それが火津摩柊と伏見遥斗、二人の魔術師の初めての出会いだった。




