石殿Ⅲ
阿万鵺は軽やかに嗤った。
「随分と、些細な事を気にされるのですね。私が連行した霧郡被災民の消息ですか……。それでしたら、資源として有効に活用させてもらったと言うより他にありません。牢が空っぽだったのは、単純に在庫切れですね。そろそろ補充しませんと」
スーパーの卵を買いに行くかのような気安い調子。
そこに、罪悪感や良心の呵責などは微塵もない。愉しそうに微笑んですらいる。
それを見ていて、どうしても我慢できなかった。
「……っ‼ どうして……、どうして、そんなに簡単に人が殺せるの……⁉」
順番を破ったにも関わらず、阿万鵺は答えてくれた。
「最高の美をこの手で創り出す。この願いが叶うのであれば、世界中の人間を殺し尽したとしても構わない。それだけのことですが?」
何の感情も籠らない、それどころか、何の感情を載せる必要があるのかと逆に問い返すかのような平然たる態度に、柊は彼等に代わって憤慨する。
「最高の美……、ですって。あの断末魔の石像の何処に……。生命を弄ばれた人たちの何処に……。何処にそんなものがあるって言うのよ⁉」
応じたのは、満面の笑みだった。
「ですが、貴方は実際に見惚れたではありませんか。輝かしいものを感じ取り、脚を止めたではありませんか。醜悪奇怪、嫌悪と冒涜の渦中にありながら、それでも祈るこの老婆の姿に」
「………‼」
反射的に違うと叫ぼうとして、柊は喉を詰まらせる。
否定するのは簡単だ。
しかし、それは悪辣なる創意に彩られながらも、燦然と佇む老婆を貶めることになる……。
柊は満身の殺意を籠めて睨む。
万雷の拍手を浴びたかのように、阿万鵺は慇懃と頭を下げた。
「そう。これこそが、私が求める美しさ。人間が有する生の輝き、その素晴らしき発露の一端です」
黒帯が巻かれた双眸。それを老婆像へと差し向けて、阿万鵺は滔々と語る。
「彼女は、霧郡に観光にやって来た旅行客の一人でした。御友人と二泊三日の小旅行を楽しむはずが、運悪く、次元破断に巻き込まれてしまったそうです。天変地異と妖魔に襲われ、命からがらこの地へと逃れて来ました。その他の被災民と同様に」
平面獣の影に怯えながら、肩寄せ合って糊口を凌ぎ合う。
塔の周囲の廃墟に隠れ潜むそんな彼等を、阿万鵺は見つける度に刈り取った。
「多くの場合、彼等は飢餓よりも絶望感に囚われていました。倦怠感と無気力で、もはや腕も上がらない……。一種の忘我状態ですね。ですが、理性が麻痺するからこそ本能は鋭くなるのでしょう。私が近づいて行った時、何人かは逃げようとさえしましたよ。まあ、私の見た目からして真面とは程遠いので、反応としては当たり前なのですが」
なけなしの活力を振り絞って駆け出そうとした被災民は、たちどころに石へと変えられた。
「そうした気骨ある人間の中に、彼女もいました。ただ、彼女の場合、他とはちょっと違っていまして……」
老婆は、黒帯の魔術師に昂然と立ち塞がった。
背後に、五人の若者を庇いながら。
「同い年ぐらいの孫娘がいるのだと言っていましたね。それで親近感が湧いて、どうにかしてあげたくなったのだと……。ふふふ、たったそれだけでいいとは……。ふふふ……」
生き永らえたければついて来るようにと言い含め、阿万鵺は老婆たちを早蕨の塔へと連行した。
「塔へと連れ帰った霧郡被災民を、私は用途に合わせて選別しました。年代、性別、外傷や疾患の有無、精神損耗度……。裸に剥いた彼等が造る列に声はなく、押し込めた牢からはすすり泣きの嗚咽ばかり……。ですが、彼女を収監した牢は違いました」
十人の若者と共に一つの牢へと収監された老婆は、わずかに赦された自由の中で、甲斐甲斐しく彼等の世話をした。
誰に命じられることなく寄り添い、優しく言葉を掛け、突然失われた未来に自暴自棄になりそうになる拳を皺だらけの手でそっと包む。
「そうした行為が功を奏したのか、老婆たちの牢内の空気は和らぎ、時には笑い声さえ聞こえるようになりました。つまりは、そう、機が熟したのです」
阿万鵺は、この牢獄から若者を間引き出した。
じっくりと一人ずつ。別れを惜しむ時間を十分に与えながら。
「見知った誰かが次々と消えることで、牢は恐慌へと陥っていきました。彼女は必死になって若者たちを慰めましたが、身に迫る恐怖には敵いません。ですが、それでも彼女は諦めなかったのです。無駄だとわかりつつも、どうにかしようと手を尽しました。次は自分の番かもしれないのに、眠れぬ少女のために一晩中背中を撫で続ける……。なんといじましいことでしょう」
そんな老婆に、阿万鵺は提案した。
老婆が自ら進んで命を差し出すならば、若者たちをこの牢より解放する、と。
「私の言葉が真実である保証はない。疑おうとすればいくらでも疑える。しかし、老婆はすぐに承諾しました。その様子はどこかすっきりとしていて、微笑みさえ浮かべていたと記憶しています」
阿万鵺は約束を守った。
身なりを整え、担げるだけの物資を背負った若者たちが、こちらを振り返り、振り返り、瓦礫の彼方へと消えていくのを、阿万鵺は老婆と共に肩を並べて見送った。
彼等が去ると、老婆は膝を掃い、地面に跪いて眼を瞑って手を合わせた。
彼女の信条、理念、宗教観はまるで知らない。どんな神仏に拝跪しているのかもわからない。だが、老婆が彼等の旅の行く末を案じていることだけは明確で、その姿には、自己犠牲、献身を超えた何かがあった。
「これは、その瞬間を切り取ったものです。生の終着点にあっても己を見失わず、一心に他を慈しむ……。素晴らしい輝きです。本当に」
黒帯の芸術家は、自身の傑作を眺めて独り言ちる。
「彼女のような存在は稀少です。人間という生き物は、本質的にはひどく見苦しい。小賢しく、卑劣で卑怯。日和見を気取り、快楽に逆らい難く、安易に堕落する……。ですが、いるのです。このような素養を持った人間は確かに存在する。だからこそ、私はそれ以外の粗悪品を奇怪醜悪に飾ります。闇が濃ければ濃い程、星はより鮮明に輝くものですからね」
柊は眼を剥く。
こいつは、とんでもないことを言い放った。
「じゃ、じゃあ、塔を徘徊していたあの人たちは……」
「舞台装置ですよ。真に美しきものを飾り立てるための、対比強調の道具です。あれらを私の芸術と見做されるのは甚だ心外というもの……。ですが、思うところがないわけではありません」
阿万鵺は肩を竦めると、自嘲気味に呟く。
「私は三流の芸術家ですが、それでも人間の醜悪さを引き出し、それを誇張する技量には自負するものがありました。しかし、この塔で本物に触れたことで、それが増長でしかなかったことに気付かされたのです。その挙句が、口惜しさに意地を張っての粗製乱造……。我ながら大人げないと呆れてしまいますが、実物を見れば柊さんにも解ってもらえるかと。私が意固地になってしまったその理由が」
そして阿万鵺は、ぱちんと指を打ち鳴らした。




