現在と過去とⅡ
『あー、それ、私ですよー。私が柊さんに教えたんですー。せっかく生きて帰って来たのに、何がどうだったのかわからないままなのもスッキリしないだろうと思いまして。これこれこういうわけだったんですよーって色々説明して差し上げましたー』
何食わぬ顔で尋問に同席していた兎塚が、にやにやと頬杖つきながら尋問官に笑いかける。
『貴方が……?』
『はーい。そうですよー。私ってば何でもバッチリお見通しですのでー。なので、あの塔に阿万鵺奏弦が潜んでいたこと、彼が四饗公家総代を暗殺したテロリストの一味であることなんかも、結構前から知ってたりしたんですよねー』
思いもかけない告白に、尋問官は鼻白む。
『どうやって……? 情報源は……』
『おーっと、情報屋にそれを聞くのは野暮ってものですよ。当然、秘密の秘密、秘密の魔法少女キューティーバニーちゃんです、いえーい♪ 使っているコスメの種類から、海外にある脱税口座の名義まで、魅力的な女の子には謎がつきもの。それを根掘り葉掘り暴こうなんて空気が読めないにも程がありますが、まあ、それで納得はしてくれませんよね。ですので、特別ですよー。今回限りの出血大サービスで、私の秘密を一つだけ披露してあげましょう』
よっこいしょっと言う掛け声と共に兎塚は机の上に乗って立ち上がると、呆気にとられる尋問官と柊の前で堂々と宣言する。
『それは、私が柊さんを愛しているということです。好きです。大好きです。網膜から二度と離れられないくらいの一目惚れです。だから柊さんが悪しき石像フェチの毒牙にかかってしまうことがどうしても許せず、私は騏堂様へと嘆願に出向いたのです。柊さんを援けてあげてくれませんか、と。まあ、結局は要らぬお世話だったようなのですが、その際、騏堂様は私の熱量と情報の貴重性に感銘を受けて、私を傘下にお招きになりました。しかも柊さんを愛玩動物のように自由に可愛がれるという特別待遇付きで。これはもう承諾するしかありませんよねー。
で、どうです? これで柊さんが私に贔屓されている理由がわかりましたかー?』
『………』
胡散臭そうに兎塚を見詰める尋問官。
助け舟を出されたにも関わらず、その気持ちは柊にも良く理解った。
どこまでが真実で虚構なのか。このサメ歯ゴスロリ女は、本当に何を考えているのかわからない。
神経質そうに眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、尋問官が再度口を開く。
『……現状、早蕨の塔に収められていたされる次元破断の断片――無尽胎蔵の手がかりを持つのは、唯一の生き証人である火津摩さんだけです。塔消失を持って断片は消滅したと騏堂様は判断されたようですが、それだけでこの一件を終結させるわけにはいきません。疑わしきは黒と見做して対処する。獅子身中の虫を潰すのであれば早いに越したことはない……。下賤な一介の情報屋から騏堂様の傍付きへと成り上がった貴方であればお分かりですね?』
身の程を弁えろと静かに脅す尋問官に対して、兎塚は満面の笑顔で応じる。
『ええ、勿論ですー。だから、こうして柊さんには真実を話すよう、ずっと心臓に指を這わせていたんですから。それこそ心臓に手を当てていれば、微かな心拍数の乱れすらも誤魔化せません。その上で、もしも嘘を吐いていることがわかったなら即座にこうしてあげるつもりでしたー。えいっ』
どくんと胸の奥で心臓が跳ねる。
『あ、がっ……!』
呼吸が、できない。心臓、左心房あたりがびくびくと痙攣して、背筋をぞっとさせるような麻痺が瞬く間に広がっていく。
首に刻まれた印呪が淡く光っている。
自慢げに宙へと差し向けられた、兎塚の右掌の紋様も同様に。
『あははは、どうです? 私の愛撫もなかかなでしょう? んー、霊体の腕だといまいち感覚が掴めませんねー? おっと、これが冠状動脈? へー、意外と固いんですねー。ん? こっちのプルプルしているのは何でしょう?』
机に突っ伏し、がくがくと震えながら顔面を蒼白にさせていく柊に、尋問官はふうと溜息を吐く。
『わかりました。彼女にはまだ他にも聞きたいことがあります。そのくらいにしてもらえませんか? 失神されても困るので』
『はーい。質疑応答の中で自白させたことができたらいつでも言ってくださいねー。遠慮なく啼かせちゃいますからー』
どんと胸を叩いて請け負ったものの、その後、兎塚が霊体腕で心臓を握ることはなかった。幣浄院あるいは四饗公家の魔術師を塔の内部で見かけたかという、絶対に嘘でしか逃れられない質問にさえ。
兎塚のフォローがなければ、尋問を無事に乗り切ることはできなかっただろう。
しかし、なぜ助けてくれたのだろうか。
(純粋な好意が理由じゃないでしょう。貸しをつくるため? 莫大な負債を課して、私を完全に支配下に置くつもり?)
何のために?
それをして、どんなメリットがあるのだろう?
わからない。
(こいつの、私への執着は何なのだろう?)
この任務にしてもそうだ。本来案内役は不要なところを、強引に付いてきた節がある。
霧郡の常在暗夜から降り注ぐ、寒々しくも煌びやかな星明り。
切り立った瀑布のごとき断崖の突端に立ち、兎塚は二人を見渡して言った。
「はーい。皆さん。お疲れ様でしたー。ここが目的地の原始樹海。通称、夜魔の森ですよー」
見下ろし睥睨しても、尚、裾野を一望すること叶わない。
地平線を飲み込んで、どこまでも広がる濃緑の稜線。クヌギ、ナラ、ヒノキなどの巨木に混じり、見慣れぬシダ科の植物も太い幹を蓄えて梢を揺らしている。
鬱蒼として雄大。根源的な威圧感に、ともすれば肉食恐竜の嘶きすら聞こえてきそうでもあるが、実際、その通りだ。
此処には危険な生物が犇めいている。太古の蜥蜴以上の化け物たちが大量に。
「じゃあ、刑部さん。くれぐれも柊さんに無理させないでくださいね。五体満足、ついでに今以上に美しい姿で私のもとに返してください。いいですか? この綺麗で柔らかいほっぺに傷でもつけようものなら、それはもう烈火のごとく怒りますからねー」
「まあ、善処するよ。俺も騏堂の旦那の不興は買いたくないからな」
不躾に抱き着くなり、頬擦りをしてくる兎塚を、柊は冷めた眼で見詰める。
その視線に気づいたのか、兎塚はギザギザの鋸歯でにっこりと笑って言った。
「じゃあ、柊さん、名残り惜しいですが暫しのお別れです。私がいなくて寂しいとは思いますが、頑張ってお仕事こなしてきてくださいねー。んー。ぎゅー」
思いっきり抱き締められると、女の細腕とはいえ、やはり苦しい。
縫いぐるみじゃないんだから、と柊は振り解こうとして、不意に耳元に囁かれたその声にはっとする。
「どうしても駄目だと思ったら、何もかも放り出して逃げてくださいね。私が絶対に助けてあげますから」
兎塚がこちらを見ていた。一途に、一心に、ぶれることのない瞳で、真っ直ぐに。
「あっ……」
何か言いかけて、言葉に詰まる。
そんな柊を見て、兎塚は少し困ったように微笑み、
ちゅー
「ぎゃああ!」
「あははは、隙ありですよー。いえーい。柊さんのファーストキスは私がいただきましたー♡ 一番乗りは、私、兎塚禁李選手であります。堂々の優勝、表彰台のてっぺんです。いやー、どうでしたか、初めての甘酸っぱい経験は? ちゃんとレモンの味とかしましたかー?」
「うるさい! もう、馬鹿じゃないの!」
合成皮革製の野戦服の袖でごしごしと口元を擦る柊に、兎塚はいつものように人を小馬鹿にしたような軽妙な仕草で身を翻すと、
「それじゃあ、いってらっしゃーい。一刻も早いご帰還を待ってまーす♪」
ぶんぶんと手を振りながら、斜面を駆け下って姿を消した。
残された二人は、なんとなく気まずくなって黙り込む。
「………」
「………」
「……何よ?」
「いや、仲良いなーって思っただけだ。大丈夫。気にするな。誰にも言うつもりはない……と思う。もしかしたら酒の肴になるかもだが。で、マジで初めて?」
「……殴るわよ」
「すまん。悪かった。冗談のつもりだった。反省している。ほら、この通り」
上役に降参とばかりに両手を挙げて謝られては返す言葉もない。
というか、こんな浮ついた男で大丈夫なのだろうか。久慈原とは別の意味で心配だ。
「しかし、おかしな女だな。あいつは」
ぽつりと呟く男の声に、柊は肩を竦めて同意する。
「初対面の時からあんな感じよ。妙にハイテンションで、やたらと私に付きまとって。本人は一目惚れとか言っていたけど、そんなの絶対に嘘だし。早蕨の塔にしても私の内情についても、なぜだかひどく詳しくて不気味だわ。本当、何を考えているのか……」
騏堂成叡への復讐心。
奴に殺された妹の仇を討つ。
そのために、今の私は魔術師として生きている。
任務に励むのも、生命を賭して敵に挑むのも、決して心から望んでやっていることではない。
魔術の技量を磨くため。暗殺の業を習得するため。そして考課の累積によって騏堂の信頼を勝ち取り、奴の油断を誘える地位と役職にまで自らを引き上げるため。
そう、すべては騏堂成叡を殺すために。
これは決意ではなく決定事項。果たさねばならぬ宿業だ。達成するためには、絶対に露見されてはいけない。
なのに、出会って早々に、兎塚禁李に看破された。どうして見破られたのかは、今でもわからない。
不安はある。兎塚が一言騏堂に告げただけで、私の運命は終わりだ。どう足掻こうとも悲惨な最期が待っている。
案外、それを見たくて、兎塚はわざと私を泳がせているのかもしれない。高いところから一気に突き落とした方が、派手に血飛沫が散って見応えがありますし、と嘲笑う姿もまた似合う。
だが、そこまで邪悪とも思えないところが厄介で、
(要するに、私は彼女のことを何一つ知らないままなのよね……)
無言のまま兎塚の消えた暗がりを見詰める柊に、男はスーツの懐からヨレヨレの煙草、そして分厚い防護殻を備えた情報端末機器を取り出しながら応える。
「まあ、騏堂の旦那が使えると判断して採用したんだ。俺たちがどうこう言ったところでケチをつけるだけさ。敵意がない間は仲良くやるしかないだろうよ……っと。よしよし。起動した」
次元穴を抜ける際に、大量の霊子波の影響で精密機器の多くが機能不全を起こして壊れてしまう現象は、機器に特殊な磁場を形成する防護プロテクターをアタッチメントとして装着させることでおおよその解決を見た。
これで面倒な座標観測や位置情報のマッピングをいちいち手動でやらなくて良くなったわけだが、霧郡内では相変わらず霊子波長の乱れ、空電の類が酷い。従って、無線での交信連絡は依然として不可のままで、環境条件によってはスタンドアローンによる起動さえ困難な場所もある。幸いにも、この森での使用には問題ないようだ。
「月も星も動かないってのは面白いよな。おかげで何処にいるかすぐにわかる。合流地点までは……、ん、そうだな、南にあと四キロで合っている。時刻は十二時を少し回ったところ。どうする? 伏見が来るまでもうちょいかかる。ひと眠りするなら、そこらへんの木陰で横になっても……」
煙草を口に咥えながら、男が柊に声をかけた、その時だった。
突如として、樹海の一角で炎の柱が吹き上がる。
キャンプファイヤーなんか比ではない。真っ赤な灼熱の業火。それは竜巻のように渦を描き、凄まじい火力を保ったまま、縦横無尽に旋回を始める。
呆気に取られたのは柊だけ。
男は、いつの間にか火種が付いた煙草を吹かして苦笑している。
「おーおー、だいぶイラついているな。こりゃあ、さっさと顔合わせに行った方がよさそうだ」
崖下で吹き荒れる火炎旋風を横目に、男は柊へと向き直る。
「さて、それじゃあ最後の確認だ。おまえさんを呼んだのは炎術師ってこともあるが、それがメインの役割じゃない。わかっているよな?」
柊は頷く。
「ええ。私は偉そうに貴方の後ろでふんぞり返っている。それでいいんでしょう?」
「そんなところだ。それじゃあ、手筈通りに頼んだぜ」
ニヒルな笑みと共に男は踵を返す。
返すと同時、咥える煙草はフィルターごと一瞬で灰となり、空中に溶けて消えていく。
刑部宵親。この男もまた炎術師だ。しかも、自分よりはるかに優れた力量の。
「………」
今回の任務には騏堂成叡の近習衆のみならず、六紡閣からも選りすぐりの魔術師が参加している。
その多くが炎熱系魔術を操る炎術師。その中で、おそらく柊の実力は最下位だろう。足手纏いにはなりたくないが、どこまで脱落せずについていけるかはわからない。しかも、此処は次元破断の断片が眠る地だ。
断片。早蕨の塔で無尽胎蔵の力を目の当たりにしたからこそ、恐怖がある。不安が募る。
どこまでやれるだろう。どこまで死なずにいられるだろう。大事な何かを失わずにいられるだろうか。私は私として、生きて帰ることができるのだろうか。
「おーい、どうしたー? 置いてくぞー」
刑部の呼びかけで我に返る。
過去も因縁も、すべて放り捨てられれば楽なのかもしれない。暗殺など無理だと諦めて、極東を脱し南米あたりにでも逃げれば自由になれるのかもしれない。
だが、それでも。
「……やってやるわよ」
崖下へと飛び降りるようにして消えていった刑部を追いかけて、柊は駆ける。
果てしない闇の彼方に何も見通せずとも、それでも。




